生物試料の分光測定

2017.7.20最終更新

  1. 分光学の基礎
  2. 散乱試料の吸収測定
  3. 微小な吸収変化の測定
  4. その他の吸収測定手法

分光学の基礎

はじめに

光を用いて物質の性質を調べる分光測定は様々な領域において用いられます。生物学においてもおなじみのものですが、生物試料は単純物質の均質溶液ではない場合も多く、測定にあたって注意が必要な場合があります。このページは、そのような生物試料の分光測定における注意点について解説していきますが、まずはその前に分光学の基礎を復習しておきましょう。分光学についてよくご存じで基礎などいらないという方は「散乱試料の吸収測定」に飛んでくださって結構です。

吸収とは

多くの人が初めて分光機器を使う際に測定するのは「吸収」または、その波長依存性を示した吸収スペクトルでしょう。ここで言う吸収というのは、何かが何かを吸い取るという一般的な意味ではなく、物質によってどれだけ光が吸収されるのかを定量化した数値です。しかし、分光器が直接「測定」しているのはこの吸収ではなく、試料を透過してきた光の量です。吸収は、その光の量から計算して得られた結果の数値なのです。試料を透過した光の量(I)を、透過する前の光の量(Io)で割れば、透過率(Transmittance: T)が求まります。

T = I/Io

透過率を測定するためには、試料を透過した光の量の他に、透過する前の光の量が必要ですが、試料の前で光を測定するのは難しいので、通常は、試料の代わりに溶媒だけを入れた対照サンプル(ブランクとも言います)を測定し、これをIoとします。分光測定で、ブランク測定あるいはベースライン測定といった手続きが必要なのはこのためです。得られた透過率の対数(10を底にとる常用対数です)をとったものが吸収(Absorbance: A)です。

A = -log(T)

光がどれだけ試料に吸収されるのかを知りたいのでしたら、透過率か、1から透過率を引いた吸収率(1-I/Io)の方がはるかに直感的です。ブランクで100の光が通ったときに、ある試料を通すと10になってしまったとすると、透過率は0.1で、吸収率は0.9です。それをわざわざ面倒な対数計算するのはなぜでしょうか。それは、物質量との関係を考えるとわかります。先の試料の濃度を2倍にすると、光は試料を2回通ったのと同じになりますから、1/10になった光がさらに1/10になり、透過率は0.01となります。吸収率はしたがって0.99です。つまり、透過率についても吸収率についても、試料濃度を倍にしても倍になったり半分になったりせずに中途半端な値になります。一方で、吸収はどうでしょうか。最初の試料の吸収は-log(0.1)=-(-1)=1で、濃度が倍になると、-log(0.01)=-(-2)=2となり、ちゃんと値が倍になるのです。つまり、吸収は試料の濃度に比例するため、物質の定量などに便利なため、対数を取る面倒があっても広く使われているのです。DNAの試料溶液の吸収を紫外領域で測定すれば、その濃度を定量することができるのは、このように物質濃度と吸収の間に比例関係が成り立つためです。この比例関係は、ランベルト・ベールの法則と呼ばれ以下のようにまとめられます。

A = ε・c・l

ここでcは物質濃度、lは光路長(光が通る試料の幅:通常はキュベットの幅)で、物質濃度が高ければ吸収はそれに比例して大きくなりますし、試料のなかを長く光が進めば、やはり吸収はそれに比例して大きくなります。εは物質の種類によって一定の値をとる比例係数で、分子吸光係数と呼ばれます。つまり、吸光係数がわかっていれば、一定の光路長のキュベットを使って試料の吸収を測定することによって試料濃度が求まることになります。当たり前ですが、計算にあたっては単位を確認してください。例えば、吸光係数が mM-1cm-1 という単位で与えられている場合は、光路長はcmで計算し、結果として得られる濃度の単位はmMになるわけです。

光が来なければ吸収は測れない

吸収を測定するにあたっては、いくつか注意すべき点があります。当たり前ですが、光が来ないと吸収は測定できません。分光器は測定のための光を光源から出しているので問題ないと思うかもしれませんが、試料があまりにも濃いと、ほとんどの光が試料に吸収されてしまって光を検知する装置(光電子増倍管またはフォトダイオード)に光が届かないことがあります。つまり、吸収が非常に大きな試料は、正確に吸収を測定できないので、薄めて測定をする必要があります。どの程度の吸収まで正確に測定できるかは、分光器の種類によって大きく異なります。簡易な分光器であっても吸収が1程度までは問題なく測定できるでしょう。感度の良い光電子増倍管を使った分光器では2.5程度の吸収まで測定できると思います。試料を通らない光(迷光)を抑えるために、モノクロメータ(特定の波長の光を取り出す機器)を二重に搭載した分光器では、さらに大きな吸収を測定できるものもあります。逆にあまりに薄い試料の場合、吸収が小さすぎて誤差の影響が大きくなる場合がありますから、通常の試料の測定では、吸収を0.2~1の範囲に収まるように調節して測定するのが無難でしょう。

測定条件の設定方法

ルーティンワークとして、一定の方法で同じ試料を測定している人は、あまり意識をしていないかもしれませんが、分光器には、測定条件の設定項目がたくさんあります。測定波長もしくは波長範囲はほとんどの人が変えたことがあると思いますが、そのほかにも、スリット幅、レスポンス、波長送り速度などを、本来は測定の目的に応じて変更する必要があります。スリット幅は、モノクロメータで取り出す光の波長の幅で、これが大きければ試料を通る光量も多くなりますから、ノイズは小さくなる一方、波長の幅が大きくなることによって波長分解能が低下します。波長分解能が低下すると非常にシャープな吸収を持つ試料の場合、見かけ上ピーク波長における吸収が減少してしまいます。多くの設定項目は、これと同様に、他の設定項目と相反関係にあり、ある面を改善しようとすると別の面での低下がもたらされます。レスポンスは、信号の変化にどれだけ早く追随するかの指標ですが、レスポンスが良すぎるとノイズが大きくなる一方、レスポンスが遅いと信号が急に変化した時に、見かけ上変化が小さくなってしまいます。信号が急に変化しないように、波長送り速度を遅くすると、今度は測定時間が長くかかるようになってしまいます。すべての面で最適な設定条件が存在するわけではありませんから、自分の測定の目的に合わせてこれらの項目を適切に設定する必要があります。

散乱試料の吸収測定

散乱の影響を考える

化学の実験に使う試料は、例えば硫酸銅の青い溶液のような透明試料が多いのですが、生物学においては、細胞の懸濁液のように、濁った試料の吸収を測定する場合がしばしばあります。上の分光学の基礎のところで説明した際には、吸収されなかった光は透過して光電子増倍管に入るという前提で話を進めましたが、細胞の懸濁液の場合、個々の細胞にあたった光は、吸収されない場合でも、そのまままっすぐには進めず、散乱されて進行方向が変わります。進む角度が変わった光は、光電子増倍管に入りませんから、吸収された場合と同様に、分光器で測定される試料の透過率は低下します。そしてこの透過率から計算された吸収の値は、見かけの上で増加することになります。つまり懸濁試料の場合、通常の方法で測定された吸収には、本当の意味での吸収の他に、散乱の影響が含まれているのです。そこで、このような測定の結果得られた見かけの吸収の値を、本当の吸収と区別して光学濃度(Optical density: OD)と呼ぶことがあります。

散乱を利用した細胞数の推定

細胞の懸濁試料の散乱は、細胞の数が多ければそれだけ大きくなりますから、散乱を使って細胞数を推定することができます。ODは吸収と散乱を反映するわけですから、吸収が少ない場合は、主に散乱を反映します。例えば、大腸菌の懸濁液の場合、600 nm付近でODを測定すると、その値は細胞の数と比例関係が認められます。何らかの形で一度検量線を作っておけば、懸濁液のODを測定するだけで細胞数を求めることができるわけです。この際、注意しなければならないのは吸収の影響です。例えば、光合成をするシアノバクテリアの細胞の場合は、クロロフィルをたくさん含んでいますから、同じ600 nmでODを測定しても、クロロフィルの吸収影響が大きくて正確に細胞数を求めることができません。このような場合、クロロフィルの吸収がほとんど見られない波長、例えば750 nmのODを測定することによって、細胞数の推定が可能になります。

散乱試料の吸収スペクトル

散乱は、物質の境界面で光が反射・屈折して起こるので、透明な溶液ではほぼ無視できます。しかし、細胞懸濁液の場合、細胞にぶつかって吸収が起こった光は角度が変わって光電子増倍管に入る確率が減るのに対して、細胞にぶつからずに素通りして、細胞の色の情報を持たない光はまっすぐ光電子増倍管に入ります。つまり、散乱試料では、試料の色の情報が選択的に失われてしまうので、色素による本当の吸収の部分だけを見たとしてもスペクトルの変化幅が小さくなります。しかも、これに、散乱による見かけ上の吸収増加が上乗せされます。光の反射・屈折は、色素の吸収とは無関係におきますから、細胞懸濁液の散乱のスペクトルをとっても、色素による吸収の場合のように特定の吸収バンドが見られるわけではありません。散乱を含んだ吸収スペクトルは、本当の吸収スペクトルを縦軸方向に上にシフトした形になります。つまりスペクトルは大きな下駄をはいた形になります。その下駄の高さは、微粒子による可視光の散乱が短波長になるほど強くなる性質をもつため、長波長から短波長にかけて(右から左に行くにつれて)高くなっていきます。したがって、散乱による下駄を引き算して吸収の部分のスペクトルを得ようとしても、一定の下駄を引き算する限り、短波長側に大きな下駄が残ることになり、ゆがんだスペクトルしか得られません。細胞懸濁液のような散乱試料の吸収スペクトルをきれいにとるためには、測定上の工夫が必須になります。

散乱試料の吸収スペクトル測定法

散乱試料の吸収スペクトルを測定するための一番原始的な方法は、濃度を濃くすることです。上記のように、細胞にぶつからずに素通りする光が、散乱試料のスペクトルの特徴を失わせる一つの原因です。そうであれば、濃度を濃くすることによって、照射する光が必ず細胞にぶつかるようにすれば、素通りする光がなくなってスペクトルの特徴が維持されるはずです。その場合、高い下駄はそのままですが、その部分を引き算すると実際に特徴を維持したスペクトルが得られます。ただし、この場合、光電子増倍管に届く光は非常に弱くなりますから、基礎のところで説明したように、感度が良くモノクロメータを二重に搭載して迷光を抑えた分光器が必要になります。

試料を濃くする代わりに、すべての直進光を散乱させてしまう手もあります。試料と光電子増倍管の間に曇りガラスを置けば、細胞にぶつかった光もぶつからなかった光も公平にもう一度散乱されますから、光の情報を持たない直進光が優先的に光電子増倍管に入ることを避けられます。これはオパールグラス法という名前がついています。この場合も、光電子増倍管に届く光が弱くなるのは同じですから、優秀な分光器を必要とします。

一方で、散乱光を積極的に光電子増倍管に取り込もう、という方法もあります。細胞にぶつかって角度が変わった光がきちんと光電子増倍管に入れば、問題はなくなるはずです。このための一番簡単な手法は、試料の入ったキュベットを光電子増倍管に接して置くことです。90度以上角度が変わって光源の側に跳ね返る光はどうしようもありませんが、キュベットを光電子増倍管にくっつけるようにして置けば、多少角度が変わった光でも取り込むことができます。今から30年ほど前に使われていた日立の356型という分光器は、そのような配置にキュベットを置くことができたので、散乱試料のスペクトルをきれいにとることができました。現在入手可能なこのタイプの分光器としては、島津製作所のMPS-2400/2450があります。これも、昔の356ほどではないのですが、現代の分光器としてはかなり面積を取るのが玉に瑕です。

一般的な分光器にオプション部品をつけて散乱光を取り込むこともできます。この場合、キュベットを光電子増倍管に接して置く代わりに、積分球という部品に接して置きます。積分球は、内側を反射率が極めて高い物質でコーティングした球状の部品で、キュベットに接する窓から入る光をまとめて別の窓へと誘導することができます。これにより、角度が変化した散乱光も、2番目の窓のところにおいた光電子増倍管に取り込むことができます。小型分光器では難しいですが、中型以上の分光器は積分球をオプションとして装備可能なものが多いので、現在、散乱試料の吸収スペクトル測定が必要になった場合には、積分球を使う場合が多いのではないかと思います。光合成解析センターでは日本分光の紫外可視分光光度計V-650STに積分球ISV-722を組み合わせて使用しています。この方法については、V-650による吸収スペクトル測定をご覧ください。

微小な吸収変化の測定

微量成分の測定のために

多くの生物試料は様々な物質の混合物であり、測定対象の物質は試料のごく一部を占めるにすぎません。例えば、光化学系Iの反応中心として機能するP700は、酸化や還元によって700 nm付近の吸収が変化するため、その酸化還元の様子を調べようと思ったら、単純に700 nmにおける吸収をモニターしていればよいように思えます。しかし、実際にはP700以外にも700 nmに吸収を持つ物質は細胞内にたくさんありますから、P700の酸化還元に伴う吸収変化の大きさは、元の吸収の値の1%以下です。そのまま吸収を測定しても、全体の1%の変化をきちんと定量するのは至難の業です。

そのような場合、全体の吸収を見かけ上小さくするとうまく測定できます。通常は、試料セルに試料を入れ、対照セルに溶媒を入れて吸収を測定しますが、試料セルにも対照セルにも試料を入れると、2つのセルの差はなくなりますから見かけ上吸収が0になります。そこで、試料セルの試料にのみP700を酸化する処理(たとえば酸化剤を加える)を施せば、酸化還元による吸収変化は微小なままですが、元の吸収レベルが0に近いので、スケールを拡大して正確に測定することができます。

一方、吸収の絶対値を測定せず、吸収の変化分だけを直接測定する方法もあります。一般的に、ある滑らかな関数y=f(x)を考えた場合、xが少し変化した場合、その変化Δxと対応するyの変化Δyの比は、その点における関数の傾き、つまりf(x)の微分値になるはずです。

Δy/Δx=f'(x)

ただし変化の幅が大きくなると、傾きが変化していくかもしれませんから、この式が成り立つのはΔxとΔyが十分小さいときです。ここで関数として吸収と透過率の関係の式A=-log(T)を考えてみましょう。この関数についてTの変化ΔTと吸収の変化ΔAを考えて、常用対数log(x)の導関数がlog(e)/xであることを考慮すると(log(e)は0.434なので)

ΔA/ΔT=-0.434/T

となります。試料に入る前の光量をIo,試料を通過したあとの光量をI,試料が吸収変化を起こしたあとの光量をI+ΔIとすると、T=I/Io、ΔT=ΔI/Ioですから、これを上の式を変形して代入すると

ΔA=-0.434ΔT/T=-0.434(ΔI/Io)/(I/Io)=-0.434ΔI/I

という結果が得られます。つまり、試料を通ってくる光量Iとその変化幅ΔIさえわかれば、Ioの情報がなくても(=吸収の絶対値がわからなくても)吸収変化の大きさΔAがわかることになります。この方法は、Ioを求めるために対照セルの測定をする必要がありません。単に試料を通ってくる光量とその変化を測定するだけなので、極めて簡便です。ただ、上に述べたように、変化量が大きい時にはこの方法は使えません。生物実験にありがちな吸収変化が微小な実験系でこそ使える方法なのです。この方法は、Dual PAMにおけるP700の測定や、ジョリオ型の分光器(JTS-10)における吸収変化測定に用いられています。なお、ここでの計算は、上記のように吸収変化が微小な場合に成り立つ近似です。この近似による誤差は、おおざっぱに言ってΔI/Ioの半分程度です。つまり、相対的な吸収変化が元の吸収の0.1%程度の場合は誤差は0.05%程度、1%程度の場合は、0.5%程度になります。通常の測定では相対的な吸収変化はせいぜい1%程度ですから、近似による誤差は測定誤差に比べて無視できると考えてよいでしょう。

その他の吸収測定手法

低温吸収スペクトル測定

試料の吸収スペクトルを測定する場合に、室温ではなく、液体窒素温度などの低温で行なう場合があります。これは、低温でスペクトルを測定すると、吸収帯の幅が狭くシャープになって、複数の吸収帯が重なっている場合でも分離がしやすいためです。物質の吸収帯の幅は、その物質の電子のエネルギー順位の幅を反映しており、このエネルギー順位の幅は温度が高いほど広がるためにこのようなことが起こります。室温では1つのブロードな吸収帯が見えていただけなのに、低温にすると、2つのピークが分離することもありますので、複数の吸収帯が重なっていることが多い生物試料では役立つことが多い方法です。

微分吸収スペクトル測定

見かけでは分離でできない複数の吸収帯が重なっている場合、吸収スペクトルを微分することによりピークを検出することができることがあります。微分を4回繰り返した4次微分スペクトルのピークは、もとのスペクトルの隠れたピーク位置に対応するので、ピーク検出に便利です。ただ、微分をして検出できるのは吸収帯の幅が狭くシャープな場合に限ります。したがって、上に述べた低温吸収スペクトル測定の手法と組み合わせてよく使われます。