先端生命科学入門 第7回講義

生物がにおいやフェロモンを感知する仕組み

Q:非常に恐ろしい話を聞いたような気がした。視覚なら話は分かるが、嗅覚があれほど我々の進化の過程に作用してきたというのは信じられない。見える、聞こえるのならまだいいが、無意識のうちに飛んできて勝手に受容させられているのではたまらない。しかし、考えてみれば嗅覚以外でも、聴覚、視覚、味覚、触覚それぞれ感じることはできても、実際それがもし我々の行為や感情に作用してきても間違いなくそれを我々は意識できないわけで、我々の意志というものの結構な部分が、まだ知らないだけで、実はそういった刺激に左右されているかもしれない。嗅覚への強い選択圧や遺伝子の占有率はそんな事実を暗示しているようで薄気味悪く感じた。

A:人間というのは、ある意味、五感の意識や使い方としては、動物界のなかでも特殊な動物だと思います。五感の研究は、我々の脳内の学習、記憶、理性、自我などの形成、そして、究極的には心までたどれるようなものだと思っています。よくわからないことは不安に思うもので、嗅覚の意義と仕組みをきちんと理解すれば、特に怖いことではありません。嗅覚も普段から意識して、五感をバランスよく使うことが、人間の健全な精神を維持するために必要なことだと思います。そういう意味で、視聴覚教室だけでなく嗅覚教室や味覚教室というものも小学校で必要ですね。


Q:嗅覚は、生物が生存するうえで不可欠な感覚で、そのしくみは主に揮発性の化学物質を嗅上皮組織にある嗅細胞が受容し、それを活動電位として神経細胞に伝え、脳がその刺激を受け取るというものである。 ひとつの受容体(一嗅神経細胞につき一種類発現している。1000種類)は複数の匂い物質を認識し、さらにひとつひとつの匂い物質(約数十万種類)は複数の受容体に認識されるため、反応する受容体の組み合わせにより様々な匂いを分析することができる。他方フェロモンは、動物においては嗅上皮ではなく、鋤鼻器官と呼ばれる場所で受容される。フェロモンの定義は、同種の他個体にのみ作用し、特定の行動の誘発や生理的な変化を引き起こす物質である。フェロモンは必ずしも匂いではないが、鋤鼻器官が退化したヒトは匂いと同じしくみでこれらの物質の一部を受容する。したがってヒトにおいても、何らかのフェロモンが存在しているものの、鋤鼻器官の欠失により受容できていないとも考えられる。
 〈感想〉ヒトにどんなフェロモンがあるのか、非常に興味があります。『第六感』などと巷に言われるものも、そうした化学物質による作用ではないかと思えてきました。嗅覚と生殖に深い関わりがあるとは経験上(買っている犬に避妊のため、子宮摘出手術をしたところ、鼻が極端に悪くなった)気がついていましたが、今回はっきりしました。教官がおっしゃるように、無臭が好まれる現代の風潮は、人間をますます野生の状態から遠ざけていると思います。

A:講義で話したように、ヒトにおけるフェロモンはまだまだ未知です。あってもおかしくはないのですが、たぶん進化的に考えると、ほとんど使われなくなっていると思います。第六感というのも、無意識のうちに匂いや「フェロモン」によって行動パターンが左右された結果ということもありますが、おそらく人間社会での現実的な第六感は、五感の集大成によって生まれる理路整然とした直感だと思います。「子宮摘出で鼻が悪くなった」というのはとても興味深い話ですね。おそらくホルモンバランスというものが嗅覚の感受性にも影響を与えているということですね。人間でも経験的にありますね。


Q:「視覚の進化と嗅覚の退化が連動しているのではないか」という話は初めて聞いたので非常に興味深かったです。まさか「嗅覚に関わる遺伝子にmutationが入って視覚に関わる遺伝子に変異した」なんてことは考えにくいですし、原因はあまり想像出来ないのですが・・・。また、数百、数千しかない嗅覚受容体が無限に近い臭いの識別をどのように行うのか、というところの説明は非常に面白かったです。ルール1とルール2を仮定さえしてしまえばあそこまで綺麗に臭いの識別が説明できると言うのはちょっとした感動物でした。ただ、何故嗅覚に関わるrecepterだけそこまで基質特異性が低いのか、という疑問は残りましたが・・・。後は臭い物質の濃度によって受容体の組み合わせが変わる、というのも疑問でした。何故濃度の変化によって受容体に結合したりしなかったりの変化が生まれるのでしょうか・・・?なんだか色々と疑問は湧き出てくる感じでしたが中盤以降の講義は非常に興味深かったです。

A:視覚も嗅覚も外界の情報を把握する感覚です。どちらかを失えば、片方は発達します。例えば、キュリー夫人は嗅覚感覚にすぐれていました。感覚を司る神経や受容体というものは使わないと捨てられていく、つまり、科学用語でいうと「activity dependent(活性依存的)」ということが知られています。長い進化史上でも、使われないものは淘汰されていきます。嗅覚受容体が視覚受容体に進化したとは考えられませんが、興味深いことに、どちらも同じ7回膜貫通構造をもっています。必然的偶然でしょうか。嗅覚受容体の基質特異性が低いのは、匂いを識別したりするためには、感度はある程度高い必要はありますが、特異性を高くする必要性がなかったからです。たとえば、昆虫の場合は、フェロモンは匂いより特異性が高くなくてはいけないので、昆虫嗅覚受容体のなかから、特に基質特異性の高いものが生まれてフェロモン受容体になっていったケースもあります。物質と受容体の間にはかならず「閾値(いきち)」というものがあって、ある濃度以上にならないと受容体が活性化されない濃度というものが存在します。結合は平衡状態なので、濃度が低くても少しは結合している状態なのですが、受容体を活性化するためには結合頻度がある程度高くならないといけないのです。それぞれの受容体の閾値は違うので、匂いの濃度によって受容体の組み合わせが変わります。ちなみに、科学用語では、「臭い」ではなく「匂い」のほうが正確です。「臭い」はくさい匂い、「臭い」の反対語は「芳しい」で、「芳しい」は良い匂いのことです。だから、臭いにおいと芳しいにおいを総合して「匂い」なのです。