先端生命科学入門 第2回講義

昆虫の擬態と変態から何がみえるか

Q:コノハギスの擬態はLyonizationと関係しているのでは、と思ったのだが「たぶん関係無いだろう」と言われてしまったのでもう一度考えてみた所、当初考えていた以上にあの擬態は複雑であることに気付いた。考えてみれば各細胞がランダムに緑と茶色を使い分けていては駄目なのだ。コノハギスの擬態は枯葉のそれを想像以上に精巧に模倣してる。枯葉を表す茶色も原色ではない。中心は濃茶色で周辺が淡茶色でその周辺が灰色で・・・と、一見して感じた以上に多くの色を使い分けている。ランダムに色が現れたのではこうも巧妙なカモフラージュは生まれそうも無い。しかし、ということは逆に考えると所謂「枯れてる部分」が一つの単位として形成されなければおかしいだろう。各表皮細胞にある種の受容体があり、その受容体に対して圧倒的に少ないリガンドが分泌され、リガンドが結合した細胞がカスケードにより「枯れてる部分」を形成する、とか。・・・無理があるなぁ。


Q:擬態…分子レベルから個体レベルまで様々な段階で観察される。モデルとミミックが存在し、ミミックはモデルに自らを似せることで利益と損失の両方を受ける。例)シロオビアゲハの雌;利益…鳥の捕食を免れる。損失…雄はミミックでない雌を好むため、繁殖に不利である。
変態…(アゲハチョウの例)エクジソン・JHという二種のホルモンが支配している。JHの濃度低下は蛹化を促し、エクジソン濃度が上昇すると幼虫は脱皮する。
〈感想〉非常に興味深かったです。私自身、ナミアゲハを数年間飼っていて、幼虫の脱皮や、蝶の羽化をみるたびにそのドラマティックさに驚いていました。枯れ葉をモデルに擬態するバッタは個体毎に体の柄が違うというお話でしたが、その理由が気になります。細胞ごとに、相同染色体の片方が不活性化されているのかな、と勝手に考えてみたりしていますが、機会があれば調べてみたいと思いました。


Q:昆虫の擬態の多様性に改めて驚かされた。いったいどういう過程を通ってハナカマキリのような種ができるのだろう?それに、昆虫の種の数はあまりに多い。突然変異が起こりやすく、また、色や形が少数の遺伝子に支配されているので多様な色や形のものができたのか?それとも複雑に無数の遺伝子に支配されていて、少しの変異が増幅されるのか?では、ハナカマキリのあの花でのあのポーズは本能行動なのか?もしそうならどうして遺伝するようになったのか?違うならどうして学習できるのか?分子レベルでの擬態の解明は近いうちにできるのかもしれないが、その進化してきたルートを解明することは可能なのだろうか。いつか研究してみたい。


Q:昆虫の擬態は、体中のあらゆる部分の形や色、姿勢などが調和して進化しなければ適応的に意味をなさないと思われるから、それに対応する遺伝子も相当複雑なシステムを持っていると思う。近縁種の間においても極めて多様な模様形成が見られるのも、このような精密なメカニズムにおけるほんの少しずつの違いによるものであろう。また、コノハギスのように、「葉が枯れたように見える」場所が個体間で少しずつ違うのにはかなり驚いたが、よく考えてみればわれわれ人間の顔も一人一人異なる。だから、人間の個人差というテーマを考えるときでも、昆虫の擬態の個体間の相違に関する複雑で多様な遺伝的メカニズムを踏まえて考えてみれば、何か解明されることがあるのではないかと思った。生物というものが非常に多様でありながらも、そこにはある程度の普遍性が存在するということを改めて強く感じることができた。


Q:昆虫の擬態・変態のしくみは実に興味深い。擬態とは、情報発信者が何らかに自らを似せ、受信者をだます現象で、1ベーツ型と2ミューラー型の2種がある。両者モデルとミミックが存在する。1の例として、雌は毒を持つベニモンアゲハに擬態するが、雄は擬態しないシロオビアゲハがあがる。ほぼ同じ遺伝子を持つ同種内で、雌雄でここまで大きく体の作りに差が出るのは、遺伝子の発現調節の差とはいえ、不思議だ。擬態には、天敵を欺き自分の身を守る利益と共に、擬態した体を作るため余分なエネルギーを消費する損失が生じる。進化・適応は、利益と損失の兼合いの下、自然選択がかかり進行する。この観点から、雌と違い雄は損失の方が上回ったとみなすことも出来る。さらに擬態は、動植物だけに止まらない。RRFがtRNAに擬態し、コドンに結合する分子擬態など、分子レベルでも展開している。擬態とは、太古から生物に取り入れられた、重大な生命現象といえるだろう。


Q:今回の講義で特に印象に残ったのは、ミューラー型擬態でした。全然異なる多くの種の生物が、ある一つの種に擬態している様子は大変奇妙で興味を惹かれました。天敵に捕食される危険性を減らすベネフィットがある擬態で、収斂進化の結果によると考えられているそうで、高校で習った生物に当てはめて考えると、この収斂進化は異なる多くの種において、似た模様を生み出す遺伝子突然変異が生じ、自然選択の結果、ある一つの種に似た模様が残った結果により生じた、と考えてしまうのですが、実際はどうなのでしょうか?そんなに多くの種で都合よく、似た模様が生じるものなのだろうか、と少し疑問に思ってしまいます。


Q:擬態についての話題により興味を持った。擬態という行為は、多くの遺伝子に変化が起きなければならないような気がしていた。ただ、生物の歴史として(完全な擬態が完成するほどの多くの遺伝子に淘汰圧がかかるほど)永くの時間がたっているとは思えなかった。が、後半のアゲハの変態の講義の中で、おそらくは少数の遺伝子が近縁種に置ける幼態のバリエーションを司っているのだろうという予想を聞いて、もしかすると擬態も少数の遺伝子が司っているだけなのだろうか、と感じた。