生命とエネルギー 講義レポート

講義に寄せられたレポートのうち、手書きのもの1つと、他のホームページから切り貼りしただけのもの1つを除く全てを以下に紹介します。(別に手書きだといけないというわけではありません)

イントロダクション

◎私たちが今、学び、発展させようとしている生物学が対象とするのは生物及び生命現象であり、世界全体(=全宇宙、森羅万象)における一部分である。つまりそれらが全体の中の部分である以上、全体とのつながりにおいて生物及び生命現象を捉えないと、その過程を経て出来上がった(?)生物学はウソになってしまう。言い換えれば生命は地球で誕生してきた以上、より正確には地球の生生かつ生成、発展してきた過程において地球の活動と直接に生じたものである以上、地球の成り立ち、太陽系の成り立ち、宇宙の成り立ちから論じなければならないということである。
講義の最初のイントロダクションでは、光合成と地球の成り立ちについてや、光合成がなければ鉄鉱石も出来なかったことについて触れられていたが、まさに現在の地球上には純粋な物質、生命現象が関わっていない物質はないといってもいい。ここに地球の他の惑星の中での特殊性があるわけだが、その特殊性を明らかにするにはまず、生命現象の関わっていない他の惑星のことを知る必要があることはいうまでもない。なぜなら特殊というのは特殊性がただ特殊性として存在するのではなく他との比較においてのみ存在するからである。このことを実感する例として鉄鉱石の話題は(先生は海で鉄イオンが溶けきれなくなって云々とさらっと流されただけだが)非常に興味深かった。現在の生物がこれまでの生物の生命現象によって創り創られしてきた地球によって生命活動を維持しているのだから、それを踏まえなければ生命活動を正しく捉えられないことを改めて感じた。 光合成研究は今、ミクロからマクロまで、さらには時間軸も加え、適応・進化についても問題にしているとのことであるが、それらの個別の研究成果を1つの論理として纏め上げるには冒頭に述べたようなことが必要となるだろう。なぜ1つの論理で纏め上げられるかといえば、簡単には、もともと太陽系が1つの火の玉から分かれ、地球から生命が分かれ、多様な生物として分かれ、それら生物の植物の一機能として光合成が分かれてきたからである。ここに一貫した法則性があることは明らかである。このような視点で今後研究をやっていきたいと思っている。事実の究明のために学問の個別化、細分化が進むことは物事の発展の方向性として必然である。全体とのつながりばかりを強調すればそれはそれで逆に一面的になってしまうのだが、学部生の分際で生意気なことをいうが研究の中では忘れてはいけないことだと思う。
参考図書:講談社現代新書「弁証法はどういう科学か」三浦つとむ

オルガネラの起源

◎葉緑体は光合成の場として重要な細胞内小器官と位置づけられているが、その実、葉緑体が細胞内でどのように増殖し遺伝するかという、基本的な問題は未だ十分には解明されていないように思う。約20億年前、現生のシアノバクテリアに近縁な原核光合成生物が、原始的な真核細胞に取り込まれて葉緑体が誕生したときの名残で、依然として独自のゲノムをもっているが、葉緑体ゲノムはその実に90%近くを細胞核ゲノムへと移行されてしまっている。ところが、細胞核へと移行したシアノバクテリア由来の遺伝子には、葉緑体の構造や機能に不可欠なものが多く含まれているため、これらから作られるタンパク質は葉緑体包膜を通過して再び内部に運ばれる。植物細胞は、葉緑体から遺伝子を取り上げておいて、その遺伝子産物を改めて葉緑体へ輸送するという、一見非常に面倒と思われることをしている。なぜ、このようなことをする必要があるのか?恐らく、これは宿主細胞による葉緑体コントロールシステムの一環だろうと考えられる。共生で細胞内に入り込んできた葉緑体の祖先に好き勝手されないよう、宿主細胞は葉緑体から遺伝子のほとんどを抜き取り、 自分の細胞核へと移してそのコントロール下においたのだろう。 細胞内共生について、シアノバクテリアの細胞内共生による葉緑体の誕生は、生命の進化の上でただ1回の出来事だったと言われている。しかし、細胞内共生という現象自体は、進化の歴史の中で何度も起こっているのである。事実、系統的には光合成系の獲得はバラバラに起こっていることが示されている。直接的な証拠として、クリプト藻類のヌクレオモルフでは、そのゲノムサイズは原始的な紅藻に比べ約5%に縮小しており、恐らく宿主細胞に取り込まれた藻類からはミトコンドリア、細胞質、細胞核が順に消され、葉緑体だけが残されて宿主細胞のために光合成をし続けることになったのだろう。どうやら二次共生の場合でも、細胞核は共生した光合成生物から遺伝子を抜き取り、共生体をコントロールしようとしているようだ。一方、渦鞭毛藻の仲間には、2次共生でできた3次共生由来の葉緑体をもつものもいる。葉緑体はこれらの2次、3次共生によって進化的に全く異なる流れの中に飛び込んでゆく、いわば2段跳び、3段跳びともいえる進化をしており、植物の系統の原動力となっただろうと思われる。こうした2次共生によって生まれた生物の中で、 興味深い存在であるのはマラリア原虫である。細胞内にあるアピコプラストが共生藻類の名残であったことから、マラリア原虫は2次共生でできた葉緑体を持つ植物の仲間だったのである。もしアピコプラストの分裂・増殖のメカニズムが解明されれば、アピコプラストの増殖を阻害でき、ひいてはマラリア原虫の増殖を抑える医薬品の開発につながるかもしれない。共生でできた葉緑体という視点は、マラリア撲滅という医学的に極めて重要な問題でも実を結ぶことになったといえるだろう。 葉緑体の起源と成立に関しては、まだまだ不明な点が多いと思う。しかし、葉緑体のように細胞内共生という、異質なものとのハイブリッド現象が現在の生命の繁栄につながっていることは実に興味深いことである。

◎ミトコンドリア、葉緑体は細胞内共生で作り出されたということで一致しているが、どちらも共生の時に大きな変化を受けている。とくにオルガネラから細胞核への遺伝子移行は興味深いと思う。遺伝子移行は細胞にとってどのような影響をあたえるのだろうか。葉緑体自体に遺伝子が残ったほうが葉緑体の自立性が高く細胞にとって有利なのではないか、効率的ではないかと思う。しかし葉緑体ゲノムは、原始紅藻では葉緑体に多くの遺伝子のこり、高等植物では少ない。進化的とともに遺伝子の移行が起こっていったと考えられる。重複する遺伝子が減り、細胞全体としての遺伝子数が減る。 クリプト藻の細胞をみると、中心に細胞核があって、その周りにミトコンドリアや葉緑体がある。さらにDNAを含んでいるヌクレオモルフという核に似た構造物がある。ヌクレオモルフと葉緑体は同一の緑藻由来の物である。緑藻由来のミトコンドリアはどこへ行ったのだろう。ヌクレオモルフには核膜があるが、DNAがあると言っても、独立するために必要な遺伝子の数%しか残っていない。同じようなものが、紅藻が二次共生したハプト藻でも見られる。さらに二次・三次共生でミトコンドリアが生き残っている生物は存在していないらしい。珪藻、ワカメや昆布などの褐色藻では、二次共生した紅藻のミトコンドリアも細胞核も既に完全に消滅しているらしい。すなわち、こういった共生では、光合成をするので役に立つ葉緑体だけを生かして、他は抹殺しているのではないか。宿主細胞核が手始めに共生体のミトコンドリアを消失分解させ、続いて共生体の細胞核からDNAを消し去ろうとしているのではないか。とすると、宿主に共生したシアノバクテリアに何かメリットはあるのだろうか。自らの遺伝子が移行してしまい、 自立性を失うことは生物の自らの遺伝子を残していくという戦略に反していると思う。オルガネラの起源は共生といえるのだろうか。 あくまで想像に過ぎないが、例えば、こんな可能性はないだろうか。シアノバクテリアが真核生物の祖先に、共生ではなく寄生していた。真核生物の祖先にとってはその存在はデメリットであった。そこでシアノバクテリアの遺伝子を自らの核に移行させることによりシアノバクテリアの自立性を奪うことによって対抗したのではないか。寄生生物への対抗戦略として一段階目の遺伝子の移行がおこり結果として生存に有用な葉緑体というオルガネラという形だけを残したのではないだろうか。二次共生でも同じようなことがいえるのではないか。宿主にとって自立性を持った生物が体内にいることはいつ脅威になるとも知れない。自立性を奪うことが宿主の戦略であったのではないだろうか。

 ◎葉緑体は、細胞どうしが合体してできたらしい。それは結局どういうことなのだろうか。 ある細胞がもう一方の細胞の中に存在するということは、たくさんの利点があるということはわかりました。それはそれとしておいといて、細胞が別の細胞内に存在するということは、私は非常に異常なことに思えます。 細胞はそれぞれ自分自身が存在するために、行動するのであるから共同して行動することとは別に、それぞれの細胞が自分自身の生存に必要なものを手に入れなくてはならない。ということは、内側に入った細胞に対して生存に必要な物質を分泌する必要があると思います。それは外界に対しては、内側の栄養分を外に出さないようにしつつ、内側にある細胞に対しては栄湯を提供する必要があるということになります。細胞膜の機能が分化しているということだと思う。もし栄養の提供がなければ、内側の細胞は死滅するか、内側から外側の細胞を食いやぶてしまうkも知れない。それぞれの細胞の必要とするものと必要としないものがうまくあった場合では、利益関係がうまくあったとしても生き物として必ず必要とするものは変わらないと思うため、やはり問題があるだろう。 内側の細胞は、外側の細胞にとって自分と同質のものではなく、外側の細胞は、内側の細胞にとって自分と同質のものではありません。細胞が内側に入るためには、入ってきた細胞を異物だと判断しないこと、もしくは異物だと判断しても攻撃しないことが必要だろうし、内側の細胞にとっても同じだろう。 ひとつの細胞内に別の細胞が入るのならば、理論上内に入った細胞を包み込む細胞膜が必要になるだろう。それはいったいどこから来たのであろう。外側を囲んでいる細胞膜の量は、他の細胞が入り込んできたときより大量に必要になるだろうが、必要量が少なくなることはないだろう。そのため一方の細胞内に別の細胞が入り込むことが起こったとき、受け入れ側の細胞内に大量の細胞膜が存在している必要があるだろう。ならば、その細胞内において細胞内膜系が発達していた可能性があるかもしれない。 いろいろ考えてみましたが、複雑で不思議だと思います。

◎遺伝子の移行を考えると、細胞は共生によって成り立ったというよりはシアノバクテリアやαプロテオ細菌を従属さたという様に感じられた疑問に思ったのはその最初の過程で、宿主細胞に共生できるような機能を備えたシアノバクテリアやαプロテオ細菌存在したのか、もしくは宿主細胞でシアノバクテリアやαプロテオ細菌を従属させるような機能を持ったものがいたのかというものである。分裂のシンクロについては宿主の分裂の制御機構が共生者の制御もかねるようになり遺伝子の移行は現在のファージのような溶原化の機構からそれに耐性?を持った宿主が生まれ、それがシアノバクテリアやαプロテオ細菌に勝ったのであろうか?大腸菌と、ファージを使った研究で、そのような共生というかファージの隷属化が起こっているような結果が出ているならそのヒントになるのではないかと思った。

◎オルガネラの起源は原核生物の共生によって生じたのはクリプト藻類などの例からまず間違いなさそうである。生命の歴史に単細胞生物が登場したころ、まだまだ個別の生命体としては分化しきっておらず、個体間の共生が直に他の個体を取り込む形で行われた(行うことが出来た)時期があり、その後オルガネラとして分化していった様子を想像することができ、大変興味深かった。 もともと違う個体同士が共存するわけであるから宿主と共生体の間にはお互いを支配しあう関係があると考えられる。つまり、宿主は共生体を自己の一部として反乱を起こさないように支配し、共生体は宿主が共生体のオルガネラとしての機能がなければ生存できなくなるという点で支配している。このお互いが抱える矛盾を解決する際の手段が遺伝子の移行なのだと捉えた。ゲノムサイズの比較から宿主に共生体として入ったときに大量に細胞核に移行したとのことであったが、これはもしかすると移行したのではなくて入る前は共通部分があって、そのうちの共生体の方だけ消されたのかもしれないと考えたが、それよりはやはり実証しようがないが二段階で移行が行われるという説のほうが正しいのであろう。オルガネラとして分化が進む中で遺伝子の大きな移行は徐々に不可能になっていくと同時に、遺伝子の移行によって次第次第にオルガネラとして分化していくと考えるほうが都合がよい。 遺伝子の移行というのはもしかすると簡単に行われるものなのかもしれない。現在、遺伝子は絶対不動の遺伝物質、個体のすべてを支配するものとして捉えられがちだが、他の個体同士でもその共通性に基づいて移行を行うことが出来る可塑性があることが読み取れるからである。多細胞体であればすべての細胞のゲノムは同じであると考えられているが、環境によって遺伝子が改変され、それが生殖細胞に移行されるということも個体レベルでも起こりうるのではないかと思う(まったく根拠はないが)。生殖細胞では母方、父方のゲノムがランダムに混ぜ合わされるというが、本当にランダムかどうかはまだ定かではないだろう。そんなことを空想する講義で大変面白かった。

◎今回の講義を聞いた中で、ミトコンドリアが膜タンパク質などの多くの構成成分を細胞核に依存しているのにも関わらず、核に支配された細胞膜由来のオルガネラとされずに共生の結果として今考えられている要因は何なのか。(2重膜やDNAの存在だけでは論拠に薄い)そして、共生説が正しいのなら、オルガネラとして真核細胞内での位置が確定したといえる今も葉緑体やミトコンドリアは二重膜を持ち続けるなど、一見無駄な構造を作るように核に働きかけている(もしくは核がそうしている)のは何故なのか。この2つの疑問が浮かび、2種類のDNAによる相互作用の面から考えることにした。 前者はすぐ判明するだろうと調べてみると、ミトコンドリア核DNAには以下のような特徴があることが分かった。①動物細胞のミトコンドリアDNAは2本鎖の環状構造で存在し、植物細胞や原生生物のそれよりもはるかに小さい。②動物細胞ミトコンドリアDNAはイントロンがほとんど無くエキソンばかりである。(植物細胞ミトコンドリアDNAには多くのイントロンがある)③塩基組成が核DNAと異なる。全塩基中のGCの割合が核DNAと大きく異なる。④ミトコンドリアDNAの複製は核DNAの複製とは無関係に起きる。両者の細胞周期は互いに独立的。また授業でも触れられたが、たんぱく質の生合成においても効果のある阻害剤が異なることからミトコンドリアと細胞質での合成系は異なっていると考えられる。以上のような特徴から、ミトコンドリアと真核生物の細胞は基本的な部分で異なる点が多く、共生説を支持している。 では後者の"何故、今でも共生生物としての特徴を保持できているのか"という話だが、上記の②からかなりの相互作用が細胞核とミトコンドリアDNAとの間で行われたということが予測される。細胞核のほうにミトコンドリアのためにのみ働く遺伝子もあり、ミトコンドリア側にも核の受容体経由であるものの甲状腺ホルモンを受容する働きもある。これらの遺伝子の相互作用は、大腸菌のプラスミドのように実際にDNAが行き来することで獲得されたものではないだろうか。結果的に共生生物は自分の必要な構造をホストに作らせることに成功したのである。上記の①のような形態からも一部分が切れて独自に環状構造を作り移動するのは、核DNAから一部分が移行するよりも容易であると考えられる。こうして大部分が核DNAに組み込まれた結果、ホスト細胞のDNA量は多くなりミトコンドリア側のDNA量は減ったと考えられる。 また生合成の仕組みが異なることから、移行しても作られない物質があり、核DNA側のイントロンの中にもともとミトコンドリアDNA由来のある可能性がある。そのような核内にDNAがあっても細胞質で合成できない物質は、ミトコンドリアが独自に合成している可能性があり、ミトコンドリアのエキソンDNA配列と核DNAイントロン配列を比較すると、何か核移行の根拠が見つかるかも知れない。 以上、共生説の裏づけとして有効になりそうなことを考えてみた。実際に現存する生物は共生が起きた時よりもどれも進化しており比較は難しいが、昆虫などで多く見られる細胞外共生している生物の中にはこれから実際に細胞内共生に変わるものもあるかもしれない。そのときはDNAの移行に注目してみたいと考えている。

◎講義を聴いて、オルガネラの重要性や、初めて葉緑体を獲得した植物の起源となるような藻類などのことについて知ることができました。クリプト藻類を共生させた繊毛虫は6ゲノムを持っているというのにはとても驚きました。 わたしが最も興味を持ったのは共生についてなのですが、長い歴史の中でさまざまな共生生物が誕生したのに、どうして葉緑体を持ち、光合成を行う動物は進化しなかったのでしょうか。他の共生生物が存在することからも、おそらくそういう生物が生じる可能性は十分にあっただろうし、葉緑体との共生によるデメリットはないような気がします。現在そのような生物が存在していないということは、何らかのデメリットがあったのか、もしくは従属栄養として進化することの方が適応的に優位であったのでしょうか。それにしてもそのような動物がまったく存在しないというのは不思議だと思います。

生物のエネルギー獲得戦略

◎ATP合成酵素が回転すること自体には分子モーターに関することをかなり前から知っていたことからそれほど驚きを感じなかったが、それを確かめるための実験方法には興味を持った。ガラス表面に酵素を固定し、回転するであろう部分にはストレプトアビジンを介してアクチンフィラメントを付加して視覚的に実証した実験である。おそらく酵素といった高分子を今の技術では一から人の手によって作り出すことはできないかあるいは困難である。しかし単純なパーツであればいくらか今の技術でも作り出すことが可能であるから、それをプラモデルのように一つの作品に作り上げることができるのではないかと考えている。ATP合成酵素の回転実験で行った操作はそういったことができることを強く示唆するものである。 ATP合成酵素と同様なものとして私の頭の中には分子モーターの存在がある。先日分子モーターが回転するときエネルギーとしてATPが消費されることが以前からわかっていたが、その方向とは逆回転に回すことによってATPの合成が確認されたという内容の論文が『NATURE』で発表されていた。そこで、ATP合成酵素の動向を視認できるようにするために行った操作と同様のことをしてATP合成酵素と分子モーターとを組み合わせ、有用でおもしろい分子ディバイスを作り上げることができるのではないかと考えている。しかしながら、利用に際してはまだまだ研究が必要だろう。例えば分子モーターのトルクや摩擦係数、安定性、効率、耐久性などなど調べるべきところは多いだろうが調べる価値は十二分にあるディバイスだろうと思う。ATPの半減期を考えてもその物質が地球生物に普遍的に存在していることからその有用性は引き立つ。(想像図は次の頁に描いた[ホームページ上では省略]) 有用分子ディバイスを作り上げるという意味でもう1つ思い浮かんだものがある。それは様々な葉緑体色素のアンテナを組み合わせることによってあらゆる波長の光を吸収し利用できる葉緑体を作り上げるというものである。葉緑体色素はそれぞれ固有の波長を吸収するアンテナを持っているが、様々な色素のアンテナを組み合わせることによって可能になるのではないかと考えている。しかし、たくさんの波長の光エネルギーを吸収させることは相当の高エネルギー状態を生み出すことになると考えられるのでもしかすると分子自体が耐えられないかもしれない。しかし、この葉緑体は先生がおっしゃっていたシアノバクテリアのスーパーミューテーションと同様に理想条件下ではかなりポテンシャルのある葉緑体ではないだろうか。この葉緑体が実際に作り上げられたとしたらエネルギーの発生や、環境汚染物質の分解、特定の生体成分の微量定量による病気の診断など、様々な分野で応用されているバイオリアクターとしても利用することができるだろう。 今研究している生物学的成果は将来的には非常に有用かつ環境に負荷のかかりにくいものを作り上げるのに大いに貢献するかも知れない。実際地球に生存している生物は、そのまま生きていくだけならこれほど環境に優しいものはないだろう。生命が進化するきっかけは環境の変化であり、常に環境が先行してそれに追随して生物が進化してきたからこそ何億年も生き続けてこられたに違いない。この生命のメカニズムを今の生活に応用しなくしてはもったいないのではないだろうか。そうはいっても人が手を介して利用される以上をバイオハザードに留意して利用させてもらわなくてはならない。

光の吸収と電子の伝達

◎葉緑体の色素にはクロロフィル、カロテノイド、フィコビリンなど様々なものがあるが、そのそれぞれに対して反応中心を持っていて、アンテナと呼ばれる構造から光エネルギーを反応中心に運ぶシステムになっていることを学んだ。しかしなぜ葉緑体の色素は特有の波長しか吸収できないような構造になっているのだろうか。その理由は、おそらく1つの葉緑体が様々な波長を同時に吸収することはそれほど重要ではないか、むしろ良くないためなのかもしれない。また他の可能性として、生命が誕生してから地球環境の大きな変動が多々あったはずである。そこで今とは異なった可視光が地表あるいは海水中に到達していたため、その波長に特化して吸収のできる葉緑体が生じ、そういった地球環境の変化を繰り返した結果が今の葉緑体色素の多様性を生み出す結果になったのかもしれない。環境に起因して葉緑体色素が多様化してくる可能性としてもう1つ、ニッチの側面から多様化してきた可能性が考えられる。 つまり、水の中でもその位置によって到達する光の波長が異なるため葉緑体を持つ微生物が水の中の各階層で棲み分けをすることによって葉緑体色素も多様化すると考えられる。 具体的に、原始地球が還元的大気であったか酸化的大気であったかには議論はあるが、今では酸化的大気の方が支持者が多いようで、COやCO2、H2Oといった気体が多かったようである。特に原始地球が高温な状態であったために大気中には水蒸気が多く、さらに地表に到達する赤色光の割合が多かったと考えられている。当時は赤色光以外の波長の光を吸収する必要がなかったために赤色光の吸収に特化した葉緑体色素が光合成をするような生物に採用され進化したのかもしれない。さらに、当時の環境では水中での光の到達も現在とは違っていた可能性が大きい。なぜなら大気の組成が違えば海水に解けている物質の組成も違っている可能性の方が大きいからその影響で海水への光の到達も現在とは違っていたと考えられるからである。 光合成色素はそれぞれ独立して生物が進化の過程で獲得してきたことについては上述したように考えてみることができた。見事に様々な波長を吸収できる色素があるにもかかわらず、しかも現在多くの光合成をする生物で複数の光合成色素を備えているにもかかわらず、あらゆる葉緑体色素を持って様々な波長の光を吸収できる葉緑体が蔓延していないのが不思議で仕方がない。様々な波長を吸収できるようにするためアンテナを複数の種類備えればあらゆる波長の光の吸収が可能になるはずであるが、実際進化の過程ではそんな単純なことがなされていない。分子の構造的に無理のあることなのだろうか。あるいは光を集めすぎると良くないのだろうか。偶然の産物によって今の葉緑体の構造ができたのだろうか。是非知りたいところである。

◎私は色に関係する研究をすることになっており、この光の吸収については、興味のある所である。植物の光の吸収によって森林、水中での周辺光が変化するために植物の光の吸収の機能が進化することで、動物の光受容体が受ける環境光も変化するために、かなり長いオーダーになると考えられるが、動物の色の進化についても影響を与えると考えられる。まだまだ、進化については研究がなされるべき所が多いためにまだなんともいえないが、私の研究でも、周辺光をデータとしてとる可能性があるので高等植物における吸収点の違いが大きいならそれについても調べる必要があると思った。

◎私は動物に興味があり、植物に関してはあまり勉強してきませんでした。高校でも物理を選択せずにきたため、今回のような視点から光合成を見たのは初めてでした。やはり、自分が今まで光合成を習ってきたのは植物オタクのような方ばかりでしたから。生命の歴史や進化の話で熱力学の第2法則が出てくるとは思いもよらず、はっとしました。そんな制約のもとで、何億年も生物が巧みにエネルギーを作り出して来たことに軽い感動を覚えました。しかし、同時に、それゆえにやはり限界があるのだとも感じました。講義は全体的には私には少々難しく理解しきれないところが多々ありました。しかし、いくつか分かるところもありその部分はとても面白く聞くことができました。 まず、興味を持った一つ目のトピックはアンテナについて。反応中心があり、その周りの色素がアンテナとなっているということは聞いた事はあった。ただ、なぜ周囲の色素が中心に電子を集めることができるのかは、ちゃんと書いてある教科書を読んだこともなく、マジメに考えた事はなかったが、これですっきりした(ある教科書には「吸収された光子エネルギーはアンテナ分子間をランダムに移動し反応中心に到達する」としか書いてなかった)。Deep trapのようなモデルはまるで頭になかった。例えば、紅色光合成細菌Rhodospirillum molischianumのアンテナ(集光複合体)は8個のαサブユニットと8個のβサブユニットが八角形の二重の環をつくり、環の間に32個の色素分子がはめ込まれている。他にも様々な構造があるようである。ここで、「これに使われる補助色素は、クロロフィルの吸収が弱い部分をカバーするように様々なものが使われている」というような表現をよく見る。これは、「様々な波長の光を反応中心に運べるようにできる仕組みである」と言っているように思える。だとすれば、様々な波長に対応する反応中心が進化してきてもよかったのではないかと思う。しかし、それはコストがかかりすぎるというデメリットもあるであろうし結果としてはそうは進化しなかった。私が思ったのは、クロロフィルの吸収の弱い部分がカバーされたのは結果であり,要はエネルギーを伝え易い順に、中心から遠ざかるほど吸収波長が短くなるように配置されているだけであるということである。進化的に見ても、中心から一層ずつ段階的に付け加えられていけばこのような結果になる。 しかし、エネルギーを集めるアンテナとはいえやはりロスは必ずあるはずである。収率などの具体的なことについて調べようとしたが、詳しい資料が見つからなかったが、ある資料によると、アンテナ系から反応中心までのエネルギー移動は10^-10s以内に90%以上の効率で起こるとある。また、先に述べた方向に進化が進んでいけば、さらにアンテナ色素の階層が増えるわけだが、その分ロスも大きくなるであろう。さらに、今回の講義でも取り上げられたように、強行に対し防御していることからも、この進化はあまり進んで行かないのかもしれない。

◎次に興味を持ったことは、二つ目の光合成システムを獲得したことである。今までの自分の不勉強さを痛感した。自分にはあまり関係のないことだと思っていたので、結果だけを必至に眺め覚えようというようなものだった。まず、なぜ、膜という構造が必要かということ、また、PSIのみ持つものとPSI、IIの両者を持つものの違いのキーワードが水であるということも、よく考えれば当たり前のことだが、見落としていたところであった。このあたりのことを考えていてふと頭をよぎったのは、中学の時にやった水の電気分解、それから燃料電池・・・  そこで、水の分解について少し調べてみた。PSIIの酸素発生中心(OEC)は2個の水分子を1個の酸素分子、4個のプロトン、4個の電子に分解する。OECはS0からS4までの五つの状態を繰り返し、S4からS0に移る段階で酸素が発生するものと考えられる。2個の結合H2O分子から、S0からS4までの各反応は光が必要で、それぞれ電子が1個ずつ、4回引き抜かれる。回復反応(S4→S0)は光と無関係に進行し、1個の酸素分子が解離し別のH2O分子が2分子結合する。5ステップの反応サイクルが1回まわると、水分子由来の4個のプロトンがチラコイド内腔に移動する。 OECが水分子から電子を引き抜くためには、五つの状態はいずれも還元電位がきわめて高くなければならない。またPSIIはこの酸化力がきわめて強い反応中間体を水のすぐ近くで長時間安定化する。OECには4個のMnイオン、2~3個のCa2+イオン、4~5個のCl-イオンがあり、Mnイオンは水分子から電子を引き抜く間に、Mn(Ⅲ)とMn(Ⅳ)の二つの酸化状態を行き来する。 さて、どのようにしてPSIIを獲得したのか詳しいことに興味がある。はじめはPSIを持つものがPSIIを獲得していったかのように思ったが、独立して進化して来たのかもしれない。だとしても、上にに調べたことだけでもかなり洗練されているように思える。水の物性、地球上での存在量からして、少なくとも地球上ではこれ以上ない材料のように思える。よって、いきなり水を酸化するということができるようになったのかは少々疑問である。前段階のものなどがあってもよさそうである。さらに効率がよくなるとすれば、別の新たな電子の源の利用ではなく、水を使ったシステムの洗練ではないだろうか。

◎今回の講義内で初めて正しく認識したことが"反応中心"という概念である。クロロフィルはすべて同様に励起され、それぞれから直接で光化学系を活性化していると勘違いをしていた。クロロフィルが複数存在し、一つの反応中心があることで広い範囲の光エネルギーを増幅できると言う利点にはとても感心した。しかし植物にとって集光する組織がクロロフィルであることは必要なのであろうか。実際には電子の流れを生み出すのは最後の反応中心のクロロフィルだけなのである。それでは多数存在するクロロフィルのうち時と場合によって反応中心になりうるものが変わってくるのだろうか。しかし電子を放出するクロロフィルは2量体で働くことがわかっており、その可能性は構造的にも低い。 それでは何のためなのか。実際にクロロフィルの構造を見てみると光を吸収しやすいヘム構造のポルフィリン環をもち、フィトール部分を持つことでひとつのタンパクに明確な方向性が出てくる。このことから規則正しく配列し反応中心の位置を各クロロフィルが認識しておくことが可能なのではないか、と考える。講義中に出てきたアンテナのモデルは2種類とも同じレベルの中ではランダムにエネルギーが移行していくことになっているが、実際には反応中心への極性があるのではないだろうか。エネルギーが移っていくときにはどんなに効率が良くてもロスが生じるだろう。それでは反応中心や集光に分けているメリットが削減されてしまう。この点を改善するために複雑な構造のクロロフィルを集光にも使っているのではないだろうか。 もし可能であればエネルギーの移りかわりを実際に目で追ってみられる方法があれば、この点ははっきりするかもしれない。あまり関係ないが、自分の大学の学生実験でカタラーゼを扱った際、(クロロフィルではMgであるが)酵素活性中心であるFeに阻害剤が配位したときのみに吸光度が大きく変わった。このイメージから、集光しランダムにエネルギーを移すだけならこのような複雑な構造は要らないのではないかと考えたのである。

過剰な光からの防御

◎講義の中で,実験室内でス−パ−変異体が生まれたということが話された.この変異体は実験室という変化の少ない安穏とした環境下だからこそ生まれえたということがわかる.つまり,多少のストレス耐性が失われてしまう代わりに,また別の能力をもつ変異体が出現したということである.今回はス−パ−変異体が生まれたが,ストレス耐性を失っただけの虚弱変異体が生まれる可能性もあったであろう.その変異体が素早く増殖する能力を持っていたなら,株がその変異体に乗っ取られてしまうことも考えられる.このような変異体の発生は避けられないことである.そのため実験室で野生株の保存をしようと考えるなら,変異体を取り除くことをしなければならない.そのためには出来るかぎり自然環境に近い条件で株を保存しなければならない.しかし,そのような対策はあまり現実的ではない.そんな条件を確保すること自体が困難だし,また確保したとしてもそのような条件で生育した物をミクロの実験にすぐさま使うことができるかどうか疑わしい.変異株が発生する可能性があまり高くないため現在はそれ程注意を払われていないかもしれないが, 野生株の管理というのは本来困難なはずである.発見が普遍的条件にすぐに当てはめられるようにするためには株の保存にも気を使うべきである.これは研究がマクロであろうとミクロであろうと当てはまる.たとえ1つの分子が生体内でどのように働くかを調べるだけであっても,おそらくは複雑なクロスト−クが起こっているであろうと考えられるので,妙な変異を持っていれば正確な機能が見えてこないということになりかねない. ところで,今回のス−パ−変異株の発生から,次のようなことが考えられる.ストレスの無い環境では,対ストレス用の遺伝子が必要なくなる.また,多少不都合な遺伝子があっても生存が可能となる.つまり,多様性が称じるということである.これはス−パ−変異体を発生させる契機になるかもしれないし,逆に不都合な遺伝子が蓄積して最終的には全滅を招く可能性も持っている.前述した野生株の保存の困難さなどはその一例である. しかし,これを逆に利用することもできる.例えば遺伝子の網羅的解析.解析を行うためには植物の遺伝子を1つ1つ壊して観察してやる必要があり,さらに何が変異するのかは予想が付きにくい.ここで研究室の野生株を調べてやるとおそらく多くの研究室で野生株ではなく実験室に適応した変異体が見つかるはずである.このような変異体は,実験室で生存できるという限られた能力を持っている.つまり,生存に決定的ではない変異である可能性が高い.そのような遺伝子を調べる時にはこの方法は威力を発揮するだろう.

◎シアノバクテリアの光環境応答のお話を伺って、生きていく上では、高等動物(人間)といわれているものでも、下等動物といわれているものでも、「程良く生きていく」事が大切なのだ、と痛感しました。まず、グルコース添加の状況下では小型のコロニーが、グルコースが無い状況下では大型のコロニーがより多く生育するということでしたが、この話からある動物が栄養不足の状況下では小さい個体同士が集まって大きな一つの個体となって有性生殖を行うという事を思い出しました。やはり、私はどちらも周りの環境とのバランスを考えた仕組みだと思います。光化学系Iも大型のコロニーが増え重なり合うことにより、強光下においてもその影響力がなくなるというということからは、森林の遷移を思い出しました。最初は、より光合成を行う陽樹がたくさん生育していきますが、ある程度まで木の本数が増えるとその陰で新しく若い木が生育せず、陰樹が今度は生育していくという流れです。そして、結局全体的に一番バランスのとれた状態へと落ち着く、飽和していくと言った感じでしょうか?それから、変異株(大型のコロニー)は変異体ながらも、 光阻害に強いという生きていく上で有利な特徴を持ちつつも、連続強光では逆に生育阻害を受けるということから、やはりバランス?やりすぎない、程良く生きていく?と言うことの大切さを痛感しました。この時、先生は「働き過ぎは体に悪い」と仰っていましたが、確かにそうだと思います。人間のみならず、全て生き物にも通じている事なのだとこの講義を受けて思いました。また、実験室という特殊な環境下故に生まれた変異株ということでしたが、今地球全体の環境が急速に変化しつつあり、50年ほど前に比べると今の環境は特殊な環境下なのかもしれません。私は「変異」という物に対してあまりいい印象を受けていませんでしたが、もしかしたらこの先スーパー変異といわれるものが人間に起こったとしたら、どんな変異が起き、どんな人間が生まれるのかと思いました。

◎今回の講義で、後半の適者生存、研究室内でのシアノバクテリアの進化についての話が非常に興味深かった。実験室にある野生株が進化を起こしていたという点には非常に驚かされた。そもそも野生型とは何かと考えさせられた。 シアノバクテリアの変異株が強光下でも光化学系Iを減らすことなく、強光下でも光合成活性は高く光阻害に強い。しかし、変異株は長期間の強光下では顕著な生育阻害が見られる。一方野生株は短期間の光阻害に弱く、生育も遅くなるが、長期の強光には逆に変異株より有利になるなど、変動する自然環境に応答できる。このように環境応答するための普通の遺伝子の破壊が生存率低下などの重大な結果を自然界ではもたらすが、実験室内では応答の必要がないため生き残り、更には適者として優先してしまう。このように普通の遺伝子に変異がおきえしまったものを野生型の実験生物として使用するのはどうなのだろう。 現在、さまざまな研究室で野生型として大腸菌やら、シアノバクテリアやら、多種多様の実験生物が培養、飼育されている。それらは、生育に適した一定の条件におかれ何代もにわたって培養されている。今回の講義で取り上げられていたシアノバクテリアの進化も研究室内での特殊な条件下あったことで適者生存が起こり進化を促進していた。環境応答の必要のない条件下におかれることで独特の変異型が優先しやすくなっているのは確かだ。実験室での培養が特定の形質の進化を促進しているの。もしかしたら我々が日々野生型として実験に使っているものはこのような条件での培養を重ねたことで野生型からはかけ離れた遺伝形質を持つものに変わってしまっているかもしれない。 現在私は、マウスやニワトリなどの脊椎動物を実験材料として使っている。これらは、シアノバクテリアなどと比較すると、変異のスピードは非常に遅いし、目に見える進化はおそらくおこらないだろう。しかし、実験室内での進化の話から、研究室内の環境が特殊なものであり、実験動物たちは少なからず元の野生型からは変化してきてしまっているのだろうと強く感じた。

◎葉緑体に関しては中学生程度の知識しか無かった。葉緑体は光と水と二酸化炭素を受けてデンプンと酸素を作り出す。もし、より多くの光を当てたなら、より多くのデンプンと酸素が生み出されるのだと考えていた。が、今回教えていただいた事実は私の予想とはまったく違っていた。まず、葉緑体が暗所では細胞のふちに移動することを教わった。これすら知らない知識だった。現在アルバイトで塾講師と家庭教師をやっているのだが、生徒は実に雑学を喜ぶ。この葉緑体運動のことも、私ですらうれしかったのだ、中学生の教え子たちはもっと目を輝かせて聞くだろうと思った。 このトピックスは講義の中で最も印象的だった。動画があったからだ。動画では葉緑体の集合運動と逃避運動の様子が鮮明に映し出されていた。まるで葉緑体1つが1つの命と意志を持っているようだった。1分間細胞に赤色光を当てると、当てた部分に2時間かけて葉緑体が集まった。また、青色光を当てると、葉緑体が集合してきたが、当てている部分にまでは入ってこなかった。光を消すと、光の当たっていたところに集まった。葉緑体は、光を当てている部分にはエネルギーが強すぎて入れないことがよくわかった。光と葉緑体の関係は、アイドルと追っかけの関係のようでおもしろかった。光の中心に近づきたいけど近づけずにいる葉緑体たちをかわいいと思った。葉緑体は光を欲しているが、受け入れられる光の大きさには限度があることを初めて知った。たとえば地球温暖化の対策に酸素生成物として葉緑体を使うとしても、その仕事率には限度があるということか。 今回の講義で葉緑体の解明は順調に進んでいるのだと思った。まず、その主な役割ゆえに私はどうしても葉緑体に対して地球温暖化を救うヒーロー像を期待してしまう。そういえば前にTVで、気温や室温を下げるために街のアスファルトやビルをコケで覆ってしまおうと語る学者を見た。葉緑体を真剣に利用しようとする姿が美しかった。過去に「葉緑体は植物の体内に侵入した宇宙人だ」と語った人も見た。愚論だが、今の人類の力なら葉緑体の乏しい植物に人工的に葉緑体を加える作業は可能なように思える。ならば、動物では、人では、と考えてしまう。将来、人間に葉緑体を加えることは可能だろうか。呼吸も光合成もする人類を作り出すことは可能だろうか。酸素の割合が小さくなり二酸化炭素の割合が大きくなっていく地球では呼吸しかできない人間は絶滅し光合成のできる新人類が生き残るのではないか。科学力で適当な光を作るのは容易、葉緑体さえ取り込めれば地下や火星でも人類は生きられるのではないか。遺伝子レベルで葉緑体が解明され、その可能性の答えがわかる日が来て欲しいと思った。 講義では光で葉に字を書く実験も見せてもらった。葉緑体の分布している葉に字の形に強力な光を当てるとその部分の葉緑体だけが逃避運動をしていた。これもおもしろいと思った。宣伝に使えるだろうか。デンツーや博報堂が知ったら飛びつくだろうか。一過性のものだから無理だろうか。光を当てて葉緑体がどいているうちにそこに別の色素を注入したら葉緑体は戻ってこられないだろうか。

◎後半で扱われた、シアノバクテリアの光環境応答についてがとても興味深かったです。シアノバクテリアといえば、ランソウと呼ばれることもある、植物と同じ酸素発生型の光合成を行う原核生物です。進化の上で初めて酸素発生型光合成の能力を獲得したと言われており、この地球上の豊富な酸素はシアノバクテリアによってつくられたと考えられています。 そんな太古から生き続け、ほとんど形態を変えずにいるように見えるシアノバクテリアもやはり進化しているのかと思い、生物のすごさを改めて感じました。また、普段研究に使っている身近な生物の違いを見抜き、研究しようとした自体がすごいと思いました。今まで何人もの研究者たちが同じものを見ていたのに気付かなかった、研究というものの奥深さを感じたし、研究できることは本当に身近に無限にあることを痛感しました。 研究室内でグルコースなし、強光という条件に適応し、進化したシアノバクテリア。光合成速度、光阻害耐性などの点から野生型より優位に見えるが、連続強光では生育阻害を受けるという弱点があった。そしてこの変異株の研究により、光合成活性を強光下で抑えることが重要であるという結論を導き出すことができた。変異株の発見から実験、データ処理、考察という一連の流れに沿った説明がわかりやすく、大変興味深く聴くことができました。

植物の低温感受性

◎低温感受性植物を育てる場合,どのようなことに気をつければより多くの収穫を得ることができるだろうか.低温阻害には低温感受性植物・低温・光・酸素のすべてが必要で,そのうちどれか1つでもかけると阻害を受けない.畑で低温感受性植物を育てるとして,阻害から逃れるすべを考えてみる. 低温阻害には低温感受性植物が必要である.つまり,低温感受性植物に低温耐性を持たせてやればいいのである.低温耐性は阻害を受けるシトクロムそのものあるのではなく,葉の中に低温から身を守るための構造が存在すると考えられる.低温感受性植物にもその機構を発言させてやればよい.そのためには,低温耐性を司どっているものが一体何なのかを特定し,その遺伝子を植物に組みこむ方法が考えられる.しかし,遺伝子導入を行ってしまうとおそらく商品価値が下がってしまうだろう.あまりこの方法を畑で用いるのは有効だとは考えにくい. 低温阻害には低温である事が必要である.低温を避けるためにビニ−ルハウスなどを使う事もよいかもしれないが,低温になるのは恐らく特定の季節の特定の時間帯だけである.その時間帯を低温から守れればよい.植物の肥料として使われる生石灰は水と反応して熱を発生する.この生石灰を量を調節して散布すれば畑を保温する効果が得られるかも知れない. 低温阻害には光が必要である.光を遮ってやれば阻害は起こらない.もちろん,常に光を遮ってしまっては粗博物が生長出来ない.しかし前述したように低温阻害が起こるのは低温である特定の時間帯だけなので,低温が低い時にのみ光をさえぎり気温が上昇したらまた光を当ててやればよい.冷え込む事が予想される早朝などに光を遮るシ−トを畑に敷いてやるか,近くで何かを燃やして煙で光を遮るという方法も考えられる. 低温阻害には酸素が必要である.しかし,こればかりはどうにもならない.畑に二酸化炭素を供給するパイプを配置し,そこから寒い日には二酸化炭素を出して酸素濃度を下げてやるということも考えられるが,そこまでするとコストの面からあまり有効であるとは考えにくくなる.この面から低温阻害を免れる方法を考えるのは少し無理がありそうだ. 以上のように低温阻害を免れる方法を考えて来たが,これ以外にも方法はあるかもしれない.例えば,低温阻害が見られるようになるのは低温から常温へと戻した後である.低温阻害を受けないような常温への戻し方も存在するかもしれない. 生物学がそのまま社会に貢献するを想定して発展しているのではない事は知っている.しかし,考えたことが自然界において通用するというのは再現性を見るよい機会である.そのように考えて今回のレポ−トを書いた.

 ◎植物は低温環境で低温障害を起こすものと起こさないものがある。低温障害を起こすものは、低音障害を起こす分だけ日中低温条件が回復した場合、光合成量は少なくなる。低温障害を起こさないものは、日中に低温条件が回復した場合低温障害が起こらない分だけ光合成量は大きくなる。一方で長期間低温になる環境においては、低温障害を起こすものの方が有利だろう。光合成能力が低下している代わりに、光合成系が保護されていると想像するためである。低温障害を起こさないものは、長期的には光合成系が破壊されていくために、長期間低温の環境では低温障害を起こさないものは不利であろうと思う。そのため、低温障害を起こすものは、寒冷な地方に有利だろうし、低温障害を起こさないものは比較的暖かい環境において有利だろう。 実際には、低温障害が起きない植物のほうが長期間低温にさらされる環境においても有利かもしれないし、低温障害を起こすものも長期間低温にさらされる環境よりも比較的暖かい環境のほうが有利なのかもしれない。 低温障害を起こさないものは、低温環境において光合成を行っても光合成系がそれほど障害を受けなかったり、光合成を行い障害を受けたうえで回復を行って、それでも効率がよいのならば、低温環境において低温障害を起こす起こすものよりも有利になるだろう。低温障害を起こすものは、低温障害に対するシステムがない分低温環境においては不利であり、比較的暖かい環境においては、低温に対するシステムが存在しない分だけ光合成能力が高くなり、低温障害を起こさないものよりも有利なのかもしれない。 低温障害を起こす、もしくは起こさないということに可塑性はないのだろうか。たとえば、日照条件なり低温環境にさらされる時間によって低温障害を起こすようになったりならなかったりすると便利であるように思う。低温障害に対する可塑性がないのならば、低温であるかどうかということは植物の生存にかなり大きな影響を与えているのだろう。植物の生存にとって大きな影響を与えないのならばこれほど厳しく条件をつける必要がないように感じる。そのため低温かどうかということは、自然界において重要な要因になっているのだろう。

ゲノムワイドな遺伝子機能の解析

◎昨今、ヒトやシロイヌナズナの全ゲノム配列が決定されるなど、「ゲノム」という言葉は広く社会に浸透しつつあるように思う。しかし、ゲノム研究が、なぜそれほど重要なのかを正確に理解している人は、どれほどいるだろうか。 ゲノムとは生物がもっている全遺伝情報の1セットのことで、生物がその生物そして生まれ、成長し、死んでゆくために必要な全ての遺伝情報を意味している。私たちの生命活動は、多数の遺伝子や遺伝子産物の相互作用の結果であり、様々な生命現象を理解するためには遺伝子間のネットワークを解明する必要がある。ゲノム研究では、まず対象とする生物がもつ遺伝子を全てリストアップすることから始め、各遺伝子の構造情報を利用して、機能についての研究を進めていく。この方法では、その生物がもつ遺伝子の全体像をあらかじめ把握してしまうので、遺伝子ネットワークを大きく捉えるには有効であると考えられる。いったんおおまかなネットワークがわかれば、その一部を構成する遺伝子の1つ1つについて詳細な解析を行うことができる。この意味で、ゲノム研究は個々の遺伝子からスタートする従来の遺伝学的アプローチを補完するものであるといえよう。さらに、ゲノム解析によって明らかにされるたくさんの遺伝子の構造情報は、遺伝子の進化やゲノム全体の進化についての手がかりをも与えてくれるだろう。また、ゲノム情報解読の大きな利点は、 遺伝子の構造情報を利用することによって、ゲノム中の全ての遺伝子を対象とした網羅的な機能解析ができるようになったことである。マイクロアレイ技術に代表されるこのようなアプローチは、遺伝子ネットワーク全体を捉えようとするゲノム研究の方向性を象徴的に表しているように思う。 植物ゲノム研究の今後の展開としては、主に2つの方向を考えることができる。まず、ゲノム解読のコストの低下によって、今まで以上により多くの植物について遺伝情報の解析が進むだろうと予想される。モデル植物や農作物だけではなく、藻類や裸子植物など多様な植物の遺伝情報を比較することは、非常に興味深い。同時に、人類にとって有用な遺伝資源、すなわち応用可能な有用遺伝子を多数見つけることができるに違いない。もう1つの方向としては、ゲノム解析の結果発見された新たな遺伝子の機能解明である。遺伝子の機能を実験的に明らかにするための方法としては、マイクロアレイのように網羅的で大規模なアプローチと、個々の遺伝子に集中する従来の遺伝学アプローチがある。これには、実験系に優れたモデル植物をうまく利用することが重要であろう。また、遺伝子の構造情報をもとに、その産物であるタンパク質の配列や立体構造から機能を予測する情報学的アプローチ(バイオインフォマティクス)も非常に有効な方法であると思われる。 ゲノム解読は、植物研究にとってこれまでになかったほどの大きなステップであるが、個々の遺伝子の機能や遺伝子ネットワークを解明するための研究は始まったばかりである。2万5000個あまりの遺伝子からなるシロイヌナズナの遺伝子システムを完全に解明するには、何百年という時が必要かもしれない。生き物とは、複雑で奥の深い研究対象である。

◎シークエンス技術の発達によってゲノム配列の決定速度は年々増加しているとのこと。実際、ゲノムデータバンクのサイトは世界のあらゆる研究室から送られる情報でめまぐるしく更新されているらしい。現在のモデル生物はシロイヌナズナであること、まもなくイネのゲノムも解明されることなどを知った。ある生物を調べよう思ったらまずそのゲノムを調べる、という時代がくることも知った。植物のゲノムを採取するのはまだいいと思った。動物でも培養細胞からゲノムを手に入れるのはまだいいと思った。直接細胞を手に入れる場合もシッポなどから取るのはいいと思った。だが、脳や内臓の細胞を得るために対象となる動物が殺されていることを考えると良心が痛む。生きるため、食べるためにほかの動物を殺す、あるいはほかの人に殺してもらっている自分は許せるが、好奇心を満たすためにほかの動物を殺す、あるいは殺してもらっている自分はなかなか許すことができない。細胞をプロテアーゼで溶かしてフェノクロやクロロホルムを加えてインキュベートし最後にエタノールを加えると3日越しで白い糸状のDNAが現れるのはうれしいものだが、 それにもその先の実験にも実験動物の犠牲があることは悲しいと思った。 シアノバクテリアの光合成遺伝子や非光合成遺伝子について調べる実験で、説明された実験におけるプロ意識をすばらしいと思った。たとえば、二次元クロロフィル画像で、最初、4つに小分けにした大きさでは一つの中ですら不均一だったため、データとして使えない、と判断し、次には一気に12個に小分けし一つの中の均一度を格段に上げていた。トランスポゾンを用いて変異株を作成するところではいきなり全遺伝子を使わずにとりあえず1割を使っていた。DNAマイクロアレイで左右同じにしたのは、もし同じようなデータが2つ取れれば「再現性がある」と判断できるためだった。私も今後実験をするときに、なぜそうするのか、を自問し、それに答えられるようになりたいと思った。