植物科学I 第8回講義

生態学的な研究例

最終回である第8回は、主に生態学的な研究例として雨の光合成に対する応答と、導管の太さで常緑の針葉樹と広葉樹の分布を説明できる、という話をしました。前者は、東大・理学部植物の生態研の大学院生だった石橋さん、後者は東大・付属植物園の館野さんの仕事です。今回のレポートは最終回ということもあって皆さんリップサービス旺盛ですね。


Q:今回のテーマはとても身近なところから取られていて、とっつきやすかったです。でもそれだけに植物の雨ストレスによる光合成阻害にはショックを受けました。昔、雨が降っているのを見ると「今日は植物に水をやらなくていいから楽だ。」とか、「植物は雨が降るとうれしいんだろうな。」などと考えていたのを思い出した。けれど、それは間違っていたんですね。葉が濡れてしまうとガスの出入り口である気孔が塞がれてしまい、低二酸化炭素処理を受けたのと同じ目にあってしまう。とすると、庭や鉢植えの植物に水をやるときなども、葉を濡らさないように根元だけに集中して水をかけたほうが良いのですか?根から補給する水分は何も害をもたらしませんもんね?
 雨チャンバーと晴チャンバーの開発に半年もかかったというのも驚きでした。夏目漱石の小説で、何かの研究の準備で(それが何だったのかは忘れました)ガラス玉を完全な球形にするために、毎日毎日研究室でガラス磨きに励む科学者がいましたが、どんな研究でも初期の段階というのはそんなものなんですね。
 今学期最後の講義となりましたが、題材がとっつきやすかったせいか今までで一番面白かった気がします。生態学にも興味が沸いてきました。ありがとうございました。

A:講義の中でも言いましたが、雨によって光合成が阻害されるには、1)光が当たっている、2)葉が濡れやすい、3)雨が6時間以上続く、という3つのファクターが必要です。ですから、光が弱い普通の雨の日には光合成は阻害されません。また、水やりを何時間も続けることはないでしょうから安心してもよいかと思います。ただ、濡れやすい葉の植物に芝生のスプリンクラーのようなものを使うのは避けた方がよいでしょう。チャンバーの開発は、実験条件の設定も含めての話ですよ。


Q:どうも、3ヶ月間お疲れ様でした。
  当たり前だと思って、いや、多分当たり前とすら考えずに何気なく生きてきていたら気にもしないような“雨が降ると・・・”や“寒い地方に針葉樹が・・・”と言うような事を、真剣に科学的に考えるようなちょっと人と違った見方で世界が見られたら普段の生活ももっと違って、もっと楽しくなるような感じがしました。
  雨処理と日照の関係を考えると、晴れていて雨が降るような状態で光合成能力が低下するような機構が働くという事は実際は起り得ない状況とはいえ、このような能力をもっている事が、植物にとって何か有利に働く事があるのでしょうか?Whyな質問なので答えは無いのかも知れませんが、針葉樹の講義を聞くと何の意味も無くそこに存在するんじゃなくて、当たり前だと思いこんでいる事にもなにかまだ人間には知られていない理由があるのではないかと思わされたわけです。
  植物の凄さを知らされる講義の連続でした。植物と言うと何だか受身だけの存在に思いがちだったのが、実は動けない(動かないのかも)と言う移動かなうな我々人間から見ると不利と思えるような状況を最大限有効に利用し、生きぬき、進化してきた植物に心から拍手を贈りたいと思わされました。
  植物万歳!!
  Howについては実際問題、調べるのが大変だと思いますが、日々whyを考えていけるような人になりたいと思わせていただけた講義でした。
  それでは最後に大好きな枕草子から 
  ほととぎすは、なほさらにいふべきかたなし。いつしかしたり顔にも聞えたるに、卯の花、花橘などにやどりして、はたかくれたるも、ねたげなる心ばへなり。みんなが当たり前のように良いものと言う”ほととぎす”を逆に憎らしいものとして見ている、他人と異なる観察眼を持っている清少納言を見習いたいものです。それに卯の花の襲も夏らしくこの季節にぴったりなので。(実際には旧暦だから少しずれてるかも)
 それでは、植物科学というコースでしたが、植物に限らず生物への更なる興味を伸ばしていただき、ありがとうございました。

A:光合成能力を上げる場合は「能力」と言えるかも知れませんが、下げる場合は能力とは言いきれませんね。もちろんそれが能力の場合もあることはあるでしょうけど。
 清少納言は多少ひねくれた感性の持ち主だったようですが、きっと研究者になったら大成したでしょう。紫式部はきっと研究者には向きませんね。


Q:生態学の限界は「Why?」に答えることまでなのでしょうか?今回の2つの実例においても「How?」という問題は生態学では確認出来なかったと感じます。生態学に興味のある問題においてもその問題を解決してくれるのは分子生物学であったり、生理学であったりだと思います。生物学が実験科学であるとするならば、実験科学でない生態学はなんであるのでしょうか?生態学は僕自身、非常にマクロな考え方だと思います。分子生物学等はミクロな学問と言ってよいと思います。経済学でもマクロ、ミクロともに独自にもまた、ある側面では有機的に関連し合いながら発展しています。今回の講義でミクロな学問(分子生物学、生理学)から生態学が受ける恩恵はわかりましたが、「生態学そのものが持つ独自な視点」に関してはあまり僕の中ではクリアーではありません、そして生態学の考え方によって分子生物学は発展するのか?(もしくは影響を受けてなにか革新的な考えは生まれたか?)という疑問も生まれました。
 全体を通してですが、1回ごとにレポートという形で自分の考えを確認出来る場があっておかげで、わかるところやわからないところを自分でメモしているような感覚があり、自分自身の理解度を自分で確認出来るという点が非常によかったです。

A:ワトソン・クリックの時代はいざ知らず、現在の分子生物学は方法論だと考えてよいかと思います。その意味で、分子生物学は学問分野というよりは技術だと思います。学問分野として「発展」する余地はかなり小さくなっている気がします。一方で、生態学は問題設定にあたっての態度だと思います。一般的には、生態学的な考え方はマクロな視点であることは多いのは確かです。しかし、シアノバクテリアの強光応答に関する変異株の話などは視点は生態学的と言ってもよいと思いますが、かなりミクロな話です。また、問題設定が生態学的であっても、それを解決するのに分子生物学的手法を用いることは可能です。「手法」と「問題意識」というのは、かなりレベルの違うもので、これを同じに議論するのには無理がある気がします。


Q:今回は生態学的なテーマを、光合成と関連した分子生物学的な手法で研究した例についての講義だった。前回は、ゲノムの発現を光合成の活性によって調べていたが、今回も光合成活性によって、雨の及ぼす影響や、暖温帯と冷温帯での植物分布などを知ることができた。生態学は統計的な研究が主だと思っていたので、光合成を通すことで分子生物学的にもアプローチできるのだと知って、とても新鮮だった。
 生態学に関していえば、私は最近、人間の居住空間の中で、本来の生態系が保たれた空間であるビオトープについて興味がある。ビオトープの公園などは植物を人工的に加工するのではなく、ありのままの状態で残している。(だからあまり目立たないらしいのだが。)環境問題への意識が高いドイツでは、農業などにもこの概念を利用していて、畑のなかにところどころ小さな林を残したり、ブッシュという緑地を残して小動物や小鳥にも住みやすい環境を残しているという。
 これは植物は自然の中での状態が、生物としての機能を最大限引き出すことができるという考えに基づいていると思う。しかし、実際には人間がその空間で生活するためには緑地整備という考え方も必要であり、ありのままの生態系というのは難しいだろう。このような問題について、無機的環境の及ぼす影響を分子生物学的に研究するのはとても有意義なのではないか。人間の住む空間と近接した場所で、生態系を残そうとする場合、植物にとって、どのような環境がもっとも適しているのかを知ることは大切である。
 話がまとまらなくなってきたが、とにかくこれからの生態学には、「今の環境がどうして作られたのか?」だけでなく、「生態系はどのようなメカニズムで作られていて、それを今後どのように活用できるのか?」といった姿勢も必要になってくると思った。
 最後になりましたが、一学期間を通して、初めての植物に関する専門的な講義だったにもかかわらず、大変わかりやすい授業でした。また生物学に対する態度も少し変わったような気がします。どうもありがとうございました。

A:今回話した内容は、分子生物学的な手法というよりは、生理学的な手法でしょうね。環境が大きな問題となってきている今、生物と生物、もしくは生物と環境の相互作用を扱う生態学は重要になるでしょう。その際に、どの程度、近年発展した分子生物学的な手法を取り入れられるかが勝負ではないでしょうか。


Q:「現存する生物の形態は生存競争の上でなんらかの利点がある」ということを前提に、その生物の仕組みを研究し、形態の利点を推定するという研究の過程はとても面白いと思います。今回の授業では、「寒い地方に針葉樹林が多いのはなぜだろう?」ということに対して、導管の機構をエンボリズムの理論を用いて解析し、水分吸収(運搬)に有利なためと推定しました。このように生物の形態や生理機能のもつ意味を、最先端の専門的な手法によって分析する一方で、そこから導かれる結論は誰にでもわかる言葉で説明できるというGapがとても面白いです。これは今回の授業だけでなく、生物学全般に通じることで、私はこの面白さに惹かれて生物学を専攻に選んだと言っても過言ではありません。この植物科学Iの授業でも、実験の手法は初めて聞くものが多く難しく感じましたが、実験の結果から考察されることはわかりやすいものであったことが、生物学の研究に対してさらに興味を持つ原動力となりました。

A:現代は学問においてもアカウンタビリティーが重要視されます。研究の結果、何がわかって、どこが面白いのかを、専門家以外に人にもわかりやすく説明することは、研究者にとっても必要不可欠なことになってきています。「誰にでもわかる言葉で説明できる」というのは重要なことですね。


Q:生態学的なアプローチは目で見えるにも関わらずデータの捕らえ方が人によって異なりやすい印象がありあまり好きではないが、今回の雨による影響の研究例では条件を出来る限り雨だけに絞ってあり、低二酸化炭素ストレスとの比較など割りと生理学的な手法が多く用いられていて分かりやすく信用性も高い気がした。しかし針葉樹の研究については、まとまっていてよく研究されたことは感じるが、どうもエンボリズムという考えがまずあってその説明のための研究のような印象を受けてしまい論理は整然としているにもかかわらず納得しにくい部分がいくつかあった。例えば導管径と南北の地域による差のグラフでは、データをどのように扱ったのか見えずらく(平均をとった等)、また地域によって気候帯が完全に区分されるとは感じないので、気候帯とは多少異なるが緯度で表すグラフにするなどしたほうが良いのではないかと思った。ただ、ゲノム解析と生態学の結びつきに関しては以前のシアノバクテリアの進化の例もありこれから期待できる分野であるとは感じた。

A:難しいですね。ある意味で、予想通りの結果が出てしまうと、どうしても「説明のための研究」という印象を与えがちです。また、データ処理にしても、気候帯なる抽象的な概念を数値化するのに、緯度がいいのか、平均気温がいいのか、最低気温がいいのか、など、おそらく正解はないのだと思います。いわゆる「検証実験」をできるような生態学になるといいのですけれども。


Q:最後となったの講義は、生態学的な研究ということで2つの研究例を見たのですが、両方ともそれぞれに興味深い点が多くありました。まず、新鮮だったのは生態学が他の分野と比較して直接Whyの質問に答えられないことが多いために、やや軽く見られがちということでした。しかしここで改めて今までの講義を振り返って感じたことは、生態学的な研究こそ実際の自然と人間の掛け橋を担う重要な役割を持ち得るのではないか、ということです。確かに科学という分野の持つ実証性や論理性の追及といった側面からは、切り込んで行きにくいにくい点も多くあるのでしょうが、逆に今まで自然が歩いてきた足跡、人為的な操作の加わらないありのままの地球の営みを理解する上で非常に意義深い研究ではないか、と考えます。事実今回の雨の植物への影響、なぜ寒冷地帯に針葉植物が多いのかというトピックは、僕としては今までの研究内容と比較して実体験と重なる部分が多くとても納得しやすかったです。特に雨と低二酸化炭素ストレスによるRubisco活性の低下、電子伝達の阻害が明らかになったけど実は日照によって自然界では見事にバランスが保たれているという事実には驚きましたよ。小学校のときからいくらぐったりしていても日中のかんかん照りのときは水遣りをしてはいけないと教わったことが、この研究で科学的な理論に裏打ちされ、実にすっきりしました。(といってもあの程度のジョーロの水でRubisco活性が半分まで失われていたとは思えませんが、、。)いずれにしてもこの研究はさまざまな環境のファクターを完全にコントロールした、ある種の非自然的環境下で行っていったが故に面白い現象が生じたわけで、逆の見方をすれば自然という状況下では生態系のシステムがいかに絶妙に構築されているか、を巧くillustrateしているのではないでしょうか。生態学的研究から見て取れるこういった自然界のサイクルや法則を学び、吟味していくことが、ある意味でその自然のサイクルから逸脱してしまってきた人間がこれからどのように進んでいくべきか、その生物学的なアプローチの指針となっていけるのではと思います。
 最後に一学期間ありがとうございました。先生の講義からさまざまな刺激と、新しい生物学的な視点をたくさん得ることができました。毎回目から鱗の連続でしたよ。自分としてもこれからがやっと本格的生物学の探検の開始だと思っています。そのスタートを切るにあたって、とても勇気付けられる話が多く、うれしかったです。そして、一度作った人間的つながりをちゃっかりこれからも利用させていただきたいと思ってますので今後ともどうぞよろしくお願いします。実は僕、環境問題に興味がありまして東大の新領域に研究室があると聞きました。いつかまたお話を聞かせてくださいね。それでは失礼します。

A:確かに生物を見ていて思うのは、自然はそんなに馬鹿なことはやっておらず、生物の振る舞いには何らかの理由がある、ということです。その理由なるものが、直感的には分からないものであればあるほど、わかったときには面白いですね。人間的なつながりは大事にしてください。


Q:「雨が降ると植物はどうなるのか」というテーマで修士を始めた方がいたとはなんだか親近感が持てました。講義の中で先生もおっしゃっていましたが、漠然ではありますが、とても素朴な疑問です。そこからどうやって実験を進めていったか、というお話も面白かったし、そこはやはり研究だなあ、という印象を受けました。こんな風に進めていくのか、研究って面白そうと思いました。実際は時間もかかるし、大変なことのほうが多いのでしょうが・・・。
 このお話の最後のほうで、実験の条件が、自然界ではあまりありえない状況設定にしてしまった点は失敗(言い過ぎかな)で、実際は雨が降るときは暗く、光はないので、実験で得られたようにはならないということでした。ここで、私も、確かに庭の水撒きは夕方にしなさいと昔家族に言われたことを思い出しました。自然ってうまくできてますね。
 後半のエンボリズムのお話でも、第1回講義で、植物の適応は動物とは異なり、自分の体を変えて環境に合わせて、残れるものしか残れない、というのを思い出しました。
 今学期の講義を通して、植物の戦略(損得勘定などなど)・自然がうまくできていること(人間は考えても、そうそう自然と同じようにはできないものですね。)を感じました。毎回楽しみでした。どうもありがとうございました。先生に覚えていてもらえないそうですが、あきらめずに声を掛けさせていただきます。

A:何でもそうでしょうけど、研究も思いがけない発見があったときには、俄然面白くなります。だからなかなかやめられません。100回ぐらい声をかけてもらえば覚えます(たぶん)。


Q:雨が降ると植物はどうなるのか?今までこのような視点から考えたことはなかった。太陽の光が届かなくなるから光合成はできなくなる、土壌の水分含量は増加するから根からは十分な水分を取り込むことができるだろう、ぐらいしか思い浮かばなかったと思う。授業では葉の濡れを主に取り上げていた。授業を聞きながら、そういえば小さい頃家の手伝いで花の水やりをやっていた時、母に「葉っぱに水がかかるとよくないから茎の根元にあげてね。」とよく言われていたことを思い出した。「どうして?雨が降れば濡れるじゃない。それでもあんなに伸びてるのに。」と思いながらも、その答えを考えることはなく、今まできてしまった。その答えがやっとこの授業で分かり、改めて、こんなに深い理由があったのかと思った。また、授業を聞いた後で太古の植物についても考えてみた。現在は気孔が主に葉の裏にある植物が多い。しかし、もしかしたら太古の植物は葉の表裏両方に気孔を持っていたということはないのだろうか。そして、様々な環境を経るうちに、気孔は葉の表よりも裏についていた方が雨が降った時も濡れにくくてよい、ということで表についていた気孔は退化(?)していったのではないだろうか。さらに、太古の植物と言われれば、ソテツやシダ類がすぐに思い浮かぶのだが、みな葉が細いように思う(イチョウは違うが)。それは、寒い地方には針葉樹が多い、というのと同様に、今よりも寒かったから今普通に見られるような葉の広い植物が育たなかったということもあるのだろうか。

A:確かに、葉の裏に気孔が多いことが、雨による気孔閉鎖を少しでも防ぐためだということは、大いにありそうなことです。これも、whyの質問の一種ですから、証明するのは難しいでしょうけど。シダなどが生えていたのは石炭紀だったかな?この時期は暖かかったような気が...


Q:生態学は、実験室において自然界と同じ環境、ファクターの下で実験し研究を進めていかなければいけないという点で大変だと思いました。一年(二年?)かけて慎重にチャンバーを作ったにも関わらず、光量という落とし穴があったというオチは気の毒でした。
 暖温帯種と冷温帯種の損得勘定を考えると、通年のそれぞれの生産総量に大差はないのでしょうが(暖温帯種は暖温帯の冬季においても水ストレスを受けるのかどうか聞き逃してしまったので、違うかもしれません…)、異常気象の発生や劇的な環境の変化を考慮すると、生産性は低いけれど冬場も光合成が可能な冷温帯種の方が有利であると思います。今回の内容は、今までと違って、展開が予測できるというか、裏切りのない単純な実験結果が多かった気がします。話は全く変わりますが、植物は動物よりも実験結果が出やすいということを聞いたのですが、それは、植物の種によるのでしょうが、動物に比べて世代が短く繁殖や世話が簡単であることなどのほかにどんな要因がありますか?
 一学期間ありがとうございました。先生の授業は得るものが大きかったです。同時に自分の勉強不足を痛感しました。動物発生を卒業研究にする予定ですが、この講義で心が揺らいできました。植物に関する先生の一押しの本などがあったら教えていただきたいです。夏休み中に読んでじっくり考えたいと思います。

A:気の毒ということはありませんよ。優秀な成績で博士号を取って、論文も5本書けたんですから。生理学としては充分に面白い研究だったと思います。植物と動物でどちらが結果が出やすいかは微妙なところでしょうね。方法論は動物の分野の方が進んでいる例が多いような気がしますが。本に関しては、どうも「この1冊!」という本はありませんね。やはり、最初はむしろいろいろ広く読んでみた方がよいのではと思います。


Q:とうとう植物科学I最後の授業が終りました。最後のテーマは生態学。生態学というと、今脚光を浴びているゲノムと違い、古典的でどの種の動植物がどこに生息しているといった文系的な学問のイメージがあったのですが、今回の授業の前半での分子生物学的なアプローチには興味を惹かれました。雨が降ると植物の葉が濡れると言う当たり前のことから光合成の阻害や低二酸化炭素ストレスに至るプロセスはとても勉強になります。この研究からいうと、お天気雨(晴れているのに雨が降る)が6時間以上という状況が続くと植物の光合成に阻害が起こるということだがありえない話ではないような気がします。こういった気象条件が起りうる地域があるのではないかと思うのですが。もしあるとすればその地域の植物の葉はどのような生理作用をしめすのだろうか。この植物科学Iは他の授業と違い実際に行われた研究を基にした授業でとても興味深かったです。研究を行う過程での考え方を講義する授業は今まで受けたことがなかったのでとても勉強になりました。唯一の障害は授業の時間がランチタイム直後で、そのうえ2限連続ということで眠気でした。しかし自分ではかなり興味をもって授業に望めたような気します。1学期間、とても短かったですがありがとうございました。

A:たぶんお天気雨が6時間も続くような地方の植物は、細かい毛に覆われていて雨をはじくんではないでしょうかね。僕は講義をするのが割合と好きですが、好きな理由の1つは「講義をする方は眠くならない」というのがあります。それに自分の興味を引く話題をしゃべれるし。講義を受ける方は、どの講義を取るかは選択できますが、取ったら、話の内容は選択できませんものね。


Q:今週は最後の授業だったのに出席できなくて残念でした。今回は授業は聞けなかったのでプリントを見た感想や質問を書きたいと思います。雨が降ると植物にはストレスになるという話は初めて聞きました。雨は植物にとってうれしいものという固定観念があったので意外な事実です。プリントではよくわからなかったのですが、雨粒が当たる事ではなく雨により葉が濡れるのが植物にとってストレスなのですか?それからなぜ雨ストレスと低二酸化炭素ストレスという一見全く違う種類のストレスに共通点があるのですか?寒い地方に針葉樹が多いということ自体は高校の生物でも聞いたことがありますが、その時はなぜ多いのか説明してもらったことはなかったと思います。導管内に気泡が入って通導を妨げるエンボリズムという現象が関係していたのですね。

A:雨ストレスは、気孔が雨で覆われた状態で、光が当たると葉の中の二酸化炭素濃度が低下するのが一因のようです。その意味で面白いのが、雨ストレスの逆の乾燥ストレスも気孔閉鎖を招きますから、似たようなことが起こる可能性があることです。


Q:今回最終回は、植物に対する雨の影響で、そこから生態学とはなにか、という発展だった。生態学についてちょっと考えていて、今朝何故果物は中が甘かったり外が甘かったりするのか、という幼き頃からの疑問について考え直した。中学の頃、スイカ、メロンなど一年生の実(分類上野菜)は中が甘く、桃などの木になるもの(分類上果物)は外が甘いというとりあえずの結論を出したのだが、今朝キウイフルーツを食べてしまったために脆くもその説は崩れ去って考えた。キウイは木になるのに真ん中(白い部分)が甘い。そこで、分類ではなく、目的を考えた。(これが生態学なのかな?)鳥とか犬猫が飲み込めちゃうくらいの小さい種のもの(スイカ、メロン、キウイなど)が中心が甘く、大きな種のもの(ももとか)は外側が甘いのではないか。何故かというと、小さな種は飲み込んで運んで欲しいから中心まで食って欲しい。でも、大きな種のものはもぎ取って運んでもらったり、放置されてころがしてもらえればいいからとりあえず引きつける外側を甘くしてあるのではないかと思ったのである。たぶんこれらは自然淘汰によって起こったのだろうと思う。普通に考えて無駄に甘いところをつくるよりかは、ポイントを抑えた方がエネルギーの効率がいいからである。こんなのが生態学かな~、と思いながら植物の気持ち(?)を考えてみた。
 一学期間、どうもありがとうございました。いろんな考え方を垣間見れた気がします。

A:植物の気持ちを考えるのは非常に重要だと思います。果物の甘さの考察に関しては、その説明だと、なぜ渋柿が残っているのかがわかりませんね。たで食う虫も好きずきで、渋柿を専門に食べる動物がいるのかしらん。


Q:今回は生態学的な手法自体が新鮮だったので、内容や結果についてはふーんという 感じでした。ただ一つわからなかったのが、なぜ導管径の小さいほうが結果的にエンボリズムを回避できているのかというメカニズムです。同じ大きさの気泡が入ってくる(=同じ条件にある)場合、導管径が小さいほうがその気泡によって連続的だった水の柱を断ち切られてしまう確率が大きいような気がします。単純に、気泡の直径より管の径が大きければ、その差のぶんだけ水は気泡の上と下でつながっていられると思うし…。
 授業の最後に先生が話してくださった「大きい怪物は存在しうるか」っていう話にもとても興味を覚えました。が、現在の陸上の最大がゾウと聞いた時点で、恐竜マニアの私は、あれ、恐竜はどうなのかな、と思いました。というか、テレビ番組や映画で大きな怪物を使いたいという理由で「動物はどこまで大きくなれるか」という話を考えたとしたら、ふつうの人がぱっと考えつくイメージに一番近いものが恐竜だと思ったのですが。でも恐竜に関しては諸説紛々で、絶滅の直接の理由は巨大化しすぎたことだと主張する人もいますね。
 私はもともと植物にはそんなに興味がなかったのですが、今学期が始まる直前に植物科学のシラバスからリンクされていた先生のホームページを見て履修を決めました。講義をしてそのフィードバックをE-mailで送り、それを先生のコメントつきで匿名でWebに公開、というスタイルが、とても良いのではないかと思ったからです。実際には、講義のあとにすぐレポートを書かないと結局週末まで書けずじまいで、期限やぶりのレポートを多発することになってしまいましたが(それでもwebに載せてくださったときが何回もありましたね。ありがとうございます)、総じて今でもこのスタイルはいいものだと思っています。過去の授業一覧があって、似たトピックについて過去に履修した人のレポートが見られるのもとても参考になります。唯一の欠点は、送るレポートが時間がないとただの数百字の感想に終始しがちなことかと思いますが(私もよくやってしまったのですが、おもしろかった、とか、ここが難しかった、とか、また単発の質問などは、次回の講義をする上で参考にはなるかもしれませんが、先生が本当にレポートとして求めているものではないような気がしました)、これはこのシステムの問題と言うよりは生徒一人一人がどのくらいの熱意をもってこの授業に取り組んでいるかの問題だと思うので、まあ、欠点というのとはちょっと違うのかもしれません。
 とにかく、内容(なかみ)よりむしろシステムというか講義の姿勢のようなもの(箱)にひかれてとったようなこの授業でしたが、授業全体に対してもそんな感じで1学期が終わりました。つまり、やっぱり私にとって植物や光合成はいまだトピックとしてそんなに興味を持てるものではなかったようなのですが、授業ではトピックそのものよりアプローチの方法や先生の生物学への姿勢など、これから私が生物学をやっていく上での方法論や哲学のようなものの一例を興味深くとらえることができたということのほうが印象に残っています。ただその箱に入れる中味が私の場合は植物や光合成にはたぶんならないでしょうというだけで。
 なんだかつけくわえるつもりだったのに長文を書いてしまいましたが……そういうわけで外部の先生にしてはICUっぽいというか、ICUが目指しているものに近い授業をしてくださったのではないかと思います。
 1学期間どうもありがとうございました。

A:導管が細ければ細いほど、水の凝集力(表面張力)が強くなるので、それで、エンボリズムが起こらなくなるのでしょう。逆に極端に太くして直径 10 cm の管にしてしまえば、エンボリズムどころか、最初から水が上がらなくなるのだから理解できると思います。
 まあ、十数人を相手に講義をして、その結果、みんながみんな光合成に興味を持ったら大変です。その意味で、僕の講義の中で、生物学への姿勢などで得るものがあったとしたら、より普遍的な成功といえるでしょう。最大限の誉め言葉ですね。


Q:今回で授業は最後となりましたが、最後の講義は前半が「葉の濡れ」の実験についてで、後半が地球規模でみた常緑樹の種類分布(広葉樹と針葉樹の割合の分布)についてでした。生態学、特に植物の生態学は先生の話をきくまで実際私ももう最近ではあまり活発でない学問分野だと思っていました。動物の生態系などはまだまだ謎に包まれたものが多く、特に海に生きる生物などは多く謎が残っているといいます。けれど地上のたとえば森林などは私たちにとって身近なものであり、一番最初に研究された場所なのではないかと思っていました。非常にマクロな「生態学」という分野でも、ミクロ、たとえば導管の太さとエンボリズムの関係とか、なところからアプローチが可能で、しかも木や森林の状態全体に関わりのある要素を取り出し研究をしたことに驚きました。どんな大きな木だって、中にはさまざまな小器官があり、さまざまな生体変化がおきているわけですから当然といえば当然なのですが、今まで生態学というと全体的な動向をみるものだと思っていたので新鮮でした。この講義全体を通して、世の中わからないことはまだまだあることを実感しました。自分が知らないことはもちろんそれこそいくらでもありますが、そうではなく、道ばたに生えている草ひとつをとってもその中にはまだ人間には知られていないことが隠されているのかと思うと自分では生物をほとんど勉強したことがなくても、とてもどきどきします。新しいことだらけの授業でつっこんだ質問もできませんでしたが、植物ってまだまだこんなにわからないことがあって、まだまだ驚くような新しい発見がどんどんでて来るんだということがわかっただけでも私にとってはとてもためになったと思います。ありがとうございました。
 そうそう、先生は和歌をお詠みになるのでしたよね。私の名前は百人一首、元良親王の歌「わびぬれば~」から来ています。本当はその通り「澪」の漢字が良かったんですが…。とにかくも身を尽くして誰かに会うかわりに身を尽くして勉強頑張りたいと思います(笑)。ちなみに大学で日本民俗舞踊同好会(実際は部なんですが)でさんさや神楽をやっています。神楽は山伏から始まった踊りと言われていますから最古でも役小角…鎌倉時代なので平安よりはずっと新しいですね。平安時代も大好きです。(愛読書はとりかへばや/笑)

A:生態学の分野は、分子生物学的手法の発展の恩恵から取り残された分野であった、という側面は否めないと思います。ただ、今後は少し変わっていくのではないかと期待しているのですが。
 僕も百人一首は好きですが、「みをつくし」は「こひわたるべき」と「あはむとぞおもふ」の間で、いつも悩まされます。