植物生理学II 第3回講義

光合成生物の進化

第3回の講義では、藻類の一次共生と二次共生を中心に光合成生物の進化について解説しました。講義に寄せられたレポートとそれに対するコメントを以下に示します。


Q:本講義では、「藻類の進化」を大きなテーマとして学習し、私はその授業の中で採り上げられた「ハテナ」という微生物に興味を抱いた。ハテナは細胞分裂後、娘細胞の一つは共生体を受け継ぎ緑色で、植物としての生活を維持するが、もう一方の娘細胞は、共生体を受け継がないため無色であり、再び別の共生体を取り込むという不思議な生物である(参考1)。つまり、1世代ごとに共生を繰り返していることを意味するが、私は、なぜそのようなコストがかかる手法を継続しているのか疑問に思った。以下では、その理由について考察する。
 まず、ハテナが共生体を宿している理由について考える。それは「従属栄養生物としてのメリット」が関係しているのではないかと考える。そもそも、共生を行う生物がなぜこの地球上に存在しているのか考えると、それは共生体と共にあることで、生存の上でのメリットが大きいからと考える。ハテナの場合、共生体を取り込むと、共生体内のミトコンドリアや内膜系は退化していくが、葉緑体のみ選択的に増大させることが示されており、これはつまり、宿主による遺伝的改変が行われていることを意味する(参考1)。選択的に増大された葉緑体が光合成を行ってくれるため、効率よくエネルギーを獲得することが可能である。従って、エネルギー効率の面で、ハテナは従属栄養生物として生息していると考察する。
 しかし、これだけでは、ハテナが1世代ごとに共生を繰り返すことの意義を説明できていない。従属栄養生物として生息することがメリットであるならば、細胞分裂時に、共生体も娘細胞へ一緒に分裂させておく方が後に共生体を宿すよりも、エネルギー的コストは小さいと思われる。しかし、実際そうではない。この理由として、私は、1世代ごとの共生を繰り返すことのメリットというよりも、「1世代ごとに共生を繰り返さなければならない」何らかの理由があるのではないかと考えた。いわば、「共生体の寿命」というような問題だ。
 ここからは一つの仮説として議論する。ハテナは共生体を宿主に宿し、暫くは生存することができるが、何かしらの要因(時間的要因や外部環境的要因など)で、共生体の機能が低下してしまう問題があるとしよう。すると、このままでは、ハテナにとって生存が危ぶまれるため、共生体を排出するといった対策を講じる必要がある。そこで、ハテナは、異物を体外から排出するエネルギー的コストよりも、細胞分裂時に娘細胞の片方に不要な共生体をそのまま宿したままにし、分離する方がエネルギー的コストは低くなると予想されるため、このような手法をとるようになったのかもしれない。この仮説を立証するには、採集した緑色のハテナ内部の共生体の状態を調査(光合成効率や遺伝子の塩基配列のダメージなどを調べる)する、または、外部環境の変化といった細胞分裂が生じる要因を調査する実験が必要だと考える。
参考文献:1) 井上勲・岡本典子 著, “【第1回】ハテナという生物:植物になるということ”, 日本植物学会, 参照日:2023/5/3, https://bsj.or.jp/jpn/general/research/01.php

A:これは、面白いアイデアだと思います。もし、共生を維持できないという仮説が正しければ、単に新しい共生体の供給源となる藻類を加えずに、ハテナだけで培養を継続した場合にどうなるかを見れば簡単にわかるのではないでしょうか。


Q:今回はハテナと呼ばれる生物が、葉緑体を、得たり失ったりを繰り返して生活をしていると学んだが、葉緑体を得ることでのメリットデメリットはなんだろうと疑問に思った。また人間などの動物の多くはなぜ葉緑体を持つことがないのかについても疑問に思った。また、葉緑体を持ちながら移動もできる動物がマイナーであるのはなぜなのかについても疑問に思った。葉緑体による光合成のメリットはエネルギーを得ることができる点があるが、デメリットは葉緑体を持つためにそれに合わせた体内構造を持たなくてはならない点などがあげられる。しかし、葉緑体を持ったり持たなかったりするような生物がいることは、構造自体を持っていても、葉緑体を保有しているだけでデメリットがあるのだと考えられる。参考文献より葉緑体は生命に必須な物質を破壊する活性酸素も発生するということが示されている。このような、活性酸素に対する処理機構を持っていたとしても、それを動かすこと自体が、デメリットになるのだろうと考える。また、人間などの動物が葉緑体を持たないのは、その場に止まってエネルギーを生成する葉緑体の性質と、動いてエネルギーを消費しつつ、それ以上のエネルギーを得るような動物としての活動と合わないのだろうと考える。
参考文献:https://jspp.org/hiroba/q_and_a/detail.html?id=5126&key=&target=

A:活性酸素の生成は、確かに考慮しなければならない重要な要因です。ただ、実はミトコンドリアも活性酸素の生成場所です。葉緑体が活性酸素を生成するという事実は、葉緑体以外は活性酸素を生成しないということにはならない点に注意する必要があります。


Q:ハテナという特殊な生活環を持った微生物が講義の中で出てきており、この生物のことは前にも何度か聞いていたが、それが葉緑体を獲得するハードルは思っているよりも低い、という考えに至る根拠になるというのが興味深かった。このように類を見ない生態の生物はどのような環境で生育するのかが気になったり調べてみたところ、詳細は明かされていなかったが砂浜であったという情報があり、そこまで特殊な環境や競争の激しい環境ではなさそうなのに対し、ハテナがこのような生態である理由が気になった。そもそも、ハテナのような生態では感覚的に普通の植物プランクトンよりも生存にコストがかかるように感じる。葉緑体を持たない娘細胞は動物細胞として生きるために捕食器官を持たなければならないし、一世代ごとに藻類を取り込まなければならない。こういったデメリットを打ち消すほどのメリットとして考えられるのは、まず単純に葉緑体を複製するというコストをかけなくても済むという点がある。親細胞の葉緑体の量が保持されるならば、個体数が2つになって、仮に葉緑体を持たない娘細胞が死んでしまったとしても、葉緑体を持つ側の娘細胞が生存できる環境ならば、個体数として減少はしていないため、普通の植物プランクトンよりもコストとリスクが少ない状態で個体数を増やすことができる。ハテナの生態はよくわかっていないが、もしも野生のハテナで、葉緑体を持たない方の娘細胞が藻類と共生せずに動物細胞として生きていくこともできるとしたら、その場合環境変化への適応能力が非常に高くなるというメリットがあるのではないかと考える。葉緑体を持ち、植物細胞として生きるならば被食者が不足しても生存でき、捕食器官を持ち、動物細胞として生きるならば光や二酸化炭素が不足した状態で生存することができる。環境がいずれかの状態になったときに、ハテナの分裂ではどちらかが生存でき、しかも何度環境がどちらに転じても形質を保持したまま種が存続する。砂浜の付近を例に考えるなら、赤潮などは捕食者が増え光が不足する、流動的な現象にあたるのではないかと思う。そうなると、排水などで定期的に光環境や栄養状態が変化する場所にハテナに似た生物は生息するのかが気になる。
【参考】井上 勲・岡本典子. "【第1回】ハテナという生物:植物になるということ". 日本植物学会. 更新日不明. https://bsj.or.jp/jpn/general/research/01.php

A:面白い視点ですね。環境変動に対して強いのではないかという推定は、納得させるものがあります。一方で、その前の「分裂後の細胞の半分が生き残れば個体数は減らない」という部分は、おそらくヒトなどの動物の個体群動態の感覚に引っ張られているかもしれません。水中の藻類の場合、通常は捕食圧が非常に高く、陸上生態系に比べて回転数が大きいので、分裂により非常に早く個体を生み出さないと一定の数を保つことができない例が多いと思います。


Q:今回の講義では、真核生物の起源としての細胞内共生について学んだ。共生によって生まれた細胞小器官のある生物とない生物のくくりとして、真核生物と原核生物という分類があるが、加えて真核生物は核が二重膜に覆われていることが特徴である。この二重膜があることで、細菌の侵入によるゲノムの移行は起きづらくなっており、遺伝子の水平伝播の防衛機構として、初期の真核細胞が偶然手に入れ、繁栄したものだと考えられるが、なぜ葉緑体やミトコンドリアのみが宿主のゲノムにまで根を張るように共生できたのだろうか。共生の初期段階では宿主と細胞小器官はどちらも原核細胞であったと推測される。現在まで原核生物が淘汰されていないことから、ミトコンドリアや葉緑体の元となった細菌がゲノムを宿主に移行することで葉緑体やミトコンドリアの数を制御するシステムが構築されたのちに、核膜を持つ共生生物の優位性が生まれ、現在まで至ったと考えられる。理由としては、細胞サイズの増大、複雑化によって、ゲノム情報をまとめておくスペースとして淘汰的に効率化されたこと等が考えられる。

A:よく考えていてよいと思うのですが、科学的な日本語の文章としては、もう少しあいまいさを減らした方がよいと思います。例えば、3文目が問題設定をしている部分だと思いますが、核が二重膜で覆われていることと、葉緑体とミトコンドリアだけが宿主ゲノムに遺伝子を移行できたのかという疑問との関係性がぱっと読み取れません。また、「根を張る」といった比喩的表現をすること自体は良いのですが、そのような場合には、例えられる事実を先にあげて、そのうえで「○○ともいえる」といった形で比喩を添えて比喩が示している事実を明示したほうがよいでしょう。その次の文が問題に対する答えで、最後の文がその理由ですが、答えの部分は経過を記述しているので、「なぜ」という問題設定に対してどの部分が答えになっているのかがはっきりしません。そのあたりの文の流れをもう少し論理的に進められるとよいでしょう。


Q:クリプト藻と渦鞭毛藻は同じ二次共生紅藻起源であるが、葉緑体包膜の枚数が4、3枚と異なる。これはクリプト藻では取り込んだ藻類の核をヌクレオモルフとして残しているが、渦鞭毛藻では残していないからだと考えた。しかし、それでは参考文献の渦鞭毛藻にヌクレオモルフが残っているとされる発表に反する。ここで、クリプト藻と渦鞭毛藻の違いはヌクレオモルフから宿主の核へ遺伝子転移が進行するか否かであると考えられる。ではその違いはどこから生まれるのか。それは葉緑体包膜の数に関係していると考えられる。包膜が少ない方が移動が容易にできるからである。
参考文献:https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000068.000047048.html

A:遺伝子移行と包膜の枚数を関連付けるアイデアは良いと思うのですが、これだけだと、どちらが原因でどちらが結果なのかが判然としません。何かによって包膜の枚数が決まり、それによって遺伝子移行が起こるかどうかが決まると考えることもできますが、異なる遺伝子移行の必要性が包膜の枚数を決めたと考えることもできると思います。そのあたり、前者ならなぜ包膜の枚数が異なり、後者なら遺伝子移行の必要性になぜ違いがあったのか、という点を提案してほしいところです。