植物生理学II 第14回講義

光合成の効率

第14回の講義では、光合成の効率を上げるための植物の仕組みと、藻類研究を例にとって、どのように光合成の効率を上げられるかの研究の方向性について解説しました。講義に寄せられたレポートとそれに対するコメントを以下に示します。


Q:今回の授業の中で草原などの強光下の場所において、草本植物などの植物は葉を斜めにして葉1枚あたりに当たる光量を少なくする事で、葉の枚数を稼ぎつつ光を最大限利用しているとあった。しかし草原などの強光下の場所において存在している木本植物は、強光下でも葉の付け方は弱光下と変わらず、光を受ける面積を広く取る様な付き方をしている。私は草本植物とは異なり、木本植物が光環境によって葉の生え方を変えない理由として、木本植物は草本植物よりも一定期間における成長量が少ないために光吸収の効率の高い葉の付け方をしなくても生存に有利にならず、またこの様な葉の付き方にも利点があるからではないかと考える。草本植物は一世代あたりの周期が短く、短期間の内に成長し、次世代を残さなければならないため、成長量が多くなければならない。一方で木本植物は周期が長く、次世代を残すこと以上に他の植物よりも高い位置に葉を付け、光が多く当たる安定した場所を確保し、競争に負けずにゆっくりと成長しているように感じる。そのため木本植物は、光を最大限利用することよりも、他の植物の成長を妨害する機能も兼ねて広範囲に広がる様な葉の付き方をしているのではないのかと考える。

A:これはよく考えていますね。木本植物の背の高さをどのように考えているのか(だんだん背が高くなることを前提に議論しているのか、チングルマのように草にしか見えない小さな木本植物の場合にでも成り立つのか)がややはっきりしないように思いますが、この講義のレポートとしては十分です。


Q:今回の講義では、葉の付け方によって光合成効率は変わり、光が飽和する環境においてはススキなどの葉を立てる植物の方が群落全体として光合成量を増やすことができることを学んだ。そこから光飽和に達したときの光合成速度をAmaxと呼び、Amaxと葉の付け方の相関性について考察する。文献1より、「Amaxが大きい植物の場合、葉を水平に一層配置するだけでほぼ最大の純生産量が実現される。一方、Amaxが小さい植物の場合は、葉を立てて密集されることで最大の純生産量を得ることができる。」とある。また、「樹木の葉のAmaxは小さい」とある。ここから、光合成効率の観点から樹木は葉を立てるのが良いと考えられるが、実際樹木の葉は立っていない。これはなぜか。これには光の入射方向が関係しているのではないかと考えられる。樹木には、ススキなどの草本植物と違い光を遮るものがないと仮定すると、葉を立てるよりも水平に配列した方が効率よく光合成でき、また樹木は群落全体の光合成効率よりも樹木一本の光合成効率を優先しているからではないかと考えられる。
参考文献 1. 樹木の光合成 | みんなのひろば | 日本植物生理学会 (jspp.org)/ https://jspp.org/hiroba/essay/tateno.html

A:これは、目の付け所はよいのですが、論理展開がもう一息ですね。講義でもやったように、ススキが葉を立てるのは直射日光の当たる環境ですから、「光を遮るものがないと・・・水平に配列した方が効率よく」の部分は少し見当はずれです。また、「樹木は群落全体の光合成効率よりも樹木一本の光合成効率を優先」という部分も、樹木一本が草本の群落全体にあたると考えることもできそうですから、もう少し考慮の余地があるでしょう。


Q:群落による葉と光合成について考察する。葉では同じ光量において光合成活性が頭打ちになっているが、群落全体で見れば光量が高くなっても頭打ちは起こしていない。これは葉一枚一枚に届く光の量は異なり、全体で見れば光量が上がっても頭打ちにならないということである。つまり群落には光が届かず光合成をあまりしていない葉も存在し、無駄があるといえる。また群落を形成することや葉を沢山生えさせるよりも、少数の葉の方が葉を生産するコストを考えると効率がいいように感じられる。しかし、一般的に生育状態がいい植物は葉を多くつけている。これは一種の「数を多くして生き残る確率を増やす戦略」の一つであると考える。葉の重量単位で見れば効率は悪いが、自然環境下では外敵が存在する。1枚あたりの光合成の効率を良くするために少数に絞ったところでそれを外敵に食べられてしまえば元も子もない。また病気などで葉が枯れることもある。葉の数を絞ってそれが全滅することは防がなければならない。葉を大量に生産することは必要なコストであるといえる。光合成の効率を落として、葉を増やすことは戦略であると考えられる。

A:これもよく考えていてよいと思います。ただ、後半の議論は外敵が存在しなくても成り立ちます。葉を多くするにつれて効率(葉一枚当たりの光合成速度)は下がりますが、群落全体の光合成速度は上がります。したがって、光合成速度の上昇が、葉をつけるコストを上回っている限り、葉をより多くつけることにはメリットが生じることになります。


Q:今回の講義で葉の付け方による光合成効率の話から生物学実験の授業で植物の高さと、その層に当たる光量についての実験をしたことを思い出した。実験では双子葉類の植物を利用したため葉のつき方は地面と平行になるようについている葉がほとんどであった。実験の結果としては葉の上層部から下層部になるにつれて照度は低くなり、光合成器官の乾燥重量を比較すると、下層部は上層部に比べて軽くなっていた。今回の講義で挙がった葉を立てて面積を稼いでいる植物は群落全体で光合成を行うということができ、相対照度は安定して高い傾向にあると考えられた。また、高さによる乾燥重量に差はあまりないと考えられた。また、葉が地面に垂直に存在しているということから、単子葉類がこのように面積を稼いでいる植物に当たる。植物体のほとんどが葉であり、非光合成器官の乾燥重量は光合成器官の乾燥重量に比べて非常に軽いと考えられた。

A:これもきちんと考えていると思います。せっかく単子葉植物を持ち出したのであれば、植物生理学Iでやった単子葉植物の出現と草食動物の出現の関係について考慮に入れるとよかったかもしれません。あと、日本人は「考えられた」が好きなのですが、科学的論文やレポートの場合、実際に自分が考えたのであれば「考えた」と能動態にする方がよいでしょう。


Q:光合成の電子伝達系では、より距離が近く、電子を素早く渡せる物質をいくつも中継することで逆反応を防いでいる。これは、電子伝達系の中で2度、光を利用してエネルギー状態を高めるためである。ということは、似たような電子伝達系であっても呼吸の電子伝達系では電子の受け渡しの向きは常に正反応であり、近い距離に物質を配置して逆反応を防ぐような仕組みは必要ないと考えられる。

A:着目点は面白いですね。日本語では「電子伝達系の中で2度、光を利用してエネルギー状態を高めるため」というと、光化学系が2つあることが重要であるように取れますが、実際には「光を利用してエネルギー状態を高める」部分だけが重要なのだと思います。文章は少しの工夫で読み手に意図が伝わりやすくなります。


Q:授業では、光が飽和する環境では葉を立てて面積を稼いだ方が群落全体としては光合成を増やすことができることを習った。しかし、次の2つの理由からこのことは絶対に正しいとは言えないのではないかと考えた。1つ目の理由は、葉を立たせるためには葉を丈夫にする必要があり、丈夫にするには細胞壁を強くする必要があることだ。細胞壁が丈夫になることで、葉緑体への二酸化炭素供給が低下する、さらに養分が細胞壁に蓄積されるので、光合成タンパク質にまで養分が行き渡らなくなる。その結果、光合成量が少なくなると考えられる。2つ目の理由は、光が当たる葉の枚数が多くなればなるほど、1枚当たりにあたる光量が少なくなるが植物全体としては光吸収率が上がることだ。その結果、植物全体では強光というストレスがかかり、ストレス応答で気孔を閉鎖する働きを持つアブシジン酸の合成が促されるようになる。よって気孔が開きにくくなるので、二酸化炭素を吸収できなくなり、光合成量が減るのではないかと考えた。以上2つの理由より、光が飽和する環境では葉を立てて面積を稼いだ方が群落全体としては光合成を増やすことができるというのは絶対的に正しいとは言えないと考える。

A:これも着眼点はよいと思います。ただ、「養分が細胞壁に蓄積されるので、光合成タンパク質にまで養分が行き渡らなくなる」という部分は、意味がよくわかりませんでした。あと、「1枚当たりにあたる光量が少なくなるが・・・植物全体では強光というストレスがかかり」という部分もロジックがわかりませんでした。1本の木が2本になったからといって強光ストレスはかからないと思いますから、何か前提があるのだと思います。「葉を増やしても根を増やせない場合は」などということでしょうか。そうであれば、葉と同時に根も増やせば解決するのではないかと思います。


Q:今回の講義で紹介されていた光合成と太陽電池との比較について考える。植物の光合成と太陽電池では光エネルギー変換効率という点で違いがあるが、太陽電池には飽和点がなく光が増えれば増えるほど効率は上がるため植物の光合成より効率が良いと感じる。しかし自然環境下で光が増え続けるという現象は考えにくいため植物の光飽和は環境に合わせ進化した結果であると考えられる。ここで太陽電池の変換効率を上昇させるために植物のような光吸収を行うものがあれば光の弱い環境下で光の吸収率をあげることができ現存の太陽電池より効率の良いものが作れるのではないかと考えた。

A:「自然環境下で光が増え続けるという現象は考えにくい」とありますが、講義で話したように、光合成と太陽電池の出力のグラフは、直射日光の光量の範囲内での話ですから、実際に、直射日光の下では光合成は飽和してしまいます。また、グラフでは弱光領域での出力が、光合成と太陽電池で同じとしてありました。それを前提とするのであれば最後の文の議論は成り立ちませんから、前提をきちんと示す必要があるでしょう。


Q:授業で、バイオマスの増加速度に関して触れていた。授業では、植物と微細藻類で比較されていたが、植物が季節によってバイオマスの増加(ここでは植物単体のみの成長量とする)速度に違いが起こるのか考えてみようと思う。初めに、バイオマス増加には光合成速度が必須である事より、日射の盛んな夏にバイオマス増加速度が高まる事が考えられる。次に、春と秋、最も照度が低いと考えられるのが冬である。しかし、植物によってシーズンは違うが、春に花をつけ、夏頃種を付ける。そして秋頃に花が枯れ種を落とす。よって、花や夏では、成長にコストをかける他に花や種にもコストを割かないといけないため、成長速度は落ちる事が考えられる。よって、照度は同程度だが、春は花を付けるため、秋の方が成長速度は早い事が考えられる。秋は葉が枯れ落ちるため、葉を維持するコストがかからず、成長速度が速そうであるが、冬に向けて養分を溜め込んでいる可能性もある。よって、1年を通してバイオマス増加速度はさほど変わらないのではないか、と考察する。

A:これはどうも前提(ここでいうバイオマスは何か)がわかりませんでした。「秋は・・・葉を維持するコストがかからず、成長速度が速そうであるが、冬に向けて養分を溜め込んでいる」とありますが、養分もバイオマスであれば、秋にバイオマス増加速度が高くなるはずです。他方、セルロースのような難分解性のものだけをバイオマスと言っているのであれば、足し算引き算だけの単純な議論にはやや無理があるように思えます。


Q:今回の授業で、1枚の葉の一生の間の光合成量には限度があることを学んだ。なぜ、わざわざ寿命を設けているのかについて考察することとする。限度を設けなければ光が当たる環境であり続ける限り光合成を行えるはずであるので限度をつけることはデメリットしかないと考えられるからである。では、なぜ限度を設けているのだろうか、まず一つ目に植物の枝は基本的に外側に向かって成長していく、つまり外側に向かってどんどん葉をつけるようになるということである。つまり、徐々に内側の葉に光が当たりにくい状況になっていくことになる。葉に光合成の限界量を設けることで葉に光が当たらなくなるころには落葉したほうが無駄なエネルギーを消費しなくて済むようにするために限度を設けていると考えられる。また、葉を落とす必要がある場合として虫食いや虫による寄生から身を守るためということも考えられる。古くなった葉は表面の組織がもろくなってくると虫による寄生や病気の侵入をしやすくさせることになってしまう。そのため、古くなりすぎる前までに葉としての役割を終えさせる目的もあると考えられる。

A:これは、ある程度論理的に考えていてよいと思います。できたら、あと、比較が欲しい気もします。暗い環境になってしまった葉を落とすための方策としては、時間で決めるよりは、周囲の光環境を感知して葉を落とす方がより適している気もします。そのような方法とのメリット・デメリットを比較できると素晴らしいレポートになると思います。