植物生理学II 第14回講義

植物の花

第14回の講義では植物の花について、その色、構造が決まるメカニズム、一定の季節に花を咲かせる仕組みなどについて解説しました。。今回の講義に寄せられたレポートとそれに対するコメントを以下に示します。


Q:今回の講義ではアサガオは日が短くなると開花するということに触れたが、調べてみるとアサガオは日没から10時間目に開花するということであった。よって年間の日没日の出時間を調べてみると、東京では6月の夏至頃を除いてほぼ一年中開花できる花であることがわかった。日没から10時間目に開花するということは、夏を過ぎた秋から冬頃は真夜中に開花することとなり、これでは花の色は意味をなさず昆虫によって花粉を媒介してもらうことが困難になると考えられる。よって自然界ではアサガオは夏に開花し、子孫を残そうとするのだと考える。通常は花の色は昆虫を引きつけるためのもので日中は咲いていることが多いが、アサガオの場合は夏でも昼にはしぼんでしまう。これはアサガオが自家受精も可能であるからで、日中ずっと開花して昆虫にアピールせずに、早くにしぼんでエネルギーを節約しているからであると考察する。アサガオの花の色が薄いのもこれに由来するからではないかと考えた。
参考文献:アサガオの生理学http://www.sc.niigata-u.ac.jp/biologyindex/wada/index2.html、日の出日の入http://keisan.casio.jp/exec/system/1236677229

A:しっかりかけていると思います。強いて言うと、自家受粉が可能だから、という論理なら、そもそも「日没から10時間目に開花する」意義は何なのだろうかという疑問がわかないでしょうか?そのあたりをもう少し考察できるかもしれませんね。


Q:私は今回の講義で、青い花(バラやカーネーション等)についての話にとても興味を持った。普段青い植物と聞くと授業でも仰っていたようにアサガオや、アジサイ等が挙げられるが、その他の色(例えば赤や黄色)と比べると比較的種類が少ないような印象を受けた。私たち人間も青色のものを見ると食欲が損なわれるというように、昆虫やその他の動物も青色の花には近づいてきにくいのではないかと考えた。しかし青色をしているということは青色であることの利点が欠点を上回っているからであるので、この利点について考えてみたいと思う。まず、虫は「青色」というのを波長で認識しているために色彩としての「青色」と感じ取っているのではないと考えられる。そのため、昆虫は短波長域に色覚を持つので、青色の波長を適波長に持つ昆虫にとってみると青色であることは利点となる。ただ、やはり青色の花が少ないということはそれに見合う昆虫も数が限られていると考えられるので、青い植物にとってみるとリスクが高いと思われる。従って、生き残るためには他の色も持っていたほうが生存確率が上がるので、アサガオやアジサイ等は様々な要因によるものであるが、多様な色の花が咲くのであると考えられる。

A:最後の部分、特定の色の花の議論に終わらずに、色の多様性まで考えているところがいいですね。これもしっかりかけていると思います。


Q:今日の授業では花について学んだ。花は、温度条件と光の条件によって花成することが知られている。そこで夏に咲く花の代名詞でもある、ヒマワリを冬に咲かすことができるかの実験系を考えてみる。環境としては、太陽光を阻害し赤色光・遠赤色光・青色光の3つの光を当てる環境にする。ヒマワリの一般的な育て方は、4月植えつけ、5月中旬肥料投与、7月~9月頃開花、となっているので、全て半年ずらした10月・11月に植えつけ・肥料投与を行い、1~3月に開花が行われるように試みる。そのため2010~2014年までの4月~9月の日照時間の平均、温度平均をデータなどから算出し、それを各半年ずらした環境になるように環境設定を行う。そして実験を行う。また対照実験として、・光は3色で温度条件を変えず、その日の温度にして測定したもの、・その3色の光は当てずに、温度条件は半年ずらしたもので測定したもの、も行う。対照実験では開花されず、二つの条件を満たしたものが開花されれば、花は温度条件・光条件に依存して、開花することがわかる。そして、人為的に花の咲く時期を操作することができるといえる。これは地球温暖化により平均温度の変化などが見込まれても、ある程度人為的に植物を生育させることが可能となることを示唆できるといえる。

A:環境条件の設定の仕方の説明の中に、なぜ3種類の光を使うのかの説明がないのが残念です。おそらくは光受容体が頭にあるのだと思うのですが、そのあたりをつなげて説明したほうが論理的なレポートになります。


Q:授業で、花がどのようにして目立つのかを習った。しかしそもそも花は目立てば目立つだけ昆虫を呼べてよいのではないかと思ったので、花を目立たなくするメリットについて考えてみた。まず、第一に考えられる理由としてはエネルギーの節約である。花は非光合成器官であるため、大きくすればするだけエネルギー効率は落ちてしまうため、花を小さくすればエネルギーの節約になる。第二に考えられる理由としては、目立つ大きい花を1つつけるよりも小さな花を多くつけた方がリスクが少ないことである。大きな花を少数つけた場合、もし食害などにより花を落としてしまった場合植物体にとって大きなダメージとなってしまう。しかし、小さな目立たない花を多くつけた場合、花が少し落ちてしまったとしても植物体にとってダメージは少ないと考えられる。

A:このように、逆に考えてみることは、科学的な議論をするには有効ですね。後半の部分、もう少し定量的な議論をすることも可能かもしれません。


Q:今回は花について学んだ。私が一番興味を持ったのは開花には日の長さが関係しているということである。そこで、毎年気象庁が発表している桜の開花予想にも日長が使われているのではないかと考えた。しかし、調べてみると気象庁は「温度変換日数」という気温を用いた方法で予想していることがわかった。それでは、日長では予想することができないのだろうか。それを確かめるために、桜に袋をかぶせて日が当たる長さを調節して開花の様子を記録する。それをグラフにプロットし、関係性が見つかれば桜の開花予想を日長でできるといえる。
参考URL:http://yumenavi.info/lecture_sp.aspx?%241&GNKCD=g002767&OraSeq=44&ProId=WNA002&SerKbn=1&SearchMod=2&Page=1&KeyWord=%u6c17%u5019

A:講義の中で、開花と花芽形成は違うという話もしましたよ。気象庁が調べているのは開花、日長によって変化するのは花芽形成です。ここをきちんと区別することは非常に重要です。


Q:風媒花の一種であるイネの花の構造を見てみると、雌蕊は「えい」と呼ばれる殻の内側に、雄蕊はえいの割れ目から花糸を伸ばしえいの外側に葯がある配置になっている。ボールを空き缶に当てる遊びを考えたときに、かごの中の空き缶を当てるよりもかごの外側に取り付けられた空き缶を狙うほうが当たりそうであることから、柱頭も葯と同様にえいの外側にあるほうが受粉の成功率をあげるという観点で理にかなっているように思える。しかし、実際には柱頭はえいの内側にある。その理由について考えてみた。まず、柱頭を外に出すために必要なコストの面から考える。柱頭を外に出すにはそれだけ胚珠との距離が離れることになり、受粉後に花粉管が伸びる距離も対応して長くなるのでさらなるエネルギーを花粉一つ一つに蓄えなけらばならない。さらに、えいの割れ目を通って外側に出るための誘導をおこなう機構も必要になってくる。また、えいを胚珠を保護するためのものではなく、花粉の回収を補助するためのものという観点からみると、えいがパラボラアンテナのように落ちてきた花粉を柱頭に集める役割をするように見えなくもない。インターネットの画像検索でイネの花を検索すると、えいの開き具合はものによって大きく異なり、割れているようには見えないものから90度ぐらいまで開くものまであったことから、えいが花粉の回収を補助しているかはわからないが、柱頭を伸ばすコストだけでも柱頭を内側に配置するのに十分な理由になると思われる。

A:立派な考察だと思います。このようなことを考える場合に、実は重要な点が二つあります。一つはイネが栽培植物である、ということです。実際には、野生のイネと栽培種のイネでは雄しべの出方などがだいぶ違います。もう一点は、植物によっては雄しべとめしべを同時に使わないものがあるという点です。可能性としては、ある時点では雄しべを外に出しておいて、その後、時間がたつとめしべを外に出すように変化することが考えられます。


Q:花は葉の変形にすぎないというのは授業でも触れられたようにゲーテが予言したことである。ゲーテは形態学の創始者としても知られ、生物の形をある一般的な形態からの変形として理解しようとする思考体系自体が形態学特有のものであり、要素還元論的な近年流行した生物学の考え方とは異なる。あらゆる形態は分節構造にみられる繰り返し構造の変形として記述されるという形態学の根本思想は、その初期には科学的根拠よりも観念的色合いが強かった。そのようなこともあって形態学はここ数十年、記載的な博物学のようで科学とは呼べないとまで虐げられてきたそうであるが、植物のABCモデルやそれに先立つHox遺伝子の発見によって、形態学の予言が要素還元論的アプローチが行き着いた分子生物学的文脈により裏付けられるようになってきたのは驚きである。そこで気になるにはゲーテのもう一つの予言、脊椎動物の頭部はつまるところ椎骨の変形にすぎないというものである。ゲーテは大胆にも頭骨は植物の花にあたるとまで詩的にうたっているが、脊椎動物の頭部分節性については未だに決着がついていない。最近になっていったん衰退した形態学が徐々に見直されてきた背景には前述したような分子生物学と折り合いがついた影響が大きいと思われるが、そんななか新たに誕生した進化発生学などの分野は、ゲーテの周辺の初期の形態学者らが無意識のうちに思考の基盤としていたものの中に生物進化の原動力を見出し、現代生物学の文脈で再記載しようとする潮流がほんとうに少しづつ生まれているような気がして、私もその流れに加わりたいと考えている。

A:これは、文章としては論旨が非常にしっかりしていて完璧に近いように思います。一方で、科学的なレポートとしては、ロジックが弱いように思います。論旨と論理は、必ずしも同じではないように思います。


Q:今回は花の話であった。その中で花の咲く時期は暗期の長さによって決まるという話があった。別の授業で、モンシロチョウの休眠に入る時期も暗期の長さによって決まるという話題も出てきて、生物にとって日の長さというものは非常に重要であることが予測できる。様々な生物において、気温や日の当たり方といった他の環境要因がある中で、日の長さが重要としている理由として考えられるのは、日の長さは1年周期で見ると不変であり、安定したものであるため、季節を感じるのに適しているためであると考えられる。また、光合成という生物にとってなくてはならない機構も光というものに頼っており、生物にとって光というのは必要なものであり、それを利用しているのではないかと考える。

A:しっかり考えてはいますが、他の要因との比較がないのが残念です。日の長さが安定している、と主張するのであれば、他の環境要因が安定していないことも示す必要があるでしょう。後半は、光に注目していて、確かに温度などのほかの要因ではないことが示されていますが、光合成に関して議論を展開しているので、この部分はモンシロチョウに適用することができません。そのあたり、少し工夫の余地がありますね。


Q:授業の最後がオバコの葉の地域によっての成長速度の要因について行いました。沖縄と北海道では光の強さや、温度について違いがあり、沖縄のほうが成長速度も速いことがわかった。しかし本当に光の強さが強く、温度が高いからといって早く育つとは限らないと考えられる。それはその植物自体が持っている『適応性』によるものであると思うからである。もし赤道付近にある生息域に育てば、温度が高いからと言ってすぐに大きくなってしまっては子孫の繁栄にはつながらない。よって日の長さが長い、短いによって左右されない「中性植物」が存在する。よって光の強さが強い、温度が高いという暖かいイメージが植物を大きくするのではなく、その植物に対する進化にある適応性が大切であると考えられる。

A:これは、テーマとしては非常に良いところに目をつけたと思います。ただ、やや文と分の間の論理展開が飛んでいるので、もう少し丁寧に論理を追ったほうが良いでしょう。


Q:今回の講義では、目立つ花や目立たない花が存在するということを知った。ヒトは普通、花弁の美しさに魅了される。そのため、目立たない花の存在に気付きにくいが、目立たない花も生態系を支えているはずである。様々な講義をうけて、生物の多様性というものを改めて感じた。それぞれの生物が生息環境に実にうまく適応する能力を獲得し、生きている。これは、長い年月はかかるものの遺伝的変異を経て獲得したものである。よって、遺伝的変異というものが全く起きなかったら、こんなにも生物が多様化はしなかったのではないかと思った。その点においては、ある意味で遺伝子が「完璧」でないことが重要であったのだと思った。

A:最後のほう、「思った」がつながっていますが、これをきちんと論理でつなぐと立派なレポートになります。内容自体は、ちゃんとしているので、表現方法だけの問題だと思います。


Q:花色の決定因子には色素や液胞 pH 、金属鎖体の形成があるが、そもそも花びらに色があるメリットとは何か疑問に思った。我々が園芸を楽しむためではなく、植物自身にとって様々な色の花びらを持つメリットを考察した。本来、虫によって花粉を運ばせる送粉は昆虫が植物から出る蜜の匂いに引き寄せられて花に近づいてくる。そのため、花の色は然程重要ではないと考える。しかし、このような虫媒花は派手な色の花びらをつける傾向にある。植物は細胞を維持したり、酵素活性においてエネルギーを使うが、花に色をつけるのにもエネルギーが必要だと考える。また、ゲーテの言葉「植物の花と葉は同じものから出来ている」より、本来だったら花も葉と同じように葉緑体をもち、緑色でもおかしくないと考える。しかし、植物が色取り取りの花びらをつけるには以下のメリットが考えられる。一つは嗅覚と色覚によって自分の元へ送粉をする昆虫を引き寄せるためである。また、匂いを出す植物と色覚的に擬態化することで匂いを出さない植物も虫に送粉させることができると考える。もう一つの理由として、花と葉の機能を視覚的に他の動物に伝えるためだと考える。葉は光合成を行うところで、花の内側には子孫を残す上で重要な雄蕊雌蕊などの器官が集まっている。そのため、花びらの色を葉と変えることで、虫の食害から守ることができると考える。このように花と葉の機能の違いを色で示すことで植物種の維持に繋がっているのではないかと考える。

A:最初の前提となっている「本来、虫によって花粉を運ばせる送粉は昆虫が植物から出る蜜の匂いに引き寄せられて花に近づいてくる」というのは、必ずしも多くの植物には当てはまらないと思います。一度花の近くに来てからであればそのようなことがあるとは思いますが。最後の部分、葉と間違えられて食べられないため、というのはユニークな考え方ですね。


Q:今回の講義では花芽形成は日長の変化に応じて開始されることに触れた。これは高校生物でも習ったことでもある。そこで生育する植物を取り巻く様々な環境要因の中でなぜ植物は日長の変化を目安に花芽形成が行われるか、一年間のサイクルであるなら気温でも良いのではないか。この理由を考えてみた。気温はその年によって平均気温が高かったりその季節に合わないイレギュラーな気温になるなど、かなり不規則なものである。気温に応じて花芽形成をするとこの不規則さに植物が勘違いして花芽形成してしまう可能性がある。一方、日長はその年によって変化することはない。こちらを目安にしたほうが植物にとっては毎年規則的な花芽形成を行うことできると考えられる。つまり気温は毎年微妙な誤差が存在するが日長はそのような誤差が全く存在しないため植物は日長の変化に応じて花芽形成を行うことで季節を間違えることのなく適切なタイミングで生育することができると考えられる。

A:この部分を議論するのであれば、実は日長ではなく、暗期の長さを感知している、という部分に注目して欲しいところです。明るさと暗さのどちらにより再現性があるかを考えてみると、いろいろ考察の余地があると思います。


Q:今回の授業で青いバラやカーネーションは人工的に作られたもので、自然界には存在しないという話があった。青い花を持つ植物にはオオイヌノフグリやツユクサなどがあるが、他の色に比べて少ないようである。その理由として、花粉を媒介する昆虫や鳥が青色を識別できないからではないかと思ったが、調べてみると昆虫や鳥は青色を識別することができ、さらにヒトには見ることのできない紫外線を色として認識できるようである。そこで他の理由を考えてみると、青色は空の色であるため、他の色に比べて花の色として認識しにくいはずである。また、ヒトに比べて、認識できる色の数が多い。そのため、植物はその色を避けて、他の色の花をつけているのだと考えられる。

A:最後のほうは締め切りぎりぎりだったのか、ちょっとおしまいの2文はやや意味不明ですね。レポートは余裕を持って提出してください。


Q:今回の講義では花の色の決定因子について学んだが、その中でもアジサイの色が変わる原理について興味を持った。アジサイは土壌のpHによって花の色を変化させるが、そのメカニズムはどのようなものなのだろうか。アジサイはもともとアントシアニンの一種であるディルフィニジンを主要としている。ディルフィニジンはアジサイに含まれる助色素とアルミニウムと反応することによって青色を呈する。土壌のpHによって色が変化するのはこのアルミニウムの溶けだし方に関係があると考えられる。アルミニウムは酸性溶液には溶けるので酸性土壌に溶けたアルミニウムはアジサイに吸収され色素が青色になる。中性、アルカリ性にはアルミニウムは溶けないため花の色はディルフィニジンの呈する色そのままの赤紫を呈した状態となる。日本では青いアジサイが一般的であるように感じるが、それはなぜなのだろうか。近年酸性雨問題が騒がれているように、日本の雨は弱酸性を示す。さらに、梅雨といったように雨の降る頻度や量も世界平均からしたら高い方だと言えるだろう。そのため、弱酸性の雨によって土壌が大概酸性となり、日本には青色のアジサイが多く一般的であるとされるのではないだろうか。

A:もしそうであれば、公害が大きな問題となる以前の日本には青いアジサイが少なかったことになりますが。わずか50年ほどの間の変化だとしたら、記録をたどって検証できるかもしれませんね。


Q:今回の授業では花の色についての話があってそこに興味がわいたので花の色について調べてみた。虫媒花の野生植物のうち、最も多い花の色は白色で36.3%、次いで紫色(24.2%)、黄色(20.4%)、緑色(9.6%)、赤色(7.4%)、青色(1.1%)、褐色(0.7%)、黒色(0.3%)の順になっている。青色が少ないと思われる理由は授業で扱っていたので割愛するが、緑色や赤色の花をもつ植物が少ない理由を考えてみる。虫媒花の花の色は花粉を運んでもらう虫を呼び寄せるためにある。緑色は葉の色と同じで目立たないから少ないと考えられる。しかし赤い色の花は周りとは異なり目立つ。このことから考えられるのは周りの環境ではなく、花粉を運んでもらう虫に合わせた進化をした結果なのではないかということである。昆虫は白い色や黄色は識別できるが赤い色は識別できないためこのような割合になっている。花の色がつく花弁と蜜がある場所は厳密には場所が違う。しかし昆虫は迷うことなく蜜の場所へ口を伸ばしている。花の色だけでなく、例えば赤外線や紫外線などの反射の違いなどを用いていてそれを虫が感知していると考えてみるとその現象は成り立つように思う。

A:「調べた」というときは、なるべく出典を示してください。「進化の結果」という結論へのロジックはもう少し丁寧なほうがよいでしょうね。蜜については少し別の話なので、その部分は削って、変わりに前半の論理展開をもっとしっかりしたほうがよいでしょう。


Q:私は今回の講義でオオバコのエコタイプについて興味を持った。写真では、沖縄の個体は生き生きと生育しているのに対し北海道の個体は枯れた状態であり、オオバコは日長を感知しているがその目的は温度である、ということを学んだ。つまり、オオバコの中には日長と温度の関係性が確立されており、生育環境によってその関係性が異なると考えられる。私は、日長と温度の関係性が生育していた環境とは異なる環境下にオオバコがおかれた場合、どのように環境に適応するのかについて考えた。オオバコが環境に適応するには、温度変化を感知して自身に組み込まれた日長との関係を変更するか、日長よりも温度の感度を上げる、といういずれかの方法がとられるのではないかと考えた。前者の場合、温度を感知して日長との関係を書き換えなければならないので、自分が置かれた環境を認識するために何年か要すると考えられる。後者の場合、自分のサイクルと違うと分かった時点で感度の優先順位を日長ではなく温度にできれば、急な環境変化にも早く対応することができるが、一時的な変化にも反応してしまうという欠点もある。これを調べる方法としては、今回の写真にもあったように異なる環境下で生育した個体を全て同じ条件で育てたときの反応を何サイクルも観察し、その後それらの個体の温度変化に対する反応を観察するという実験が挙げられる。もし前者だった場合、サイクルを重ねるごとにゆっくりと環境に合わせて変化し、温度変化にも緩やかに適応すると考えられる。後者であった場合、一気に変化があらわれると考えられる。したがって私は、生育環境の変化があった場合まずは温度の感度が高くなって適応し、その間に組み込まれた日長と温度の関係性を変更して完全に適応する、という両者合わせた方法を取るのが最も効率的ではないかと予想している。

A:2つの可能性を考えるところまでは、すばらしいと思います。なかなか、ここまで考えられる人はいないのではないでしょうか。ただ、後半の馴化にかかる時間の議論については、なぜかかる時間が異なると考えたのかの論理がやや不明確であるように思いました。


Q:生物は,日長の変化から季節変化を判断している.講義では,高緯度程冬が寒いため,産地の異なる植物を同一条件で飼育したときに,高緯度産の個体程早く枯れることについて扱った.つまり,この場合,生育に直接関わるのは温度であるが,その判断には日長を用いていることになる.しかし,上の例からわかるように,日長で判断する場合,異なる環境へすぐには適応できない.また,暖冬など例年と異なる温度条件にも対応できない.一方,温度を直接感知すれば環境変化へ柔軟に対応でき,広い地域で繁栄できるように思われる.なぜ,温度を感知しないのか.これは,温度変化の予想ができないことが原因と考えられる.年ごとの誤差や異なる地域への適応には,確かに温度変化を利用する方が良い.しかし,日ごとの誤差について考えると,季節外れの対応をしてしまったり,それを避けることで対応が遅れてしまったりする可能性が高い.例えば,1週間連続で気温が下がったからといって,冬が近づいたとは限らない.一方,日長変化は規則的であり誤差はまず生じないため,あらかじめ温度変化を予測して動くことができる.つまり,環境変化への柔軟性というメリットより,全く季節外れの反応をしてしまうリスクを重視したと考えられる.

A:非常にしっかりと考えていて良いと思います。結論も説得力がありますし。


Q:身体の発達などに関して、動物は中央集権として脳が統率するのに対して、植物は地方分権のような仕組みで管理をしていると習った。植物と動物で、この違いが生まれた理由を考えたいと思う。動物は、脳を持つこと、そして自分の意思で自由に動けることが、植物との一番の違いである。自由に動くためには、1つの秩序をもって統率されることが必要である。脳の存在により、自由に動けるために、環境の良いところへの移動を可能になり、生き延びて繁殖することが出来る。一方、植物は動くことはしないため、その場の環境においての最善の状況へと、自らの形態を変えていくことが必要である。すると、その瞬間に応じて、それぞれの器官が変わっていく必要がある。もしも植物に脳があれば、脳が各器官を統率し、適切な処置をすることも出来るであろう。しかし、動くことができないために、もしも外からの有害な刺激を受け、脳部分が機能不全になってしまった場合、植物体全体が死んでしまうことになる。それを避けるために、統率器官を1つに集中させず、分散させる必要がある。このように、私は、自らの成長と繁殖を、動物は、脳を持ち身体を自由に動かすことで、植物は、動かない代わりに有害な刺激に対しての被害を最小限にできるようにすることで、達成しているのだと思う。つまり、このような違いが、中央集権か地方分権かの違いを生んでいるのだと思う。

A:これもきちんと考えていて良いと思います。ただ、動くのには脳が必要であるというロジックがやや弱いかもしれません。何か例を挙げて説明できると良いのですが。