植物生理学II 第8回講義

導管とエンボリズム

第8回の講義では、導管の流れが気泡の発生によって妨げられるエンボリズムの発生メカニズムを、東京大学の日光植物園の舘野先生の研究の紹介なども含めて解説しました。


Q:8回は途中からだったので、感想だけ書きます。地域(気候)によって導管の太さが変化する点が興味深かった。寒い地域だと、血液を不凍液にしている魚が存在する。植物で導管液を凍りにくい組成に変化させるものは存在するのだろうか?詳しくないが動物と違い、循環系ではないために難しいと考えられる。

A:今回は、鉄道が乱れていて大変でしたね。細胞内の細胞質を不凍液に変えることは植物もしています。ただ、導管液の場合は、最後に蒸散させなくてはいけないので、導管液に何かを大量に溶かしてしまうという戦略は無理でしょうね。


Q:常緑広葉樹林は冷帯地域には、葉が大きいため適さないということがわかった。また落葉広葉樹林、常緑針葉樹林も冷帯の環境に適合するために、進化とともに葉を小さくし蒸散を防いだり、葉を落とすことで蒸散を防ぐことはわかった。では、落葉針葉樹林というものは存在するのか、存在するとすれば、なぜ葉が小さいのにわざわざ落とすのかを考えてみる。簡単な仮説ではあるが、落葉針葉樹林が存在するのは、常緑針葉樹では寒い季節を越せないために葉を落とすことで寒い季節を越すのだと思われる。調べてみたところ、落葉針葉樹として挙がるのはカラマツであるとわかった。カラマツはシベリアに分布していて、ここから考えると仮説が少なからずあたっていると考えられる。また、イチョウも形態的には広葉樹だが、分類学的に落葉針葉樹にされることもあることがわかった。調べてみて思ったことは、確かに落葉針葉樹は存在し、仮説も正しいといえたかもしれないが、そもそも針葉樹と広葉樹は、葉の大きさの違いだけで分類されるわけではないために、存在する条件としては、ほかの要素(土壌面など)も考えなければならないのだろう。
(参考)屋敷林維持管理(http://www.city.tonami.toyama.jp/denku/gaiyou/tebiki/tebiki4-2.html#樹木の特徴)、地球環境研究センター(http://db.cger.nies.go.jp/gem/warm/Forestflux/flux02.html)

A:針葉樹と裸子植物は、代表的な種類が重なっているので混同している場合がたまに見られます。また、「寒い」と一言にいっても、たとえば雪の中は「かまくら」を考えるとわかるように、本当に寒い外よりはよほど温度が高く、風からも守られています。北方の植物では、雪との関係が案外重要である場合が多いようです。


Q:植物生理学の授業を受け2か月が経ちましたが、近頃は植物がまるで動物と同様に意思を持った生き物に感じられるようになりました。たとえば本日も最後に、針葉樹と広葉樹の性格(敢えて性格と書かせていただきますが)の違いについてお話がありましたが、私の持った「常緑針葉樹はエンボリズムを回避するために落葉すれば良いのではないか」という疑問は根本から順序が逆さまだったのだなと気付きました。針葉樹は元々その性格が“日々一汁一菜タイプ”であり、そしてその性格ありきのあの葉形なのであって、葉形が細いためにエンボリズムを懸念する必要が低い、という順序なのです。逆に落葉広葉樹は“夏に狂い咲き”タイプであるため…以下略。このような差が出るのは生存のための植物の戦略の違いなのでしょうが、何だか植物も動物(人)も色んなタイプの世渡り方法があって似ているなぁと感じて親しみを覚えてしまいました。
 本日の授業で、導管径と落葉広葉樹、常緑広葉樹の南北分布のグラフが出ていました。このようにマクロの視点で、かつ自然相手に行う研究は実験結果が必ずしも分かりやすいものでないことが多いと思います。同じ場所であったとしても環境によって導管径が変化している個体があるかもしれないし、全く同じ種で測定している訳ではないためばらつきが出たり、と想像するだけでもなかなか難しいものだと思われます。先生が導管径がなだらかに細くなっているのはなぜか?と問うていらっしゃったのも、このような問題点を指してのことだと思われます。そこで、できる限りこのような難点を回避するためには、何を心がけたら良いのか?という相談が本日の質問です。私としては統計的な精度を上げるためにnの個数を増やすことぐらいしか思いつかないのですが、何かアドバイスがありますでしょうか。

A:確かにマクロなデータの精度を上げるためには数をこなすしかないように思います。あとは、部分的に栽培実験を取り入れるという方向でしょうか。生理学をやっていても、常に自然環境における生理現象の役割を検証すべきなように、生態学をやっていても、場合によって環境を制御した実験系で検証するという必要があるのかもしれません。