植物生理学I 第2回講義

形は機能に従う

第2回の講義では、植物の形と機能の関係性を中心に講義を進めました。以下に、いくつかのレポートをピックアップしてそれに対してコメントしておきます。

Q:本講義で太陽エネルギーについて取り上げられていた。以前から、もしソーラーパネルが砂漠一帯に敷き詰められたらどれほど発電できるのかということと、その際のソーラパネル生産に伴うCO2排出量の具体的な数値が知りたかったので、これを機に文献を参照しながら以上2点について概算してみた。なお砂漠において太陽光を妨げるものは何も無く、1日の日照時間は12時間とする。まず地球の砂漠の面積について、砂漠の定義によって解釈は異なるが、文献①によると約6340万km2と想定されている。また、太陽光発電のエネルギー変換効率は20%代が多いとされているため(文献②)、今回は一律20%とする。また、文献③によると、太陽光発電によって間接的に排出するCO2は17~48 gCO2/kWh で、CO2ペイバックタイム(製造等で排出したCO2の元が取れるまでの時間)は0.77~2.2 year とされている。また、地球の地上表面に達する太陽エネルギーは1.0 kW/m2とされている(文献④)。これらを踏まえると、砂漠一帯に敷き詰められたソーラーパネルが発電できる電力は、
(1.0×10^6 )×20/100×(6340×10^5 )=1.268×10^14 kWh
そして間接的に排出されるCO2量は、
[(17~48)×10^(-3) ]×[1.268×10^14 ]=(0.216~0.609)×10^13 kg CO2
と推定できた。推定できた発電電力は人類のエネルギー消費のおおよそ2/3年分賄えるほどであり、排出されるCO2量は、同等の電力を火力発電で賄った場合の約倍と分かった。ソーラーパネルを砂漠一帯に敷き詰めたら、という仮想の事象について考えてみたが、もしこれを実現するとなると、相当量のレアメタルの消費や、輸送や設置にかかるコスト、設置した後の管理、砂漠の生態系変化など、さまざまな課題が考えられる。調べてみたところ既にサハラ砂漠でソーラーパネルを敷き詰めるプロジェクトが過去にあったらしく(文献⑤)、莫大なコスト等の問題があったため失敗に終わったとされている。ソーラーパネルを砂漠に敷き詰めるというのはまだ現実的では無いのかもしれない。
【参考文献】
①Aristeidis G. Koutroulis “Dryland changes under different levels of global warming” 『Science of the Total Environment』655 (2019) 482-511
②エコライフ『太陽光発電の変換効率ランキングと最高記録の推移』https://standard-project.net/solar/hikaku_efficiency.html 閲覧日2022/10/13
③産業技術総合研究所『AIST太陽光発電技術開発』https://unit.aist.go.jp/rpd-envene/PV/ja/about_pv/feature/feature_1.html 閲覧日2022/10/13
④新エネルギー・産業技術総合開発機構『業務用太陽熱利用システムの設計ガイドライン』https://www.enecho.meti.go.jp/category/saving_and_new/attaka_eco/reference/pdf/sekkei/sekkei_1.pdf 閲覧日2022/10/13
⑤AMPmedia 中森有紀『サハラ砂漠で太陽光発電。実現すれば欧州で使用される電力7000倍分をカバー、しかし問題も』https://ampmedia.jp/2020/03/24/sahara/amp/ 閲覧日2022/10/13

A:具体的な数値に基づいて定量的に考察している点は評価できます。ただし「排出されるCO2量は、同等の電力を火力発電で賄った場合の約倍と分かった。」の部分は何かの勘違いではないでしょうか。また、砂漠のプロジェクトが「莫大なコスト等の問題があったため失敗に終わった」というまとめ方はやや安易な気がします。太陽光発電自体は普及している技術なので、一般的な場合と比較して砂漠で発電する際にどの部分のコストが問題となったのかの考察が欲しいところです。


Q:植物では、基本的に根端分裂組織と茎頂分裂組織の2ヶ所の「端」でしか細胞分裂をしないことを学んだ。一方、葉に着目すると、葉の基部で細胞分裂が行われていて、先端部は分裂を停止していることを知った。では、どのような利点があって、葉では「端」で細胞分裂が行われず、基部で細胞分裂が行われるのだろうか。一つの要因として、捕食者から一番捕食しづらい場所が基部であるからだと考えられる。植物である以上、他生物から捕食されてしまうことは致し方ない側面があるが、捕食された際に、最小限の被害に抑える機能を植物がもっていても不思議ではない。ここで、捕食者側の視点に立ってみる。葉を被食しようとする時、先端と基部のどちらが被食しやすいだろうか。口の構造上、端の方が食べやすいはずである。我々人間でも、わざわざ葉物を中央部から被りつく者はそうそう見たことがない。加えて、葉の中で最も頑丈で安定しているのは、細胞壁のある茎に最も近い基部だと考えることができる。基部から被食するということは、自身を安定させる地を自ら破壊する行為に他ならない。このような理由から、基部が最も被食しづらい箇所であると考えられる。葉を成長させる一番の目的は、光合成を行える面積を広げ、エネルギーをより多く生成することである。万が一被食されたとしても、成長点が残っていれば、まだ葉を成長させられるが、残っていなければ、それ以上葉を大きくすることは不可能になる。このようなことから、基部に細胞分裂を行う成長点を持つことによって、生成できるエネルギー量の損失が少なくなるという利点がある。

A:分裂組織に注目して、端と元を対比させて考えるロジックは面白いですね。論理の流れが感じられて良いレポートだと思います。


Q:植物の葉がなぜ「葉のような形」であるかの理由として機能面からは光合成のためであると考えられている。しかしアルストロメリアは葉がねじれていて,向軸側と背軸側が入れ替わったようなかたちになっている。「アルストロメリアでなくても、身近な日本産の植物のウラハグサというものがあります。(中略) これも、葉が捻れています。」(1) 複数の葉で見られていることからねじれているこの構造は機能により形が制限されている中での環境に応じた多様性であると考えられる。アルストロメリアの向軸側と背軸側に着目してみると,向軸側は一般的な植物の背軸側のような,背軸側は一般的な植物の向軸側のような構造になっていてそれぞれ逆の役割を担っていると考えられる。なんらかの順応で葉がねじれて,後天的に構造が成っていったと推察できる。向軸側と背軸側の大きな違いの一つとして光合成の違いがあげられる。どのような理由でねじれたのかには謎が多いが,向軸側と背軸側が逆の役割を担った構造をしていることから,光合成の機能面から「葉のような形」になっていると考えることはできる。
(1)柴岡 弘郎.アルストロメリア葉はなぜつけ根でねじれているのか?.日本植物生理学会 みんなのひろば 植物Q&A.2017-08-28. https://jspp.org/hiroba/q_and_a/detail.html?id=3848. (参照2022-10-15).

A:着目点は良いのですが、この流れだとやはり葉がねじれていることの意味を考察してほしいところです。参照されているWEBページで専門家の塚谷さんもわからないと言っているからといってあきらめる必要は全くありません。専門家は、さすがに学術的にあり得ないことは言えませんが、この講義のレポートでは、本当は学問的にはあり得ないことであっても、一般常識に反しない限りにおいて想像力を最大限働かせて、何らかの仮説をたてて考察することが求められます。


Q:葉の葉の様な形はどのようにして形成されてきたかについて考えるヒントとして、積み木はなぜ四角いのかという考えが出てきたが、機能が形を決めているという考えのもとに積みやすい形だから積み木になったという考えについて、積み木のルーツを知る必要があると思いました。具体的には、積み木は積みやすい木材を積むことで生まれたのか、積み木を作るために木材を四角くしたのかということだ。先生は機能が形を決めているケースを授業で紹介してくださったので、逆に形が機能を決めているケースについて知りたいなと思いました。自分が考えてみたのは、骨と機能についてだ。骨の形が機能を決めているケースはあるのではないかと思いました。ぜひこのようなケースがあれば知りたいです。

A:「知りたいです」は感想の一種なので、この講義のレポートとしては評価の対象外です。また、知識を得たいのであれば、単に自分で調べれば済むことです。今の世の中、いくらでもWEBから情報を得ることができるでしょう。ただし、この講義では、調べもの学習も、それほど評価されません。最初に説明したように、この講義のレポートして求められるのは、自分なりの論理展開です。


Q:今回の講義でゲーテの「花は葉が変化したもの」であるという言葉が紹介された。ここでいう花とは、咢片、花弁、雄蕊、雌蕊からなる構造を指す(*1)。花が葉から変化したものであると考えたときに、葉の形態が機能によって決まるのなら花の形態も機能によって決定されるのではないかと考えた。今回は、被子植物の合弁花類に着目し、花弁の形態的意義について考えたい。私が疑問に思ったのは合弁花類の花弁はなぜくっついているのかである。離弁花類は花弁の形態から葉から変化したものであると素直に受け入れることができる。しかし、合弁花類の花弁は葉の形態と似通わない。一口に合弁花類といってもタンポポのように一つの花が多数集まっているものと、アサガオのように漏斗状の形をしたものがある。花とは、植物が効率よく、確実な受粉を行うために進化の過程で獲得したものであると考えることができる。タンポポのように多数の花が集まった花葉の集まりは一つ一つが雄蕊、雌蕊を有するため、受粉確率が上がるだろう。また、花葉一つ一つが種子を作るため、効率よく子孫を残すことができるだろう。そして、アサガオのような漏斗状をしたものは、花粉を運んでくれる虫が中に入り込みやすくより花粉が身体に付着するため、虫媒に適した形状であると考えられる。このように、合弁花は子孫を効率よく確実に残すことを目的し、理にかなった形状をとっていると考えられる。
(*1)花の進化, 平野博之, 東京大学大学院理学系研究科・理学部, 閲覧日:2022.10.15、https://www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/story/newsletter/keywords/10/02.html

A:このレポートは、自分なりの論理を展開しているという点では合格点です。一方で、事実としてはアサガオは自家受粉が主だとされているので、ここに取り上げる例としては不適切かもしれません。また、「合弁花は・・・理にかなった形状をとっている」と結論してしまうと、世の中に合弁花と離弁花という多様性がある点を説明できなくなってしまいます。離弁花が絶滅していない以上、離弁花には離弁花なりの利点があるはずなので、それと合わせて議論した方が良いでしょう。


Q:形は機能に従うということで、植物の葉がその'葉の形'である事には何らかの意味があることが分かりました。では、植物の種類によって葉の周りがギザギザしている葉(鋸歯を持つ葉)とツルツルしている葉(全縁の葉)があるのにはどのような意味があるのでしょうか?まず鋸歯の役割について、鋸歯はそのノコギリのような切れ目によって葉の周りを通過する空気に淀みを作り出し、光合成の効率を上げていると考えられます。実際、鋸歯を持つ葉の方が葉の窒素濃度が高い傾向にあり、光合成能力も高いことが伺えます。では、葉の基本的な機能である光合成に役に立つのに、鋸歯をもたない全縁の葉がそもそも存在するのは何故なのかについてですが、これは鋸歯を持つとその切れ目から葉が裂けてしまうリスクが上がるなどといったデメリットによるものだと思われます。その植物の生育環境に合わせて、個々の植物が、葉が裂けるリスクと光合成におけるメリットのバランスを選択した結果、鋸歯を持つ葉と持たない葉の2つがどちらも存在してるのだと考えられます。

A:このレポートは、「考えられます」「思われます」などという受動態が連発されていて、その主張が自分のものか、他人のものかが判然としません。少なくとも「鋸歯を持つ葉の方が葉の窒素濃度が高い」というところなどは自分で得た結果ではないと思いますので、そうであれば、きちんと出典を示してください。日本語の文章は主語を省略することが多いので、どうしても受動態を多く使いがちですが、自分の主張にはなるべく能動態を使い、他人の主張には出典をつけるのが、科学的な文章のお作法です。


Q:今回の講義では主に、植物の葉には様々な形態があり、それらは機能に基づいて決められているということを学んだ。中でも一番興味を持ったのは植物には中枢神経がないにも関わらず、葉の最終的な大きさが大体同じ(恒常性が保たれている)というお話で、葉の基部で細胞分裂をしている間に先端の葉を構成する細胞の大きさが決まるというメカニズムであった。私は細胞の大きさのメカニズムが、動物の発生における細胞の運命のようなプログラム化された先天的なものなのか細胞間コミュニケーションや物質の拡散による濃度の違いによって調整できる後天的なものなのか疑問に思った。私が考えたのは、葉が一定の大きさになるまで成長を促進する物質の分量はプログラム的に決まっており、全体の促進物質が一定量分泌されると制御機構が働いて、成長途中の先端にある細胞にまで細胞壁を通して細胞質連絡によって抑制物質もまた一定量拡散され、細胞の大きさが調整されるといったものである。つまり、促進物質と抑制物質の分泌量は予め決まっており、細胞の大きさは分泌後に調整されると考えた。ここでの制御機構というのは細胞が一定の大きさになるとその分圧力がかかるが、その圧力を感じてこれ以上増長させないようにマイナスの影響を与えるいわば負のフィードバックというもので細胞質連絡によって拡がる抑制物質が葉における促進を妨げていると考えた。分泌される量が決まっていることのメリットとして人間においても高すぎたり低すぎると血圧であったり身長であったり害になるが、植物においてはそのようなことはほとんど見られないのを鑑みるとミスを減らすために出来上がった機能なのではないかと考えた。細胞の大きさ決めにおいてフィードバックが働くメリットとして全ての葉の細胞が同じ数、同じ場所に同じ大きさになることはなく、限られた分泌量の中でどこを成長また分裂を促し、逆に抑えるのか細胞自身が受ける圧力や、分泌量の濃度から考えることで細胞の形、大きさの多様性が生まれるのではないかと考えた。結論として、決められた(運命づけられた)ものの中で、自分達で新たに構築(後付け)していくことで植物は恒常性を保ち、また、多様性を築いたのではないかと考えた。

A:このレポートは、人によっては空理空論だという人がいそうですし、もう少し「~なので」という根拠を間に入れて論理性を増したいところですが、自分なりの想像力を働かせている点は評価できます。この講義のレポートしては合格点です。


Q:なぜ植物は部分的に、それも主に末端で細胞分裂をして成長していくのかについて、全体的に細胞分裂が行われる動物と比較しながら考える。まずはなぜ部分的な細胞分裂なのか。これは生きていくうえで動くことへの必要性が関係しているのではないか。動物は栄養分や水分を求めて移動するために身体全体を動かす必要がある。動きをより良いものにするために身体全体で成長することが動物にとってはメリットが多いのだろう。一方で植物は栄養分を光合成によって自ら作り出すことができ、水分は土から摂取できるために移動する必要がない。よって成長を必要最小限にすることでエネルギーを節約でき、植物にとって生命維持に大きく関係しているのではないかと考える。次になぜ主に末端で細胞分裂は行われるのか。これは地上部では光合成が関係していると考えられる。末端が成長し、新しく誕生した太陽により近い組織が光を吸収することで、光合成の効率を一定以上に保っているのではないだろうか。

A:論理的な流れは感じられます。ただ、例えば最後のところなどの論理が少し気になります。末端が成長すれば、太陽により近い組織が生じるのは確かですが、全体が成長すれば、すべての部分がより太陽に近い位置に移動します。前者が良くて後者がダメな理由を論理的に説明する必要があると思います。


Q:今日の授業では主に植物の形とその理由を考える話がとても興味深かったです。「植物はなぜそのような形をしているのか?」という問いに答えようとするときに目的と仕組みの2通りの考えがあることを、今まで感じてはきましたが、言葉にすることでより科学的に考えられるようになったような感じがします。多様性には機能的な制約、共通性には系統的な制約があることも、言葉にすることで分かりやすく理解ができました。また、葉の形を形容する言葉ひとつにも、考える要素がたくさんあることもとても面白かったです。

A:講義をほめてもらうのはうれしいのですが、レポートの評価はまた別です。最初に説明したように、この講義のレポートでは、感想のみのレポートは評価されません。


Q:植物の葉について、大抵の葉は平たく、それは同じ体積の植物でもより広い表面積で太陽光を受け取ることができ、より多くのエネルギーを取り入れられるため生存に有利であると言われている。植物の形についての私の疑問は、なぜ多くの植物は小さな葉を複数枚持つのかということである。私の直感的な考えでは、小さい葉を茎に沿って螺旋状に複数持つことで表面積を確保するのは、太陽光に当てるという目的には非合理的ではないかと感じていた。例えばソーラーパネルと植物の葉は、太陽光を当てることが必要な器官ということで共通している。植物の葉の形、配列が光合成に最適だとしたらソーラーパネルの形を植物の形に寄せればより効率的な発電ができるはずだ。しかしソーラーパネルと植物の形は似ていない。それはソーラーパネルは生物ではなく、成長や繁殖のための器官が必要ない、ということもある。しかしそのパネルの形と配列について、小さな楕円形や心臓型のパネルを柱に螺旋を描くようにいくつもつける、というような形には作られないということは、植物は人間が考える限り十分に太陽光をなるべく多く当てるという目的を十分に果たせていないのではないかと考える。植物を上から見ると、葉が重なる部分、地面が見えている部分が存在し、その分の面積を生かし切れていないように見える。太陽光をなるべく多く当てるという目的を果たすために、新しい植物の形を考えるとしたら、ソーラーパネルのようになるべく一枚の葉を大きく、屋根のように高い場所で広げるのが一番効率的ではないかと感じるが、なぜ実在する多くの植物はそのような形をしていないのだろうか。
 一つ目の理由として、成長する上での制約があることが考えられる。植物は根端と茎頂しか成長しないことを学んだ。もしも葉が大きな一枚しかないとしたら、それは地上からどのくらいの高さにつけるのが最適だろうか。あまり低い位置につけては他の植物に光を遮られるし、茎の最上部につけるとしたら、茎頂の成長が限界を迎えるのを待たなければならないし、その間に必要なエネルギーは足りなくなってしまう。葉を複数枚持つのは植物がどのような成長段階にあっても光合成をすることができるためではないか。二つ目の理由として、一枚の葉は替えの効かないものであるからということが考えられる。葉の細胞は基部での細胞分裂の時点で先端での大きさが決まり、葉の成長は有限である。だから、例えば虫に食べられたり、動物に踏まれたりするなどしてその葉が欠ける事態が起きても、その面積を埋め合わせる成長はいくらでもできるわけではない。そして、遺伝的に一枚の葉がつくと決まっていたら、ソーラーパネルのように壊れたら取り換える、ということはできずにその個体の葉の機能は失われてしまう。こういったリスクに備えるために、予備としていくつも葉を持っておく必要はある。
 このように、直感的には葉の機能の本質のみを考えて形について考えていたが、メンテナンスと人のコントロールによって作られる人工物とは異なり、生物である以上、自分が負ったダメージを自分で修復したり埋め合わせなければならないことやどんな形にでも成長できる自由がない、など多くの条件と照らし合わせると、その器官の機能を最大限発揮させる形を作ることは必ずしも生存に有利ではない、ということを考えた。

A:非常によく考えられていて素晴らしいと思います。複数の視点から仮説を立てている点も評価できます。植物が大きな平面の葉をつけて地面を覆ったときのデメリットに関しては、この講義の最後近くで紹介する予定にしています。