植物生理学I 第6回講義

植物の茎

第6回の講義では、植物の葉の色について、前回の講義の補足をし、また、光合成生物と動物との相互作用について触れた後、植物の茎の意義やその高さに関するトレードオフについて講義を進めました。以下に、いくつかのレポートをピックアップしてそれに対してコメントしておきます。

Q:ウミウシの一種であるコノハミドリガイは、食べた緑藻の一部の葉緑体を自分の体内で利用して光合成を行う、盗葉緑体現象と名付けられた現象を起こすと考えられているそうだ。他にも、有孔虫や放散虫、繊毛虫、カタブレファリス類、渦鞭毛藻、嚢舌目ウミウシ類などの生物で確認されているという。ではなぜ盗葉緑体現象はこれらの生物だけが行っているのだろうか。上記に示した盗葉緑体現象をおこす生物に共通する特徴としては、「主に水中に生息して、大きさは小さい生物である」ということだ。私はこのことから、これら以外の生物は盗葉緑体現象を選択的にしていない理由があると考えた。なぜなら、これらの生物以外にも普段から葉緑体を食物として取り入れている生物はたくさん存在していて、利用することは可能であると考えられるからだ。選択的に葉緑体現象をしない理由の1つとして考えられることは、生物体の単位体積当たりの表面積が、大きな生物ほど小さくなることである。単位体積当たりの表面積が大きいほど、取り入れた葉緑体をすぐに自分の表面に配置して光合成をさせることが出来る。つまり、小さな生物ほど少量の葉緑体でメリットを得やすい。また、水中生物に多い理由として、陸上植物と水中植物の葉緑体の違いに注目して考えた。陸上の方がより多くの光を得られるので、水中植物はより厳しい環境でも耐えられて、かつ長持ちする葉緑体をつくらなければならないと考えられる(葉緑体をつくるコストを最小限に減らすため)。盗葉緑体現象を起こす生物たちは、水中植物の葉緑体が、自分たちにとって得となるような寿命や強さであると確信し、盗葉緑体現象を起こしているのではないだろうか。まとめると、自身の置かれた環境においてメリットを得られると確信できない生物は、盗葉緑体現象を起こさないのだと考えられる。
【参考文献】①日本光合成学会編,2015年4月公開,『盗葉緑体—光合成事典』,https://photosyn.jp/pwiki/index.php?%E7%9B%97%E8%91%89%E7%B7%91%E4%BD%93,(参照2021年5月21日)

A:単に、盗葉緑体は便利そうだという感覚ではなく、それが役立つ条件を考えている点で、評価できるレポートです。


Q:今回の講義の中で、コノハミドリガイを含む一部のウミウシが、餌から葉緑体の一部を体内に維持し、自身の生命活動に活用しているという話があった。そこで、なぜウミウシにおいてもこの一部のものだけが、特異的に盗葉緑体を行うのか考えてみようと思う。盗葉緑体を行うことで光合成産物を取り入れ、より生命活動が有利になるのであれば、すべてのウミウシに盗葉緑体現象が見られるはずである。ではなぜそうではないのか。ここで、コノハミドリガイだけに見られる「自切現象」との関係を考える。参考文献によると、コノハミドリガイは体の大部分を自ら自切した後、残った頭部から体全体を再生できるそうだ。この自切現象の目的もまだ分かっていないそうだが、コノハミドリガイに特異的であることから、盗葉緑体現象との関係性を考察する(自切現象の目的は考察の本題から外れるため今回は考えない)。体の大部分を切除することは、一般的な成長には逆の作用であるのだから、何か切除後に成長の助けとなるものが必要である。そこで、葉緑体を体内で維持し、光合成産物をも生命活動の糧とすることで、生存してきたのではないだろうか。さらに、葉緑体の活動には日光が必要であることも踏まえると、コノハミドリガイを含む一部のウミウシは、自切現象の損失を補うために、自身の生息範囲が日光のよく当たる場所であることを利用して、盗葉緑体を特異的に行うのだと私は考える。
〈参考文献〉・世界のウミウシ コノハミドリガイ、https://seaslug.world/species/elysia_marginata 閲覧日:2021.5.22

A:これも、上のコメントと同様に、なぜ一部のウミウシだけが盗葉緑体を行うのか、としっかり考えていて評価できます。ただし、「損失を補う」のがメリットであれば、自切をしない場合でもメリットになりそうです。自切と結び付けるのであれば、自切をしない場合にはメリットにならないように考えないといけませんね。


Q:本来葉緑体は植物のみに保持されるものだが、例外として葉緑体を持ち光合成を行なっている生物がいる。それはコノハミドリガイという嚢舌目のウミウシである。コノハミドリガイは藻類を食事とするため、その藻類に含まれた葉緑体が消化されず体内に残ってしまう。その結果、残った葉緑体を用いて光合成を行なっている。ここで疑問として、どうしてコノハミドリガイは光合成を行うのかということが挙げられる。コノハミドリガイは動物であり前述の通り藻類を食べるので、わざわざ光合成をしてエネルギーを得る必要はないように思える。そこでウミウシが食料とするものを調べると、ウミウシによって好みの食料は多岐にわたると分かった。つまり、ウミウシは総じて食べられるものがそれぞれ限られている。なので、もし食料がなかったとしても光合成でエネルギーを生成することで生命を維持できるのではないかというのが疑問の答えとなる。そのため、食べた藻類から得た葉緑体を消化できずとも自分のために有効活用しているのだと考えられる。

A:これも面白い考え方ですね。ただ、そうすると、なぜ食べるものをそもそも限るのかという疑問が生じますね。光合成をする代わりに、何でも食べればよいではないか、という疑問に答える必要があるように思います。


Q:今回の講義では茎の役割について学んだ。今週の植物形態学実験でシソクサの茎の断面を観察したため、茎の断面の構造からシソクサの水環境の適応について考えることにする。シソクサの断面を観察すると表皮細胞は一層のみであり皮層部分に空気間隙が発達していた。また、皮層の内側 や中心柱の周囲には葉緑体とデンプン粒が存在していた。シソクサは水生植物で冠水することもあるため、陸上に生息する植物のように防御や蒸散の防止することよりも表皮から酸素を取り込み他の器官への空気の輸送を優先した構造をとっていると考える。水中は酸素濃度が低く根は特に酸素を取り入れにくい環境下であるため空気輸送を効率よく行うために空気間隙が発達しているのだろう。また、茎にも葉緑体やデンプン粒がみられたことから表皮から取り込んだ酸素を使って光合成を行いエネルギーの貯蔵を行っていると考える。ただし、茎の中心ほど光が届きにくいにもかかわらず中心柱の周囲にもデンプン粒がみられたのは茎で貯蔵しているエネルギーを他の器官へ輸送しやすくするためであると考えられる。

A:学んだことを結び付けて考えることは非常に重要ですし、評価できます。ただ、「取り込んだ酸素を使って光合成を行い」といった間違いが気になるのと、「考える」「考えられる」というだけでそのロジックを示していないのが気になります。もう少し論理的に導くようにしたいところですね。


Q:茎のない植物が存在するということは、植物の器官として茎は必要ないということになる。したがって、それをわざわざつくるのであれば、できるだけ低コストでつくる方が植物としては有利になると考えられる。葉の大きさや重さを考慮しないと、茎はより細い方が低コストで済み、さらにより長い方が葉の光合成が有利になるので、茎は細長くなる。そう考えると茎が基本的に細長くなっているのは茎が必要ない器官であるからということになる。また、大きな樹木の樹皮などは既に必要なくなった部分として樹木の体を覆い守っている。樹皮は固くなったセルロースとして生理的な作用に関わらないので死んでいても構わない。茎の細胞は生きていて光合成も行っている。これは茎が細胞分裂して伸長していかなければならないからであると考えられる。よって、ある程度伸長が終った茎の部分では、細胞の活動は必要なく体を支えるだけに集中すれば低コストで茎の役割を果たせるのではないかと考えられる。そうでないのならば、茎には通導や体を支える以上の役割があるのではないかと考えられる。

A:やや道筋がわかりにくいように感じましたが、論理的に考える姿勢は感じられます。あとは、最後の「そうでないのならば」の所で、その他の役割を、仮説でもよいので提示できるとさらによくなるでしょう。


Q:私はタンポポについて調べていたときにタンポポの茎を長くしたようなブタナという植物があるということを知った。タンポポのように日当たりが良い所にあるのならばわざわざ茎を長くする必要がないと思うが、どうしてブタナの茎はタンポポと比べて長いのか疑問に思ったので考えた。ブタナとタンポポの大きな違いの1つは開花時期であり、ブタナは夏、タンポポは春に咲く。私はこの開花時期の違いが茎の長さに影響していると考えた。タンポポの場合は春に咲くため、周りの木々は葉をつけておらず、芽が出ている状態である。この状態ならば光が弱くなることが少ないのでわざわざ茎を長くする必要はない。しかし、ブタナの場合は夏に開花するため周りの木々はたくさんの葉をつけている。このような状態だと茎が短いと光が弱くなり、結果的に茎が長い時の方が光合成量を増やすことができるため、茎が長くなると考えた。また、もう一つの違いとしてタンポポとは違いブタナは茎に枝分かれが生じている。これはブタナは夏に花を咲かせるため、春に咲くタンポポよりも蒸散量が多くなり、蒸散する部分を増やす必要があったからではないかと考える。

A:面白い点に着目していてよいと思います。ただ、最後の所、「蒸散量が多く」なると「蒸散する部分を増やす必要」があるという部分の論理のつながりが理解できませんでした。


Q:今回の講義は茎と植物体の関係性について多くの考え方を学んだ。最適な茎の長さはその植物体の光合成活性を最大にするため、低密度で茎をのばさなくても日光が十分に獲得できる環境では茎が発達していない植物も生育している。講義ではキソウテンガイやタンポポが挙げられていた。その例外として、低密度の環境で生息しているが高い幹を持つ樹木、バオバブについて考察する。バオバブは主にマダガスカルやアフリカ、オーストラリアの乾燥地帯に生息し、高さは約30 mである。サバンナにはバオバブと並ぶような高木は生息しておらず、光をめぐる競争に勝ってその高さを手に入れたとは考えにくい。逆の発想ではどうだろうか。光をめぐる競争に負けた結果現在の乾燥地帯に生息しているという考え方である。熱帯雨林には50 mを超えるものが多数存在するため、高さの大小の辻褄は合う。つまりバオバブは高木になる方向に進化したのではなく、高木との競争の結果乾燥地域に生息するようになり、低くなる方向へ進化しているという仮説が立てられる。もう一つのバオバブの大きな特徴は軸と垂直方向に発達した幹が挙げられる。幹を太くすることで保水性を高め、乾燥地域での水の損失を小さくしていると考えられる。先ほどの仮説と結びつけて考えると、高さに割く必要がなくなった資源を茎の太さに充てることができているという見方もできる。

A:ユニークな発想でよいと思います。ただし、環境の変動と生物の進化についてどの程度のスピードを考えているのかが読み取れませんでした。進化の途中と言うからには、生物の進化の方が遅いと仮定されているのだとは思いますが。


Q:今回の講義では、おもに若葉の色の変化や茎の必要性についての推察を学んだ。茎は、もともと葉と根間の物質の交換のためにできたものではなく、葉と根をつなぐ存在が必要なため茎をつくり、結果的に物質の交換に都合が良かったのではないか、とのことであった。また、タンポポの茎がないのは、植物として日当たりの良い環境を好むため、葉を高い位置につけなくても光合成を十分にできることが例として挙げられていた。しかし、性質の関係上、光合成は問題なく出来るはずであろう植物にも茎は確認できる。この理由について考えた。先述の光合成は問題なく出来るはずであろう植物というのは、陰生植物のことである。この植物は、日光があまり当たらない場所でも生育することができる植物であり、弱い光でも光合成ができる。その例として、ドクダミが挙げられる。弱い光でも光合成が可能ならば、茎は必要なく、タンポポのようなロゼットの状態で生きることはできるのではないか。さらに、茎をつくらないことによって根と葉間の物質交換も瞬時に行われ、茎をつくる際のエネルギーを別の方へ使用することができ、無駄が省けるのではないかと考えた。ただ実際のところ、ドクダミには高さは低く、細い茎は確認できる。これには、より光を求めるという植物が生きる上での性質によって、最低限の茎が存在していると考えた。したがって、たとえ陰生植物だとしても茎は存在し、光を求めていることがわかった。
1.コトバンク デジタル大辞泉−陰生植物、URL:https://kotobank.jp/word/陰生植物-32941

A:これも着目点は良いと思います。ただ、弱い光でも光合成ができてたとしても、光がさらに弱くなってしまうと光合成が低下するのであれば、話は違ってきますよね。その場合、ドクダミ同士では競争が生じますから、やはり茎が必要になります。


Q:今回の授業では「常緑樹、落葉樹、一年草では若葉の色が違う」ということ、そして仮説として「それぞれの寿命が違うことから、植物にとって大切な葉緑体を大切に守るかによって葉のでき方も変わってくる」というのを紹介していただいた。私は授業中に別の仮説をおもいついたので、それについて考えてみたいと思う。それは、それぞれの子孫を残すために残されている時間によるものだと考えた。一年草はその名の通り一年しか生きることができず、その分子孫を残す機会もほんのわずかの期間しかない。そのため、子孫を残すには、花を咲かせたり、種子を作り出したりするための多くのエネルギーを必要とする。よって、早いうちに葉に葉緑体を入れることで光合成を開始する必要があるのではないかと考えられる。一方、常緑樹や落葉樹は急いで種の数を増やす必要はなく、また自己の体を維持するためのエネルギーは若葉ではなく、それ以前から生えている葉で担うことができる。そのため、急いで若葉に葉緑体を入れる必要がないので時間をかけて少しずつ葉緑体を入れているのではないかと考えられる。また、若葉は虫に狙われやすいため、時間をかけて葉緑体を入れることは生き残った葉の厳選をする事が出来ることでもある。そうやって無駄なコストを出さないようにしている部分もあると考えられる。

A:このように、学んだことに対して別の角度から考えてみることは非常に重要です。考え方もよいと思います。


Q:本講義では、椿の若葉は葉緑体という貴重品を持たないことで、それを失うリスクから逃れているという考えを知った。草の場合はそうではないことを学んだが、地衣類のコケなどは葉緑体の量の制御を行うのか考える。まず、葉緑体を食害などで失うことの他に、葉緑体を作り上げることに窒素などの貴重な資源を扱うことを考える。①コケは仮根で幹や土壌にへばりつき生息するため、草木のように窒素を土壌から安定的に吸収できるわけでは無い。そして生きる年数について考えると、②草は上に新たな葉が出来るとそこにエネルギーを回すために、陰になった葉を枯らすという戦略を取ることが出来るが、コケは高さが無いためその戦略を取る必要は無い。草と同じく貴重な葉緑体をすぐに作ることは変わりないが、①のように窒素などの貴重な物質を安定的に得ることができないコケは、その時期に葉緑体を作らなければならないという目的のために、若くても葉緑体を多く作ると予想する。また、②のように高さが無いため、陰になる葉のためのエネルギーの振り分けなどの戦略が不必要である。そのため、最初から多くの葉緑体を作ることのデメリットは、それほど多くないのではないか。草と同じようだと予想するが、窒素という観点を加えるとその目的は多少なりとも変化すると考えた。

A:これも面白い考え方でよいと思います。コケは、ある意味で草本の極端な例としてとらえることができますが、条件を極端に振って考えることは、一般的にも思考の幅を広げるのに役立つことが多いと思います。


Q:植物の被食防御と内部物質の関係について考察する。ツバキは葉の強度を上げることで害虫から防御力を上げている。さらに葉緑体の生成にはコストがかかるので、植物は防御の硬い古い葉ほど葉緑体が多くする。さて、葉の強度を上げること以外の被食防御として有毒物質を蓄えるという方法もある。例えばタラヨウやモモタマナはタンニンを蓄えて食害を防いでいる。タンニンは一般的に古い葉ほど多く蓄えられている。このことから古く有毒物質が蓄えられる葉ほど、防御機能が整っていると言える。これらの内容を踏まえると、有毒物質を防御策として持っている葉では、有毒物質の含有量でも葉緑体の含有量が増減すると考えられる。

A:短いですが、このレポートの場合は十分に論理展開ができていてよいと思います。せっかくなので、最後の部分は、「有毒物質の含有量でも葉緑体の含有量が増減する」というかわりに「有毒物質の含有量が多いほど葉緑体の含有量も多くなる」とした方が、よりその関係がはっきりします。


Q:講義のはじめに、「若葉がまぶしい理由」について考え、成長途中のためにまだ葉緑体をはじめとする体の構造がまだ十分に成り立っていない、との予測が挙げられた。それに関して、まだ守りの弱い部分に付け込んでチャドクガが食しているということだった。ここで疑問に感じたのは、なぜチャドクガはツバキなどの一定の植物の葉に群がっているのだろうか、ということだ。確かに、ツバキの成長中の若葉は食べやすいだろうが、それ以外にも適した植物対象はいるような気がする。そこで、チャドクガの幼虫の食行動についての実験を考えたいと思う。実験の前提として、親がツバキの葉に卵を産み付けるものと考える。まず、幼虫が初めて食べる葉がツバキだった時とそうでない時(何も食べない、初めて食べる葉がツバキ以外の植物だった時)について分ける。その上で、ツバキを遠くに、他の植物を近くにおいて、その後の行動を観察する。初めて食べる葉がツバキだった時の結果の予想としては、ツバキを始めに食した幼虫は、高確率でツバキの方へと向かうと思われる。これは、食事の機会を得ることで、視覚や嗅覚による何らかの情報を得て、ツバキと判断できていると考えられるためである。(もし仮に、他の植物の方に向かったのならば、幼虫にとっては食する植物の種類はどうでもよく、単に親が選んだ場所にたまたまあった植物を食べているだけで、食べやすさ云々よりも移動によるエネルギーの節約や危険性の減少に努めているものと考えられる。)次に、幼虫が何をもとにツバキに向かったのを調べるために、A.匂いが伝わらないよう、仕切りで区切る B.暗闇にする として、視覚・嗅覚どちらの情報に頼っているのかを見る。もし、上の結果が明確ではなく、ツバキにたどり着く前に、他の植物を経由して来たのならば、幼虫は、ツバキの葉の感触で判別していると考えられるだろう。では、幼虫が何も食べない、初めて食べる葉がツバキ以外の植物だった時はどうだろうか。私の予想では、何も食べなかった場合、一番近くにある植物を食べるのではないかと思う。そして、他の植物を食べた場合は、その植物に向かうと考える。これはちょうど、ガンの仲間が生まれて最初に見たものを親と思うように、チャドクガの幼虫も生まれて初めて食べるものをエサとする本能行動が仕込まれていると考えられる。この場合、親がツバキの葉に卵を産み付けることに合理的説明ができる。私は、この説(親がツバキの葉に卵を産み幼虫はその葉を食べる)を軸に、さらに視覚という情報をもとに、より食べやすい葉に移動しているのではないかと考えている。

A:実験を考えているのは良いのですが、説明が少し感覚的ですね。実験計画の際には、まず仮説を明確にして、それに対応して実験をデザインするようにすることが大事です。最後に実験の結果を解釈しているので、仮説が頭にはあるのだと思いますが、人に説明する際には、最初に仮説を提示してから実験の説明に入るのがよいでしょう。


Q:今回の講義で緑色のホッキョクグマの写真を見た。このホッキョクグマの体毛はストローのように微小な穴が開いている構造を持つため、その毛の内部に藻が入り増殖するため体毛が緑色になっているということを学んだ。ホッキョクグマ以外の動物にもこのような現象は見られている。人間の髪の毛でもこのような現象は起こり得るのだろうか。 人間の毛は海苔巻きのような構造になっており、内側から順に髄質、皮質、毛表皮の構造になっている。中心の髄質には空気の泡を含んでいる。そのため、藻が存在する環境下で毛表皮と皮質を傷つけるなどして髄質までの通り道をつくれば髄質の空気の泡の部分に藻を侵入させることも可能だと考えた。ただし人間の髪の毛は黒色をしているため、見た目ではわかりづらいと想像ができる。また、この髄質は加齢とともに太くなり、脆くなると言われている。つまり藻を効率よく目に見えるように人の髪の毛の中に入れるためには歳をとって髪の色が白になったときであると予想できる。 以上のことからこの緑色の毛を持つホッキョクグマと同じように緑の髪の人間になる現象は起こり得ると考えられる。
参考文献 http://www.8cho.net/ginza/zennrirenn.html

A:まあ、視点はユニークでよいのですが、結論は案外常識的ですね。今一つ視点のユニークさが生きていない気がしました。


Q:講義の中で「シロクマの毛の中に藻類が入って増殖したことによって、緑色になった」というお話と「植物の葉と茎のトレードオフの関係」との関連性を考えた。理由は、シロクマがリスクを被り、藻類がリスクを回避した関係性だったからである。具体的には、シロクマは本来、一面、真っ白な地域に生息している生物であるが、緑色になると、環境との同化が難しくなるため、外敵からの発見確率が増加すると推測する。対して、藻類はシロクマの毛の中に入り込むことで、外敵から身を守る環境を手に入れた。つまり、シロクマがリスクを被り、藻類はその分リスクを回避しているという、トレードオフの関係が成り立っている。また、このことからトレードオフは1つの個体間のみで行われるものではなく、2つ以上の個体でも起こりうると推測できる。しかしながら、クマノミとイソギンチャクのように共生する生物もいるが、別の視点で見ると、イソギンチャクの毒が多いほどクマノミが襲われるリスクは減るが、その分、分泌液によるエネルギー消費が激しくなる。逆に、イソギンチャクの毒が少ないほど、襲われるリスクは増えるが、その分、エネルギー消費を抑えることはできる。これも言ってしまえばトレードオフの関係といえる。以上のことから、生物はトレードオフの関係性があり、利害が一致して共生している生物同士でも、部分的にはトレードオフの関係性があると考える。

A:これは面白い点を結び付けましたね。ただ、一般的にトレードオフでは、2つのいわば反対の力が働くことによって一つの均衡点が生まれます。これは、茎の高さの場合には、最適の茎の高さという形で現れますし、イソギンチャクとクマノミの場合には、クマノミが共生できるイソギンチャクの範囲という形で現れるでしょう。その点、シロクマと藻類の場合は、一般的なトレードオフとしては考えられないように思います。


Q:今回も植物の葉の色について考察していく。授業では今回稲アートなどについて新たに学んだが、この稲についても前回の紫キャベツと同様に葉の部分に葉緑体がほとんど見られないが、その外側に葉緑体を持つ緑色の葉が少し生えていて、そこで光合成を行うことで栄養を得ているということだった。ここで考えたのは実際植物自体の生存や繁栄という目的を達成するためには普段目にするような緑色の一般的な葉の葉緑体の量はいらないのではないかと考えた。そこで、それならどうして緑色の葉が多数を占めているのかという疑問が生じるが、ここで考えたのは、必ずしも葉が緑色であることは機能的に制御された特徴ではないのではないかということである。葉の緑色の濃さ(葉緑体の多さ)は、機能的に制御されたわけではなく、偶然発現した形質を持つ個体がその形質を遺伝していった遺伝的要因による特徴なのではないかと考える。

A:これは、考えの出発点は良いと思うのですが、「考えたのは」「考える」というだけで、論理的な思考にはなっていません。科学的なレポートには、論理性が必ず必要です。