植物生理学I 第2回講義

光合成と生命

第2回の講義では、エネルギーとエントロピーの側面からみた生命と地球生態系について解説しました。最初のレポートなのでしょうがないかもしれませんが、優等生的な・多くの人が考えそうな内容のレポートが多かったのがやや残念です。以下、やや個性的と思われるレポートをいくつか紹介します。


Q:今回の講義で植物の葉が薄くなっている理由を学んだ。ふと厚い葉はどれくらいあるのだろうかということが気になり調べてみたがはっきりとした答えはわからなかった。しかし、多肉植物の葉は肉厚で水分を多く含んでいるものや、葉が退化しているものが多いとわかった。乾燥した厳しい環境に生える多肉植物の場合、光を効率よく受け取ることよりも限られた水分を保つことのほうが重要だと考えられる。そのため、薄い葉をつけるよりも肉厚な葉をつけ乾燥に耐えているのではないだろうか。このように、光よりも水が重要な環境に生える植物が薄い葉をつけないということは、反対に光を受け取るには薄く葉が必要だと言えるのではないだろうか。

A:これは、実は、植物生理学 II で詳しくやる部分です。先取りされてしまいました。


Q:陽が暖かくなり昼眠の捗る今日この頃である。私が小学生の頃には「○○くん、光合成してるの??」と窓際の子がよく注意されていたものだ。さて、ヒトが仮に光合成をするとした場合に、もちろん葉緑体を如何に細胞内で生かして如何に分裂を細胞分裂と同期させ更に如何に相利共生関係を築くかといった話は必要となるわけだが、現実的なことを考えるのではなく先の講義で太陽光や光合成のエネルギーの大きさや効率を扱ったことと関連して、ヒトが光合成をできるとしたときにどの程度生命をまかなうことができるのか考察してみようと思う。
 エネルギー源によらず、動植物が要する重量当たりのエネルギー量は1kgあたり3~90Wであり、一桁程しか違わないという論文(Anastassia M. Makarieva, 16994-16999 DOI: 10.1073/pnas.0802148105)がある。この論文の内容が正しいとするならば、例えば60kgのヒトととある植物を比べたとき、要しているエネルギー量は1桁程度の誤差の下で同じとみなせる。
 生活に必要なエネルギー量を、植物は光合成ですべてまかなっていると仮定したとき、ヒトが体表で光合成できる量はどの程度になるのだろうか。かなり雑であるが葉の表面積とヒトの表面積で比較してみるとする。植物の葉の重量と表面積は比例し、例えばサトウキビは10gあたり320cm^2の表面積をしている(The Science Bulletin of the Faculty of Agriculture. University of the Ryukyus(19): 559-569)。一方、身長166.5cm体重63.6kgの平均的な男性であれば16900cm^2、身長153.3cm体重52.5kgの同じく女性であれば15100 cm^2の表面積を持つとされる (日生気誌31(1):5-29, 1994)。このとき、サトウキビが63.6kgであれば表面積は2035200 cm^2、52.5kgであれば1680000 cm^2となり、ヒトとサトウキビにおいては表面積において2桁の差があることが判断できる。
 ここで、要しているエネルギー量が最大でも1桁程度の差であることを鑑みれば、本来は表面積についてはサトウキビ1種しかも葉だけで考えているため茎や根を考慮して実際にはもっと小さな表面積として計算すべきである点、ヒトは被服を身に着けることから有効な表面積が遥かに小さくなる点を考慮に入れる余地が大いにあるが、2桁の差というのは少なくともヒトが光合成をしたとして間食程度のエネルギーも得られないだろうということは示唆できるのではないだろうか。私は自分自身が光合成をできる権利を得たとしても肌を緑色にしてまでその権利を行使する気にはなれない。

A:この点に関しては、今後の講義で詳しく解説するつもりです。植物の「重量」を考える際には、実は生きている部分だけを考えるかどうかが極めて重要です。大きな木などの場合は、そもそも重さのほとんどは死細胞が担っています。樹木は、構造材に死細胞を使うことによって呼吸によるエネルギー消費を抑えているのです。このあたりについては、植物生理学 II で取り上げる予定です。


Q:人間ならば約60兆個の細胞をもち、それぞれが新しい細胞と様々な期間で入れ替わっている。しかし、細胞に構成されている私たちが気づかないほど一定の秩序を保っている。これは体温としてエネルギーを用いて、常に正しているからである。今回の授業の中で、このような生物の秩序の維持についてとても興味をもった。生物の秩序の維持の例として、風邪を引いた状態のとき熱が上がることに注目した。まず、風邪はウイルスが粘膜に感染しておこる。すると普段とは種類の違うものが体内に入り、身体の秩序はかなり乱される。その結果熱や鼻水、咳をすることで秩序を保っていると考えられる。普段使わないことに対してエネルギーをかけるので、体温が上がると推測できる。次に変温動物は、体温が一定に保たれておらず低温や高温の時があるがどのように秩序を維持しているのか疑問に思った。体温が低温の時は活動も低下し、摂食消化などエネルギーを作るところから効率が悪くなる。その結果、秩序を保つもう一つの方法として活動をおこなわない、冬眠を行うと考えられる。一方で高温の時は、日に浴びすぎたりすることが理由で体温が上昇するので、高温となった原因の動作をやめれば通常の体温に戻る。このように生物はそれぞれ方法は異なるが、秩序を保つために工夫をしていることが素晴らしいと思う。

A:恒常性の維持について論じているわけですが、僕の要求するレポートとしてはやや物足りません。単に疑問とそれに対する答えになっていて、全体としての論理がわからないのが物足りない理由でしょう。せっかく恒温動物と変温動物を題材に取り上げているのですから、例えば、環境に対するそのような2種類の対処方法が、どのような環境では恒温動物が有利になり、別のどのような環境では変温動物が有利になるので、それぞれが生き延びている、といった議論ができれば、だいぶレポートらしくなります。単に、個別に答えを考えて、「それぞれ頑張っているね」で終わってしまうと、レポートというよりはエッセイになってしまいます。


Q:今回の授業では植物が光合成をすることの重要さを、エントロピーという視点から学んだ。生物は生きているうちは一定の機能をする状態に保たれていて、その状態の秩序を維持するためにエネルギーを投入する必要がある。そのエネルギーを確保するための食物連鎖の源泉が、植物の光合成である。生物はエントロピー増大の法則に逆らうためにエネルギーを体内に取り入れ、細胞分裂を繰り返し、自らの肉体が乱雑さの方向に向かうことを防いでいる。しかし、やがて細胞のテロメアが分裂の限界を迎えると細胞分裂が行われなくなり、やがて個体の死へと向かう。逆に考えると、このエントロピー増大の法則さえ克服してしまえば、生物は飢餓も老いにも恐怖する必要がなくなる。いわゆる「不老不死」である。不老不死が不可能であることはエントロピー増大の法則、ひいては熱力学第2法則という少なくとも物理学的観点からみれば絶対である法則によって明らかであるとされている。しかし、がん細胞にはテロメアが存在せず、無制限に増殖を行う。もしこの増殖を(医療倫理などの考えはひとまず無視するとして)制御し、増殖した細胞から余剰エネルギーを取り出し、利用することができる技術が生まれたら、不老不死は決して不可能ではないと考えられるのではないだろうか。がん細胞の増殖を制御する技術の誕生が熱力学第2法則の否定と同意義であると言い切ることはできないが、少なくとも生物学的観点における不老不死は、その法則によって完全に否定される事象ではないと考えられる。

A:面白いポイントに着目していると思いますが、やや視野が狭いような。例えば、無限に増殖する、という点だけに注目するのであれば、普通の大腸菌はどうでしょうか。栄養が十分で環境が許せば、いくらでも増殖します。それを不老不死と考えるのであれば、がんを持ち出さなくても大腸菌で十分ですし、それは不老不死ではない、というのであれば、もう少し不老不死の定義を厳密にする必要があると思います。


Q:今回の講義に、システムとしての地球生命は、太陽の光エネルギーを光合成と呼吸を通じて化学エネルギーに変換して活動している、というような内容があった。しかし何故そのように、光エネルギーをわざわざ別のものに変える必要があるのだろうか。光エネルギーを光エネルギーのまま生命活動に用いる生物が生まれなかったのだろうか。私はそれは「太陽光は安定供給されるものではないのに貯蔵できないため」と考える。エネルギーをエネルギーのまま一箇所に留めておくのは難しい。しかしどうにか太陽光から得るエネルギーを貯蔵できなければ生物は夜になっただけで生存できない。そこで、システム内や個体内を一方向にしか流れないエネルギーではなく、循環できる「物質」を利用する。すなわち、光エネルギーを得た時に植物はATPを産生する。動物も植物が合成した有機物からATPを得る。ATPはリン酸間の結合にエネルギーを取り込んでいるわけだが、分子間の結合ならば、エネルギーをエネルギーのまま一箇所に留めることと比べて容易に維持でき、間接的にエネルギーをシステム内や個体内に貯蔵できる。そのため光エネルギーは、貯蔵の都合で、分子同士を結合させる際の化学エネルギーに変換されることになるのではないかと考える。

A:これまで、何度も講義をしてきましたが、光エネルギーをそのまま使えないか、というアイデアが出たのは初めてです。独創性は評価できます。そのあとの考察は、やや当たり前なところに落ち着いていますが、これはまあしょうがないでしょう。


Q:今回の講義では、「生物のエネルギーサイクルにとって光合成は必要不可欠なものである」という点について理解を深めた。可視光として太陽から照射されたエネルギーを草木が受け取り、その光エネルギーを動物が扱えるもの(有機物など)に変換し、それを動物に分け与え、ときに動物(主に死骸)からエネルギーを回収する。まるで植物は「エネルギーの管理者」のような振る舞いをする。植物にエネルギーの管理を任せている太陽は、自身の中にエネルギー回収システムが存在しているのだろうか。永久機関が存在しないことは熱力学法則から証明されているので、太陽も例に漏れず、いずれ星々にエネルギーを供給することを止めてしまうだろう。太陽は核融合によってエネルギーを発生させていることは広く知られている。記憶によると、水素同士が結合してヘリウムとガンマ線を放出、このガンマ線が太陽エネルギーの正体であったと思う。太陽は水素を消費して、ヘリウムとガンマ線に変換し続けている。つまり水素は消耗品である。そして、太陽は水素をどこかから回収するシステムを持っていない。即ち、太陽はいつか水素を失い、枯れ果てることとなる。太陽が枯れる日なんて、人類が一旦絶滅して、新しい知的生命体が地球上に新文明を築いてまた絶滅してしまう時ほど永い先の話であろう。「太陽は与えることができても、得ることができない」と考えたとき、植物はなんと素晴らしいシステムを持っているのだろう、と感心する。植物に組み込まれたプログラムは、太陽より高等なそれを有しているのだ。遠い未来、人類が宇宙に進出する(漫画のような)世界が訪れたら、その宇宙船は植物の知恵を大いに拝借したシステムを有していることだろう。

A:これは、エッセイとしてはよいと思います。アイデアとしても面白いと思います。ただ、僕がレポートに求めた論理があるか、という採点基準からすると、必ずしも高評価にはならないでしょう。文章を書く能力は十分にあるようですから、最初に問題点を定義して、ソ連関する事実を上げて、そこから論理でもって答えを引き出して、最後に結論する、という形に書くとレポートらしくなるでしょう。