植物生理学I 第3回講義

光合成の起源

第3回の講義では、エネルギーとエントロピーの側面からみた生命と地球生態系について解説しました。講義に寄せられたレポートとそれに対するコメントを以下に示します。


Q:植物細胞も動物細胞もともに真核細胞であり、細胞内の膜構造として原形質膜、核、小胞体、ゴルジ体、ペルキオキシソーム、ミトコンドリア、リボソーム、また、微小繊維や微小管から構成される細胞骨格が存在するなど、いくつかの構造上の特徴は共有している。しかしながら、植物細胞は、これらに加え、厚い細胞壁を外側に持ち、多量の糖や代謝産物を含む液胞が細胞容積の大部分を占め、さらにプラスチドをもっている。ではどうして植物と動物で違いがでてくるのか?私の意見としては移動することのできない植物は、一見静的なイメージがあり、動物よりも環境に対する適応能力が高い。したがって細胞壁なるものに囲まれているのだと思われる。 参考文献:新・植物植生生理学

A:最初の3文は前提と問題設定ですから、論理と呼べるのは最後の2文でしょう。この2文は「したがって」という言葉でつながれていますが、どこに論理的なつながりがあるのか、まるでわかりません。適応能力と細胞壁がなぜつながるかをきちんと説明しないとレポートにはなりません。そもそも、たった2文で論理を構成しようとすること自体やや無理な気もしますし。


Q:非常に反応しやすく、以前の生物にとっては毒となる酸素を活用する機構を構築することができる、という変化を経て、生物はより効率よくエネルギーを運用することが可能となり、結果カンブリア爆発が起き、現在のような多様性のある生態系が構築されました。そして、その酸素を大量に作り出したのが、今回学んだ光合成生物であるシアノバクテリアです。シアノバクテリアが酸素を構築していく過程は、ストロマトライトという層状の岩石から読み取ることができます。古いものでは約27億年ほど前のカンブリア紀のものが発見されており、また新しいものは現在もオーストラリアの一部の湾岸地域で生成されています。なぜ新しいストロマトライトが一部の地域でしか生成されていないのかというと、シアノバクテリアは海中の生物にとって有効な栄養源であるため、上にあげた場所のような閉鎖的、塩分濃度が高い、潮流が緩い、のような生物がすみにくい環境でないと食べられてしまうからです。また、このシアノバクテリアの一部は現在石油という形で使用されており、エネルギー社会を支えています。生物に必要な酸素を排出し、カンブリア紀の生物の食料となり、死後もここまで無駄なく利用されていることを思うと、動物ではなく、植物の進化に合わせて動物側が進化してきたのでは、と考察することが妥当であるような気がします。自分はあまり植物には興味がないのですが、動物側を語るうえで、やはり植物のことも欠かせないということを、今回の講義で再認識することができました。

A:このレポートも、最後から2番目の文がやや独自の主張を持っていると言っても、全体としては調べた事実とそれに対する感想になっています。この講義のレポートに必要なのは、自分なりの論理です。


Q:今回の授業を受けて、なぜ単純な原核生物の細胞が細胞小器官をもたないのかについて考えてみました。第一に授業でも少し触れていましたが、エネルギー的な側面から考えられると思います。それは原核生物の細胞が比較的小さいということです、そのために細胞内での物質輸送や細胞自体が移動しようとするときに必要となるエネルギーが大きな細胞に比べて少なくて済むのでミトコンドリアのような細胞小器官が必要なかったためというのがまず考えられます。次に環境的な側面から考えられると思います。つまり進化はすべていいことばかりではないということで、陸上植物(真核生物)の細胞はミトコンドリアや葉緑体を持っており、葉緑体のおかげで光をエネルギー源として利用できるようになっており、さらにはミトコンドリアを用いて多くのエネルギーを作り出すことができるので原核生物が真核生物よりもどこか劣っているような気がしますが、必ずしもそうではないと考えることができ、それはつまり葉緑体を持ってしまった真核生物は逆に日の当たるところでしか生きていけなくなってしまったのです。もし仮に日の当たらないところに葉緑体を持った真核生物が存在していたら間違いなく、死んでしまいます。それは自身の細胞がその環境に適していなかったために起こるものです(ここでは葉緑体が環境に適していない)。そして葉緑体を持っていない原核生物が日の当たらない環境にいる場合、そのほかの条件が環境に適してさえいればその環境を生き抜くことができる、つまり原核生物において葉緑体やそのほかの細胞小器官をもつことは環境的に許されるものではなかったために原核生物は細胞小器官を持っていないのではないかと考えられます。

A:このレポートは、自分で考えようという姿勢は見うけられてよいと思います。ただ、原核生物と真核生物、非光合成生物と光合成生物という2つの異なるカテゴリーの話がごっちゃになっているので論旨が明確でありません。原核生物でもシアノバクテリアは光合成をするわけですから、最後の結論にはやや無理があるように思います。


Q:今回の授業では、古代の地球に生物が誕生し呼吸、光合成の発達、進化していく話を聞いたが、どのように共生説がおこったのかについて考えた。真核細胞のミトコンドリアと葉緑体はそれぞれ好気性細菌、ラン藻由来であるという共生説であるが、生物が他の生物を体内に取り込む行為の原点はそもそも何なのか(食べる等)。またラン藻や好気性細菌を細胞内部に取り込む際に免疫・拒絶反応や取り込まれたラン藻や好気性細菌が死んでしまうようなことはなかったのか。講義でも聞いたが、地球上全ての生物のエネルギーの源の大半は光合成によって取り込まれた太陽エネルギーである。よって、このエネルギーを生み出し大量に持っているラン藻が食料の標的になりそうと考えることができるが、生きたまま取り込み共生するというのはどのようなメカニズムで起こったのか。共生といえば高校生物でマメ科植物と根粒菌やアリとアブラムシなどの相利共生やコバンザメと大型魚の片利共生などを習ったがいずれも個体が合体することはないが、なかには繊毛虫など藻類を細胞内に共生させる生物もいる。このような繊毛虫などの細胞内に共生させる生物を用いて研究することでこのメカニズムを解明できるかもしれないと考えた。具体的にはこの生物が生まれてからどのように周りにいる藻類を取り込むのかを観察する、また食事の時とどのように違うか比較することで共生のメカニズムについてなにか発見できるかもしれない。

A:このレポートは葉緑体の共生段階の解明に藻類の細胞内共生を使うアイデアに自分なりの論理があるのだと思います。ただ、独自性と言うにはやや物足りないかもしれませんね。細胞内共生の話は、今後また取り上げる予定です。


Q:今回の講義では、光合成生物の出現と進化についてのお話がありました。最初に、酸素を出さず、バクテリオクロロフィルを持ち、光科学系を1つしか持たない光合成細菌が誕生し、進化の過程で酸素を出し、クロロフィルを持ち、2種類の光化学系を持つシアノバクテリアや陸上植物・藻類が誕生したということでした。しかし、光合成細菌とシアノバクテリアは原核生物であったのに対し、陸上植物・藻類は真核生物です。つまり、光合成を行うために必要な特徴はシアノバクテリアから変化し、細胞小器官を取り込んだのはその後の進化によるものであることがわかりました。しかし、進化の過程でなぜ先にミトコンドリアなどの小器官を取り込まなかったのでしょうか。細胞内共生説が正しければ、共生してしまえばお互いの長所を効率よく利用してより多くのエネルギーを獲得できるような気がするのですが、それより先に光化学系をもう1種類得て、クロロフィルを獲得したのはなぜなのか考えました。私は、光化学系が2種類持つようになったことで光化学系が複雑になり、光合成の過程でよりエネルギーを必要になったため、共生することでエネルギーをもらおうとしたのではないかと考えました。光化学系を1つしか持たない段階の光合成細菌は、自分自身でエネルギーをまかないきれず、エネルギーを多く獲得するというよりは、もっと光合成を高度に行える方向に進化していった結果、光化学系が2つになり、それに伴いエネルギーがより多く必要になったので、ミトコンドリアや葉緑体と共生するよう進化したのではないかと思いました。

A:これは、シアノバクテリアは共生して葉緑体になったのに、なぜ光合成細菌が共生した生物が誕生しなかったのか、という問題提起ですね。これまでに、このような考え方のレポートはありませんでしたから、独創的と言ってよいでしょう。高く評価できます。ただ、最後の文がちょっと変ですね。


Q:原核生物と比較して、葉緑体やミトコンドリアなどの細胞小器官をもち、大きなエネルギーを得ることのできる真核生物がいる。一方で、なぜ真核生物にエネルギー産生で劣る原核生物が今も生存しているのかという議論があった。授業では、真核生物のほうが原核生物よりも体積が大きく、代謝や物質輸送により多くのエネルギーを必要としているためという結論になった。では、他に原核生物が真核生物とともに生存できている理由はないのか考えてみた。1つ目の理由として、原核生物のほうが真核生物よりも分裂速度が大きく、短時間により多くの個体を生み出すことができるというメリットがあるためである。これは、タンパク質の合成において原核生物のほうがスプライシングなどの過程がないため合成速度が速いこと、また、細胞質が小さいため分裂できる大きさまで成長する時間が短いためだと考えられる。真核生物よりも多く増殖することで、真核生物に駆逐されることなく生き延びたと考えられる。2つ目の理由として、原核生物が真核生物に食べられるというある種の被食と捕食の関係や原核生物が真核生物に共生する関係があるからではないかと考えられる。一つめの理由でも挙げたように原核生物は分裂速度が大きいため、個体数の多い原核生物を従属栄養の真核生物が捕食することが考えられる。もし、真核生物が原核生物を捕食しすぎて、原核生物の個体数が少なくなれば、それを栄養とする真核生物も生存できなくなり、個体数が減少する。真核生物の個体数が減少すれば、真核生物に食べられる原核生物の数が減り、再び原核生物が増えることができる。このように原核生物と真核生物の間で個体数の調整が行われるため、原核生物が絶滅することはなかったと考えられる。また、「根粒菌や放射菌などの原核生物は植物と共生しているし、キトロバクターという細菌はシロアリの腸内に共生している。」(※)このように真核生物の生存に原核生物が必要とされている例もある。3つ目の理由として、原核生物のほうが真核生物よりも過酷な環境に適応しているものがいることが挙げられる。嫌気性の細菌は酸素の欠乏した環境でも生存できうるし、好熱菌は70℃以上の環境でも生存できる。このように真核生物が生存できない環境で生き延びることができた原核生物もいると考えられる。このように、原核生物は真核生物にはない特徴をもち、真核生物と関係することで順応していったり、あるいは真核生物のいない環境で生き延びたりすることで生存できていると考えられる。
(※) 久力誠, 小林秀明,小林裕光,中村雅浩. ダイナミックワイド 図説生物. 石川統 編. 第5版, 東京書籍, 2008, p.146. 参照

A:少し長いですが、いろいろな可能性を考える、という意味ではよいのではないかと思います。ただ、このように複数の可能性を提案した場合は、これらの3つの可能性が、1つの生物種の中で別々の重みを持って実現しているのか、それとも、生物の生存戦略のなかで、生物ごとに別の可能性を追求しているのか、そのあたりの議論があるとよいでしょう。


Q:細胞内共生説についての仮説と可能性について考察する。一般的な細胞内共生説は好気性細菌や藍藻などが古細菌に近い生物と細胞内共生することによって真核生物細胞が生まれたとするものである。仮に好気性細菌や藍藻と同時に化学合成細菌をとりこみ、リソソームが消化に失敗、細胞内共生が行われるようになったとしよう。その後進化を重ね現代まで生き残ることができたならば、その生物は今我々が目にしている生物の姿をしていたとしても、硫黄などからエネルギーを得ることができるかもしれない。これにより食料が減った時などにエネルギー源として化学物質を選択できるために生存に有利になる可能性はある。しかしそれと同時に化学合成細菌をとりこんだ時点で現生生物とはかけ離れた方向に進化する可能性が高い。また化学合成細菌と好気性細菌とは同居するには相性が悪く思える。例えば箱根の大涌谷のように硫化水素が噴出している場所でエネルギーを得ようとしても、好気呼吸が十分に行えなくなる可能性がある。だが好気性細菌をとりこまなければ現生生物のような形態をとる必要がなく、顕微鏡レベルの小さな姿を維持するだろうことはなんとも悩ましい。
 個人的には石炭を燃料に恐竜のような外観の生物が火を噴くのも可能性としてはあってよいと思っている。例えば石炭を分解できる細菌由来の細胞内器官をもっていれば、余剰の石炭に火打石がわりの歯を打ち鳴らすことで発火することだってできるかもしれない。それはオスにとって自らの強さを誇示するディスプレイであり、外敵から身を守る盾ともなりうるだろう。もっともそれは燃費の悪い道具であるに違いないのだが。

A:アイデアとしてはどちらも面白いのですが、だいぶおもむきが違うので、どちらかに焦点を絞った方がよいでしょう。前半の化学合成細菌を共生させた例はありますので、後半の方が独創性はあるでしょうね。


Q:講義では真核生物が小器官をもつようになった目的を考えるということがあったが、必ずしも変化が生じるために目的があるとは限らないのではないかと考える。そう考える理由は以下の通りである。目的を持ち、ある方向に進化をするというのではなく、偶然に変化が生じて現れた種がそれまでに存在していた種と互いに競争する関係でなく、異なるニッチで生存するようになることもあると考えられる。真核生物が共生によりエネルギー生産の効率を上げるようになり、なぜ原核生物もそのように変化することがなかったのかと疑問に感じることもあるかもしれない。しかしもともと環境に適応している種は変異を生じさせる必要がなく、原核生物は変化せずに生存できるため変化する必要がないとも考えられる。真核生物が共生によってエネルギー生産効率を上げたが、この変異もある方向性を持ち生じた変化したとは限らず、そのような構造ができたことで既存の種と異なるニッチを利用できるようになり、繁栄したのではないかと考えられる。

A:これは非常に重要なポイントです。ある変化の「目的」を考えることは生物の進化を考える上で重要なのですが、「目的を持ち、ある方向に進化する」と言ってしまうと、これは確かに問題です。生物は、意思を持って進化しているわけではありませんから。一方で、「目的」は「子孫を残す確率を上げること」と言いかえることができますし、「特定の環境において子孫を残す確率が上がること」は「ニッチを利用できる」と言い換えることができますから、そのようにとらえれば、「目的」と「ニッチの利用」は同じことの別の表現だと考えることもできるでしょう。


Q:今回の授業でシアノフォラは葉緑体に元は細胞壁だったと思われるペプチドグリカンの層を持っていることを学んだが、ここで一つの疑問ができた。なぜ植物は細胞壁を持ち動物は細胞壁を持たないのか。また、なぜシアノフォラでは葉緑体に細胞壁のようなものが残っており他の植物では残っていないのか。植物生理学の分野とは若干ずれてしまうかもしれないが、今回はこれについて考察したいと思う。まず細胞壁はいつからあるのだろうか。酸素を出す光合成生物の中で最も原始的なものの1種であるシアノバクテリアにも細胞壁はある。またシアノバクテリアは緑色硫黄細菌と紅色硫黄細菌が融合したものであるといわれているが、これら二つの光合成細菌にも細胞壁のようなものは存在する。つまり光合成ができるようになったころにはすでに細胞壁を持っていた可能性が高い。ではなぜ動物には細胞壁がないのか。よく聞く説としては動物は従属栄養生物であり捕食のために動かなくてはならないというものがあるが、これはミドリムシのように細胞壁を持ちながら動くものがいることから細胞壁があると全く動けないというわけではないだろう。同時にミドリムシの例から光合成では動くだけの栄養を得ることができないという説も否定できる。他の可能性としては摂食、吸収に細胞壁が邪魔であったというものがある。これがおそらく最も可能性として高いであろう。では葉緑体に細胞壁がない理由は何であろうか。共生説では葉緑体はシアノバクテリアのようなものが他の生物に吸収された結果できたものだといわれている。もともと細胞壁の役割は体の支持や防御などであるが、これは細胞壁がその名の通り固い壁状のものでできているためである。しかし細胞小器官として他の生物に取り込まれた場合はは体の支持や防御は必要なく、逆にそのような固いものは邪魔にしかならないために多くの植物では葉緑体に細胞壁はないのだとと考えられる。ならばなぜシアノフォラは葉緑体にプロテオグリカンの層を持っているのだろうか。一つの仮説として葉緑体を持つようになったのが陸上生物に比べ最近のことであるというものがあげられる。この説では葉緑体を持つようになった、すなわちシアノバクテリアと共生し始めたのが最近であるためにプロテオグリカンをなくすには至っていないと考えられる。しかし、この考えはシアノフォラ自体がつい最近進化して発生したものであることが条件であるためあまり現実的ではないだろう。他の仮説としてはプロテオグリカン自体に何らかの役割があることが考えられる。この仮説を検証するための方法として1つの実験を提案する。それは葉緑体中のプロテオグリカンを除去した個体を作り、その個体に何らかの変化がないかを観察するというものである。この実験の結果、その個体が異変を起こした場合はプロテオグリカンが何らかの役割を持っている可能性は高い。もし正常時と同様の様子であればプロテオグリカンは個体の生育には必要のないものであり、未だに退化していないだけである可能性が高いといえるだろう。

A:このレポートは、個々の事実から自分の論理を展開していて高く評価できます。ここまできちんと考察してあれば、最後の実験の提案はむしろなくても十分です。あと、プロテオグリカンではなくペプチドグリカンです。


Q:シアノバクテリアのチラコイド膜は同心円状であるのに対して、植物のチラコイド膜は楕円状になっていると学んだが、なぜそのような形状の差が生じたのかについて疑問を抱いた。シアノバクテリアは原核生物であり、核や細胞小器官をもたない。よって細胞内で遺伝情報を含む大切なDNAを細胞内に存在するもので維持する必要がある。そこでDNAを中心として光合成と呼吸を行っていたチラコイド膜をバームクーヘンのように同心円状に重ねることで、DNAをなるべく外界から守る構造をとったのではないかと考えた。さらにチラコイド膜が同心円状に配置されることは、小さな細胞内にチラコイド膜が隙間なく重なることで光合成を効率的に行う設計となっていると考えられる。一方真核生物の細胞小器官である葉緑体は2重膜で区切られており、チラコイド膜の役割はシアノバクテリアのようにDNAの保護を目的にしているのではなく、いかに光合成を効率的に行うかを重視しているのではないかと考えた。植物が成長するために、また植物によっては種や実として子孫を残すために光合成から得られる有機物が必要である。したがって楕円形のチラコイド膜が重なることでより効率的に光を採集できる構造となっていると考えた。

A:チラコイド膜の積み重ね構造については改めてまた説明します。このレポートでは、シアノバクテリアと葉緑体のチラコイド膜の構造の違いをそれぞれの特性から説明していてよいと思います。