植物生理学I 第7回講義

オルガネラの起源(続き)

第7回の講義では、前回に引き続き細胞内共生を起源とするオルガネラの進化について解説しました。講義に寄せられたレポートとそれに対するコメントを以下に示します。


Q:今回の授業では、藻を捕食して葉緑体を取り込み、葉緑体をもつものともたないものに分裂し、持たないものはもとのものと同じように藻を捕食するという、ハテナという生物について扱い、珍しいので興味をもった。普通の生物なら、両方が葉緑体をもつように分裂するのに対し、この生物の分裂法がなぜ有利なのかを考えた。 自然界で見つかるハテナのほとんどが葉緑体を持つ個体であることから、ハテナは生活環の大部分を藻類が共生した状態で過ごすと考えられているらしい。それを考えると、分裂後、葉緑体を持たないものはすぐに目的の藻を見つけ出し、取り込むことができるということなので、体内で分裂前に、両側に十分な量にまで葉緑体を増やすエネルギーよりも、藻を取り込んで体の一部にするエネルギーの方が小さく、ハテナにとって効率的であるからだと考えられる。

A:ハテナについては多くのレポートが寄せられましたが、その多くが講義のストーリーに沿って進化の途中段階を示すものであるという前提で書かれていましたが、これは、積極的に葉緑体を分裂させないメリットを論じていてオリジナリティーを感じさせます。


Q:今回の授業では、オルガネラはそれぞれが様々な化学反応を調節していることを学習した。そこで、これらオルガネラがどのようにして化学反応を調節しているのか考えてみた。まず、細胞が必要とするエネルギーはミトコンドリアや核によって供給されている。これは、オルガネラによって細胞が同時に異なる場所で複雑な化学反応をコントロール出来ることを示唆しており、膜の内外に物質を分別してエネルギーを貯蔵している。よって、原核生物は動植物のような真核生物に進化する際に、細胞は内部にオルガネラを作るという方法を選択したと考えられる。しかし、オルガネラが正確に働くためには、タンパク質をオルガネラの役割に応じて正しく位置付けられる必要があるので、生まれたタンパク質を適切なオルガネラへ配送するシステムがオルガネラが形成されたと同時に確立していなけらばならない。このシステムによって様々な化学反応の調節が成されていると考えられる。また、細胞は環境から様々なストレスを受けているために、無事に配送されたタンパク質が一概に正確に機能することは考えにくい。ストレスによって正常に機能しなくなったタンパク質は修復及び廃棄されるかのどちらかであることは想像がつくが、この判別がどのような機能によって行われるのかは分からない。この機能を明らかにするためには、新たに産生されたタンパク質が細胞内社会においてどんな運命を辿るのかを適切なモデル生物を用いて調べなければならないだろう。

A:自分で考えるという姿勢は感じられますが、書いているうちに少しずつ焦点が移動している感じですね。できたら、最初に問題を明示して、それに対する答えが最後にきちんと提示される形にした方が首尾一貫するでしょう。最後の方で触れられているタンパク質の修復と廃棄については、ここ20年ぐらいでだいぶ知識が集積しました。タンパク質の分解が正常に行われない場合、そもそも合成されないのと同じぐらい細胞にとっては問題を生じる例がたくさん見つかっています。


Q:授業の中で葉緑体の独自のDNAがホストのDNAに取り込まれ、ゲノムサイズの縮小を行っているとういうことを学んだが、どうしてホストの核に自身のDNAを取り込ませるのかについて考察したい。何らかの利点があるはずだが難点も考えられる。それは遺伝子の発現をするためのプロモーターやRNAポリメラーゼが異なることだ。しかしこの点についてはホストの核においてあらたなプロモーターやRNAポリメラーゼを作ることで解決しているらしい。また真核生物特有のスプライシングがホストの核内では行われるがもともと原核生物であった葉緑体では起こらないと考えられ核内に取り込まれた葉緑体のDNAは転写の際スプライシングをうけるのかという問題も発生する。ではこのような難点があるなかでどうして葉緑体のDNAはホストの核内に取り込まれるのか大きな理由の一つはさらに核を外界の世界から守る為だと考える。もともと外界のさまざまな要因から核を守る為に共生を行ったのだからこの考えは生命に最も重要なDNAを守るという行動なので妥当ではないだろうか。

A:核内での遺伝子発現に関しては、多くの場合「郷に入れば郷に従え」になっているのでしょう。核にDNAをいわば保管させることのメリットは、それをはっきり実験的に示すのは難しいかもしれませんね。


Q:渦鞭毛藻は葉緑体を持ち光合成を行うものと葉緑体を持たず従属栄養により生活しているものがいると学んだ。このように同じ種類で、異なる栄養様式をとるのは珍しいと考える。進化の途中で分岐し始めたばかりであれば、このような2種類に分かれる可能性があるが分岐したのは最近ではない。さらにどちらかが淘汰される途中であるということはなく渦鞭毛藻はその2種で半々に分かれている。では、なぜお互い淘汰されずに残っているのだろうか?もともと葉緑体を持っていたにせよ持っていなかったにせよ栄養様式をシフトするというのは、よほど環境が悪化するなどの変化がないと起こり得ず、その場合どちらかが環境にあわずに淘汰されるはずである。しかしそれは実際に起きていない。ここで考えられるのは葉緑体が共生によって得たものであるからだと考える。共生によって葉緑体を得たのであれば自身が作り出したものではないため簡単に消失させることができる。また、以前は光合成様式をとっておらず従属栄養であったはずであるので比較的簡単に従属栄養様式にシフトできる。このように渦鞭毛藻は簡単にシフトできるため少しの環境の変化で2種に分かれたのではないかと考える。また、膜の枚数や独自のDNA保有などから共生説が成り立っていると考えられているが、このような観点からも共生説が成り立っていると考える。

A:従属栄養の藻類は全く専門でないのでよく知りませんが、その一部は、確か、魚のえらか何かにくっつく形で生育しているという話を聞いたことがあります。とすると、特殊な環境に紛れ込んだ藻類が、その環境に適応する過程で光合成を失ったと考えるのがよいのかもしれません。


Q:今回の授業で渦鞭毛藻について触れたので調べていると、渦鞭毛藻には色々な種がおり様々な生物と共生をしているようだ。その中で渦鞭毛藻類である褐虫藻とサンゴの関係について考察したい。サンゴは褐虫藻と共生していることが多い。サンゴは宿となる場所を与える代わりに、褐虫藻は光合成で得た養分を宿主であるサンゴに与えることで共生の関係は成り立っている。しかしサンゴはもともと従属栄養であり、触手を伸ばしてプランクトンなどを捕食することができる。ではなぜ共生という道を選んだのか。まず考えられるのはエネルギー効率がいいからである。細胞間隙に褐虫藻を住まわせるだけで栄養が手に入るのであるから効率が良くなるのは明らかである。さらに何らかの要因により水中の酸素濃度が低下したときでも生存することができるからではないかと考えた。他にはサンゴより高次の捕食能力をもつ生物が現れ競争に負け生存するための十分な養分を得られなかったためと考えられる。

A:サンゴは海水温が上昇すると褐虫藻が離れて行って白化してしまうことがわかっています。その際に、サンゴの「死因」を解析すると、「水中の酸素濃度」の低下に対する抵抗性などがどの程度寄与しているかがわかるかもしれませんね。


Q:今回の授業で原核細胞に核(核膜)が形成された時期とミトコンドリアが共生した時期どちらが早いのかはまだ不明であるということだったので、自分なりに考察してみた。私はミトコンドリアの共生の方が核膜の形成よりも先なのではないかと考えた。核膜を持つことのメリットは核内の遺伝情報を安定に保持できることであり、デメリットは転写?翻訳の反応が遅くなるということである。原核生物では遺伝子量が少なく、核膜を持つことのデメリットの方が大きいため現在も核膜を持たないままで存在していると考えられる。しかし、葉緑体の場合と同様にミトコンドリアの共生によりミトコンドリアの遺伝子が核へ大量移行したとすれば宿主の原核生物の遺伝子量が急激に増えたと考えられるため、それらを秩序だって収納する必要性が生じ核膜を持つようになったと考えられる。遺伝子量と核膜の合成が関係しているということは、一度ミトコンドリアが共生したがいなくなった細胞(核にはミトコンドリアの遺伝子が存在)でも核膜がそのまま保持されていることから裏付けられる。近年、ミトコンドリアを持っているが核膜の形成は不完全という細胞が確認されており、このことからも核膜の形成よりもミトコンドリアの共生の方が先である可能性が高い。しかしこの仮説が正しいことを証明するには、この生物のゲノムを解析し、核膜合成に関わる遺伝子とミトコンドリア由来の遺伝子どちらが宿主の原核生物に先に生じたものであるのかを調べる実験が必要である。
参考文献:『深海微生物の多様性から生物進化を考える』小塚 芳道、東京医科大学神経経理学講座

A:これは非常によく考えていると思います。現実の観察結果から論理をきちんと構成している点が高く評価できます。


Q:今回の授業で、「ハテナ」という生物について学んだ。この生物は、細胞分裂を行った際に、片方には葉緑体が残るが、もう一方には葉緑体がなくなって無色のハテナになるということを学んだ。この生物に興味を持ったので、さらに調べてみるとは、無色のハテナは緑色植物プラシノ藻のネフロセルミスの1種を取り込み、再び葉緑体を得るそうである。しかし、共生している種とは異なるネフロセルミスを与えると、無色のハテナは食べるが、細胞内に保持されず、ハテナそのものも死んでしまうそうである。無色のハテナはどのようにして共生させる生物を選択しているのだろうか。私は、無色のハテナは様々な種類の藻類を取り込むことのできる能力を持っているが、ネフロセルミスのある1種以外は消化されてしまい、ネフロセルミスのある1種のみが最終的に細胞内に残って共生するのではないかと考える。これを実験で証明するためには、以下のような実験を行えばよいと考えられる。無色のハテナを共生できるネフロセルミス以外の藻類を含む環境で生育させ、それを取り込んだ時点で共生できるネフロセルミスを含んだ環境に移す。このとき、最初に取り込まれた藻類がハテナの体内で小さくなり消化されているかを確認し、同時に共生できるネフロセルミスを取り込まれ保持されるかを観察すればよい。ただ、どのような仕組でネフロセルミスのある特定の1種類のみが消化されないのかは、説明することができない。
参考URL 日本植物学会 http://bsj.or.jp/topics/01/hatena.html(閲覧日2012.6.3)

A:これも知られている実験事実からきちんと論理を組み立てていて評価できます。ただ、「ハテナそのものも死んでしまう」という部分が、ちょっと論理に納まりきらないですね。もし、消化できるのであれば、従属栄養を続けて生き続けることができそうな気がします。


Q:授業で扱ったアピコンプレクサ類は、葉緑体を獲得後、葉緑体が退化した、つまり、かつて光合成していたが、光合成能力を捨てたと考えられている。私はこれを聞いて、嫌気的条件下では嫌気呼吸、好気的条件下では好気呼吸を行う酵母を思い出した。ミトコンドリアの場合は、少なくとも酵母においては、呼吸能力は退化しない。ミトコンドリアも葉緑体も共生によって獲得されたオルガネラであるにも関わらず、なぜ葉緑体の光合成能力は退化するのか。アピコンプレクサ類では、光合成に代わり、寄生によりエネルギーを獲得するためであった。また、アピコンプレクサ類と共通の祖先をもつ渦鞭毛藻には、葉緑体を獲得後、消失したと考えられている種があり、この種は従属栄養生物である。葉緑体を作るには、エネルギーを必要とする。つまり、光合成をするために必要なエネルギーが膨大であり、他のエネルギー獲得様式があれば、葉緑体はただのお荷物で、捨ててしまったほうが合理的なのだと考えられる。比較すると、ミトコンドリアが退化しない理由は、植物においては、呼吸能力を保持するためのエネルギーが葉緑体よりも少なくて済むからだと考えられる。細菌や動物においては、嫌気呼吸よりも好気呼吸のほうが多くのエネルギーを作ることができるため、捨てることができないのだと考えられる。

A:あるシステムを構築するためのコストの差からオルガネラの退化のしやすさを説明するという独自の視点で論理を構築していて高く評価できます。酵母とアピコンプレクサ類のもう一つの違いは、環境変動の時間スケールかもしれません。環境の酸素濃度は、比較的に短い時間で変動する場合がありますが、いったん他の生物に寄生すれば、帰省している間は環境が安定します。当然、短い時間で変動する場合には、複数の環境に適応できる生物の方が生き残る率は高くなるでしょう。


Q:葉緑体が自身のDNAがコードした蛋白質だけでは足りず核のDNAによってコードされた蛋白質を葉緑体が取り込まないと生存出来ないという内容と、葉緑体の遺伝子が核へ移行しているという内容がとても興味深かった。授業でシアノバクテリアを共生させた宿主が飼いならした結果だと仰っていたが、本当にそうだろうか。葉緑体の方がむしろ宿主の核を利用しているのではないかと考えた。なぜなら葉緑体は元々原核生物であり、核はなくDNAがむきだしのまま細胞の中に浮遊している状態である。一方、宿主は真核生物なので核があり核膜に包まれている。そこで葉緑体は宿主の核内に自身のゲノムを移行した方が、ゲノムを安全な場所に保存出来ると判断したのではないだろうか。そして宿主にゲノムを移行したことによって、蛋白質もコードしてもらえるので自分で蛋白質を生成するより、エネルギー消費が減少するので効率も良くなる。よって葉緑体は自分でDNAを持っているより、宿主に渡してしまう方がメリットが多いので移行したと考える。しかし宿主にとっては葉緑体のゲノムを取り込むと核内に保存しなければならない遺伝子が増えるのでデメリットになるのではないか。これは宿主が葉緑体の光合成産物をエネルギー源としているので、それに対するお礼として核内に葉緑体のゲノムを保持しているのではないかと推測した。

A:これもきちんと考察していますが、結論自体は上の方に載せてあるレポートとほぼ同一になっています。その意味で常識的な論理展開といってよいでしょう。ここまできちんとレポートが書けるようになったら、次は独自性にチャレンジしてみてください。常識は社会人には必要ですが、サイエンスを学ぶ者には、その常識を超えることも往々にして必要になってきますから。