植物生理学I 第5回講義

オルガネラの起源

第5回の講義では、前回に引き続きオルガネラの起源について解説しました。「はてな」の話をしたときにはいつもそうなのですが、「はてな」に関するレポートが山ほどありました。ただ、どうしても同じような内容になるので、それ以外の所からレポートを選んでみました。サイエンスには独自性が必要ですから。講義に寄せられたレポートとそれに対するコメントを以下に示します。


Q:今回の授業ではゲノムサイズの比較が話に出た。シアノバクテリアのゲノムサイズは数百万bpで、葉緑体は数十万bpとゲノムの9割程度を失っていたことについて考察してみる。授業中でこの理由は「失ったかなりの部分のゲノムは核に移行し、葉緑体としての能力を弱め、宿主の力を強める」と説明があったがこの点について考えてみる。ゲノム量が減った理由はシアノバクテリアはかつてのように大量のゲノムを必要としなくなったと考える。この理由の一つには、寄生をすることで外界からの影響を受けにくくなり、例えば、外敵から身を守るための能力や、水温などに対する変化にとらわれなくなって必要なゲノム数が減ったと考える。このゲノムの減少が授業内で出てきた「第一段の遺伝子移行」だと考える。その後の長い期間で、共生が安定し、宿主と共生体との互いの関係が安定してくると考える。だが、細胞自体は進化のほうへ進んでいく。宿主は大きくなるために共生体の遺伝子を必要とした。そのため共生体は細胞核へ遺伝子を少しずつ細胞核へ移行したと考える。これが「第二段の遺伝子移行」だと考える。

A:「葉緑体としての能力を弱め」なんて言ったかな?それはともかく、全体の流れはよいのですが、「考える」と言ったときに、「なぜ」そのように考えるかを書くともっとよいレポートになります。サイエンスは「そう考えました」というだけでは不足で、考えた根拠(必ずしも実験結果ではなくてもよい)が必ず要求されますから。


Q:今回のレポートでは、本講義で少しだけ述べたサンゴの白化現象からサンゴの共生について考察していきます。サンゴと褐虫藻は相利共生といった形の共生をとっている。ほかにも、クマノミとイソギンチャクや根粒菌とマメ科植物などがこのような共生をしている。本講義では共生に関しては主に細胞共生について学んでいるが、それではなぜサンゴと褐虫藻が細胞共生を行わずに、相利共生という形をとってきたのか考える。仮にサンゴと褐虫藻が細胞共生をし、新しい生物種として光合成を行う海洋動物に進化したのならば、そこから得られる利益というのは、サンゴの白化現象のリスク回避などがある。しかし、長い年月をかけてもその形に至らなかったのには、何らかの要因があると考える。私が考えるには、細胞共生とは原核生物や原始的な真核生物どうしが何らかの条件下で偶発的に行われたものであるが、サンゴと褐虫藻の一例と比較すると極端に生物種のスケールが異なる。すなわち、ある程度分化の進んだ生物種が新たに共生(融合)し、自ら異なる生物になるのは非常に大きな壁が存在し得るのだという結論に至り、そのような形でない相利共生などで十分に環境に適応してきたのだと私は考える。
<参考文献>WWFサンゴ礁保護研究センター しらほサンゴ村 http://www.wwf.or.jp/shiraho/nature/hakuka.html (参照日時 2011/06/11)

A:共生にいろいろな例を挙げることはできると思いますから、そのような例から、自分の考え方の妥当性を論証すると、説得力が増すと思います。


Q:葉緑体膜の枚数の話の際に、真正細菌であるシアノバクテリアなどが原核生物に共生をして光合成の機構を得たということを学んだ。こで疑問に思ったのは「なぜ極限環境でも生き延びることができる古細菌は共生の輪から除外されてしまったのだろうか?」ということである。まず極限環境で生きることのできる古細菌にとって、極限環境で生きることのできない原核生物などは共生しても大きなメリットは感じられない。そのためここで議論したいのは古細菌どうしの共生である。古細菌同士でもその生物種間で個体の大きさに適切な差があり、かつどちらかあるいは双方に利益が存在するなどの条件が整えば、共生は可能であると考えられる。例えば高温に耐性を持つタンパク質を発現できる古細菌が、塩濃度の高い環境でも生存できる古細菌に、たまたまどちらにもマイルドな環境下で共生をした場合、高温にも塩濃度の高さにも耐性を持つ古細菌が誕生する可能性も考えられる。非常に大きな生物のカテゴリーで話を進めたためかなりの例外などが生じる恐れがあるが、今回のレポートでの疑問への答えは、古細菌同士での共生のみ考えられる、である。またそういった生物は現在こそ大きな存在感を示してはいないが、将来地球環境が非常に大きく変わり高等生物や普通の古細菌が生き延びることのできない環境になった際に、ひっそりと生き続けていき、場合によってはそこが起源となってまた新たな生態系や進化のプロセスが芽生え始めていくと私は考える。

A:講義の中で触れたと思うのですが、真核生物は、系統的に真正細菌よりは古細菌に近いのです。つまり、真核生物は、まさに古細菌(の子孫)に好気性細菌が共生して生まれたと考えられているのです。ただし、考え方は面白いレポートだと思います。


Q:今回の授業では、ユーグレナや活鞭毛藻の細胞中に存在する葉緑体の包膜は3重であり、なぜ包膜が3重になったかという理由は良く分かっていないという内容が扱われた。本レポートの目的は包膜が3重である葉緑体が存在する理由を考察することである。二次共生によって生じた4重の包膜を内側からA、B、C、Dとする。共生の仕組みから、Aはシアノバクテリア由来、BとCは一次共生の際にシアノバクテリアの宿主となった生物の細胞膜由来、Dは一次共生の結果生じた真核光合成生物を二次共生の際に取り込んだ宿主由来の細胞膜である。つまり、4重の細胞膜の内、BとCだけは互いに同じあるいは良く似た脂質分子から構成されていると推測される。B膜とC膜の脂質分子が良く似た構造をしている場合、接触させた時、膜の流動性が高ければ各脂質分子は熱運動によって自然に混ざり合う。つまり、B膜とC膜が融合するのである。しかし、脂質分子の構造が極めて異なり(親水性の強さなど)、膜の流動性が低ければ各分子は混ざり合うことができずに分離したままであろう。膜が3重の葉緑体は、上記のようにしてB膜とC膜が融合した結果生じたのではないであろうか。

A:発想が非常に良いと思います。膜の融合については、組成の類似性で説明するのはやや難しいかもしれませんが、少なくともきちんと自分で考えた論理が感じられます。


Q:今回の講義では光合成生物の起源について学んだが、そのなかで、なぜ生物の栄養方法が独立栄養と従属栄養のいずれかのみで、光合成を行いつつまた捕食行動も行うような独立・従属両方の栄養方法を獲得した生物が存在しないのかという疑問が生じた。生物は少しでもその生存に有利な性質を獲得する方向に進化しており、一種の生物が二つの栄養方法を両方獲得していれば、片方のみを有するよりもより多くのエネルギーが得られ、さらに片方が何らかの理由で損なわれた際のバックアップにもなるため生存には有利になると考えられる。しかしながら現存する生物をみると、食虫植物やサンゴのように部分的に両方の栄養方法を持つような生物もいるが、食虫植物は十分な光量が得られない時の光合成の補助、サンゴはあくまで従属栄養の一環であり完全に両立している生物はいない。なぜか?これには生物の進化機構が関係していると考えられる。進化は遺伝的な変異と自然選択によっておこる。ここで、栄養方法の分岐は生物が現在のような複雑さ・多様さを有する前の原始的な段階で起きて、また基本的な機能は変化せず受け継がれてきており、これに関する大規模な遺伝的な変異は生じにくいと推察できる。そのため栄養方法に関する進化が起こっていないのではないかと考えられる。

A:捕食行動と光合成を両方持っている生物は確かに少ないのですが、光合成と従属栄養を切り替えられる生物はたくさんいます。たとえば、シアノバクテリアにしても、多くのものが光合成を止めても有機物を与えると生きていくことができます。とすると、光合成と両立しないのは従属栄養ではなく、捕食行動ということになりますね。