植物生理学I 第5回講義

斑入り、呼吸

第5回の講義では、前回の講義の続きとして葉の斑入りを扱った後、光合成反応の反応の講義に入るにあたって、まず、呼吸の諸反応をおさらいしました。講義に寄せられたレポートとそれに対するコメントを以下に示します。


Q:今回の授業で解糖系の概略的な説明を受けた。解糖系とはグルコース1分子が10段階の酵素反応により炭素3個のピルビン酸2分子に分解し、それに伴い2分子のATPを生じる過程のことをいう。前半(反応1~5)でATPを2分子消費し、後半(反応6~10)でATPを4分子生じるので差引2分子のATPが合成されるのだ。ここで、なぜこのような2段階な反応をしてATPを合成するのか、最初にATPを2分子使う代わりに無機リン酸を2分子使えば最終的に6分子のATPを得られるのではと疑問に思ったのでこのことについて考えてみた。調べてみると、「細胞内のATP濃度は2~10mMの割合狭い範囲に保たれているが、ADPと無機リン酸濃度は変化が大きい。」とのことであった。これを踏まえると最初の反応でも濃度変化の大きい無機リン酸を使うのは非効率的であるために、ATPを用いていると考えられる。さらに、「解糖系で作られたATPは赤血球のエネルギーとしてつかわれている。」とのことであり、そのためには2分子のATPがあれば十分であり、他に必要なATPは酸素を使ってより効率的に産生するという分業的な方法をとっているのだと考えられる。
 参考文献 「ヴォート基礎生化学 第2版」 DONALD VOETら著 東京化学同人

A:糖をリン酸化するためには通常エネルギーが必要ですから、無機リン酸を使って最初の反応を進めることはできません。ATPを使うというのは、リン酸気を持つ物質を使うと言うだけではなく、エネルギーを使うという意味も持つのです。あと、「解糖系で作られたATPは赤血球のエネルギーとしてつかわれている。」というのはヴォートの引用でしょうか?解糖系というのは原核生物から真核生物まで広くつかわれている代謝系ですし、赤血球云々というのは誤解を招くと思います。


Q:今回の授業によると、斑入りの葉はイモムシに食されにくいということであった。どうやら色を認識して穴があいていると判断するという結論であり、それを確かめる実験方法は、白のマーカーを葉に塗り、斑入りを再現して調べるというものであった。しかし、これで本当にイモムシが斑入りの葉を色によって認識し、穴があいている葉だと判断しているのだと言えるのであろうか。マーカーの成分や臭い、あるいは触感を避けたとも考えられるのではないだろうか。そこで、イモムシは本当に斑入りを色で判断しているのかを示す実験モデルを考える。
 まず、イモムシはマーカー自体を避けるという可能性を検証する。方法は、葉の緑と同じような色の緑色のマーカーを塗った葉と、対照として何も塗らない葉を用意し、イモムシの様子を観察すればよい。もしこの実験で両方の葉が同じように食べられたなら、イモムシはマーカー自体を避けたのではなく、白い色を認識して葉を選んでいるのだと言えるだろう。しかし、マーカーを塗った葉を避けたならば、イモムシは白色を認識したとは言えない。したがって次の実験に移らなければならない。
 次に、イモムシはマーカーを避けていたと仮定して、イモムシは色を認識して葉を選ぶという可能性をマーカーを用いずに検証する。それには、斑入りの葉を用意し真っ暗な部屋と普通の部屋でそれぞれイモムシを観察すればよい。真っ暗な部屋では色の変化を感じ取れない。もしこの部屋のイモムシが葉を食べたなら普段色を認識して葉を選んでいるということになる。では、真っ暗な部屋では葉を食べなかった場合はどう考えたらよいのか。原因は、真っ暗では活動しないという場合と斑入りの葉は色以外の要因によって避けられているのではないかと考えられる。前者は夜行性のイモムシを使うなどで解消できる可能性があるが、後者は視覚以外の観点から原因を探らなくてはならないだろう。

A:面白いと思います。ただ、夜行性のイモムシはそもそも色覚を使っていないでしょうね・・・。


Q:斑入りは、ウイルス感染のほか、遺伝的要因によっても生じる。斑入りの部分は葉緑体が欠乏、あるいは光を有効利用できない構造となっているため、植物にとって生存に不利なもののはずである。にも関わらず、何故斑入り植物は存在するのか。授業では食痕の擬態の可能性が挙げられたが、その他、斑入りにどのような意義があり得るのかを考えた。まず考えたのは、「斑入り部分では有機物は合成されないため、虫は斑入りの葉を好んで食べないのではないか」ということである。すなわち、「斑入りにすることで貧栄養状態をアピールし、虫に食べられることを避けているのではないか」ということである。この考えは授業で挙げられた「食痕の擬態」と、「見た目により、虫に食べられることを防ぐ」という点で共通している。1枚の葉の有機物合成量は減るが、葉の枚数を増やすことにより、植物全体での有機物合成量の減少をカバーできるのではないかと考えられる。また、光合成色素が集中して存在すると、光の吸収効率は悪くなるという(参考文献p.62より)。そのため、光合成色素が過度に集中した部位では、わざと葉緑体数を減らして、光合成の効率を上げているのではないだろうか。ただしこの場合の斑入りでは、緑色と白色の部分がはっきりと分かれるのではなく、葉が、全体的に緑色が薄くなったり黄色がかったりするようになることが考えられる。
≪参考文献≫宮地重遠 編『現代植物生理学1 光合成』朝倉書店、1992年2月

A:確かに、一様に緑を薄くする場合は適応的な意義を考える余地があると思います。ただ、そのような葉はふつうは斑入りとは言いませんよね。


Q:今回は斑入りの葉について考えてみました。斑入りの葉でなにか模様を作ることはできないかと考えてみました。模様はハートや星型などで考えてみました。斑入りをつくるには遺伝やウィルスなどがあります。遺伝では自分が思った通りに模様を作ることができないと思います。そして、ウィルスではどうかと思いましたが、ウィルスにかかるとは簡単に言えば病気の状態、なので葉脈に沿ってや斑状に斑入りを作ることはできても意図的にある一部分にだけ斑入りを作ることはできないと思います。そこで調べてみたのですが、周縁キメラによる斑入りという斑入りにする方法がありました。これなら葉の模様にしたい一部の細胞を異なった遺伝子を持つ細胞にしてやればうまくいくと思います。そしてシクラメンなどでは、斑入りの色をピンク色にもできるようなので、これらをいかしてやればピンク色のハート模様があるシクラメンを作れると思います。
参考文献 http://www.poporo.ne.jp/~kondoh/fuiri/mecha.htm

A:「これなら葉の模様にしたい一部の細胞を異なった遺伝子を持つ細胞にしてやれば」という部分をどのようにして実現するかが重要でしょう。単に他のサイトを参考にするだけでなく、自分でやり方を考えることが重要です。


Q:木と草の違いを授業で言っていたが、興味深いものであった。木についている葉は草についている葉より堅いという。草に比べて葉に対する生産能力が劣るので丈夫に丈夫にできているというものらしいが、そもそも木は葉をたくさんつける意味はあるのだろうか。一枚の葉をどーんとつけたら別にいいのではないだろうか。いちいち、一枚一枚に栄養を送るよりも効率的ではないだろうか。しかしこう考えられる。たくさんの葉をつけることでリスクを分散していると考えられる。たとえばもし一枚の葉が虫に食べられてもまだ他の葉があるから死ぬということは考えられない。集団で木が存在していることもこのことが言えるかもしれない。体積が増えることで、より光を吸収しやすく光合成が上手くいくとも考える。

A:考えようという姿勢は感じられるレポートです。ただ、もう少し細部をつめて考えた方がよいですね。たとえば、「一枚一枚に栄養を送るよりも効率的」というのはあまり考えずに通り過ぎるとそのような気もしますが、よく考えると、どのような状態の時になぜ効率的か、ということは案外きちんと答えることが難しい質問です。また、リスク分散もアイデアとしてはよいのですが、多数の葉の中の一枚の葉を食べられるのと、大きな葉の中の一部を食べられるのが、リスクとしてどのように違うのかは自明ではないように思います。


Q:「新緑がまぶしい」という話があったが、広葉樹林(落葉樹林)の葉は若草色が目立つ。一方で針葉樹林などは濃い葉色が印象的であると思う。そこで、広葉樹林と針葉樹林について考えてみたい。漢字からも分かる通り、クスノキのような広葉樹林の葉は大きく平べったい。モミなど針葉樹林の葉は針のように細長い。葉の形だけでなく、葉や枝の付き方も区別出来る。広葉樹林は木の上層部に枝がついているが、針葉樹林は木の上層部から下層部にかけて枝がつき、葉が生い茂っている。これらは写真などからも簡単に観察できる。以前に「葉の形と光吸収」について話があったと思うが、今回の枝の付く位置も光吸収と関連していると考えられる。
①広葉樹林:広葉樹林は温暖帯に主に分布しており、太陽からの照射量も比較的多い。また気候も安定しており、生命活動も活発であるため落葉する場合もある。従って、比較的木の上層部に葉を付け、活発な光合成が可能となる。
②針葉樹林:針葉樹林は冷温帯に多く分布している。北部に位置するため気温も低く、日光量も少ない。温度が低いため生命活動が盛んとは言えない。よって針葉樹林は常に葉をつける常緑樹であり、細い葉の形を取り、下に位置する他の葉にも光が届くような構造になっていると考えられる。また、木の上層部から下層部にかけて全体的に葉が付いているのは、生命活動が活発ではないため葉を失っても全体の損失率を押さえるためだと説明することができる。
以上のように葉の形だけでなく、植物群落の種類や気候、枝や葉の付き方からも光が植物に与える形態的な影響を見つけることができる。

A:これも考える姿勢は感じられます。ただ、「生命活動が活発であるため・・・」とか「従って」、「生命活動が盛んとは言えない。よって・・・」など、生命活動の状態から導いている結論への論理が僕には理解できませんでした。生命活動が活発である「ため」落葉する、などの論理は、少なくとも途中が省略されているのではないでしょうか?レポートとしては、論理をきちんと追えるようにすることが重要です。


Q:ふ入りの葉を持つ植物についての話があり、斑の部分では光合成ができず不利なはずなのになぜ存在するのか?という話がありましたが、そのいくつかの答えの中に「人間が保護しているから」というものがありました。人間が保護しているから自然選択に合わず、生息に不利でも生き残っている…という考え方ですが、少し考え方を変えるとこれも自然選択の結果なのではないかと思いました。なぜなら、人間も地球上の生物の一員だからです。特別な存在ではなく、植物からすれば人間も太陽と同じように植物に何か影響を与える環境の一部だと思います。つまり斑入りの植物は、自分で光合成して養分を得て生き延び、繁殖する道を選んだのではなく、人間の観賞用として斑入りの葉を残し、そして人間に養分を与えてもらって生きる道を自ら選択し、進化している最中なのではないかと考えました。人間が保存しようとしなければ、ウイルスによる影響で死んでいく事を食い止めるために植物自体にウイルス耐性が生まれてくる進化が起こるかもしれません。

A:進化に対する人間の関与を考えることは重要ですが、その進化自体は人類が出現するよりも前から継続していたわけですよね。その場合、ウイルス耐性などはどのように考えたらよいでしょうか?そのあたりの考察がほしいところです。


Q:ミトコンドリアマトリックスでのクエン酸回路は、それに続く酸化的リン酸化によるATPの合成に必要な還元力を、多段階の反応を通じて小分けして生み出す。このサイクルはどのような生物のどのような代謝経路から進化したものだろうか。まずこの反応系がミトコンドリア内で起こるものだから、原核生物の一種に由来するものと考えられる。ここでクエン酸回路の途中で1分子のATP(またはGTP)が合成されることに注目する。このATP合成が、目的とする祖先生物にとっての基本的なエネルギー合成経路だったと考えられないか。とすると、この生物はスクシニルーCoAあるいはその類似物質の分解によりエネルギーを得ていた細菌ということになる。このような考えはただの有機物から生物と呼べるようなものに至るまでの化学進化、またそれ以降のより高次の生物への進化を考える一助となる。

A:講義の中では触れませんでしたが、原核生物であるシアノバクテリアでは、クエン酸回路が回路になっておらず、2本の代謝経路に分断されています。そこを考えるとクエン酸回路の起源を考える上でさらに面白いかもしれませんね。