植物生理学I 第4回講義

光の吸収

第4回の講義では、光合成反応の出発点である光の吸収という現象と、その現象を担う光合成色素について解説しました。講義に寄せられたレポートとそれに対するコメントを以下に示します。


Q:今回の授業で植物の葉の構造が植物に入ってきた光を最大限に利用することに役だっていることを学んだ。この形態を決定づけているのは周囲の環境だという。このように述べると植物と環境は一方向的な関係に見えてしまうが果たしてそうなのだろうか。そもそも環境を構成するものは何であるか。大気、海、太陽、動物など様々なものから成っていると思われるがその中には当然植物も含まれている。こう考えると、形態を環境に依存しているという視点だけではなく、その環境を植物自身も形作っているという双方向的な視点も見えてくるのではないかと考える。例えば、ある植物の葉により自分の葉が日光を遮られたらその植物はうまく日光が得られるように変わっていくというように。このようなことは何も植物だけに限られることではない。生物とは複雑な相互作用を及ぼしあいながらうまく共存しているようにみえる。したがって、生物を観察する、研究する場合には観察対象の生物だけでなくその他の生物や自然条件にも目をむける必要があるのだと考える。

A:日本語の文章としては悪くないのですが、レポートとしてはもう少し論理がほしいですね。一般論ではなく、もう少し具体的な観察から論理を使って結論を導き出すような形が必要だと思います。


Q:水深・水質などにより、透過する光の波長は異なるという話を聞いて思ったのは「幅広い波長を吸収・利用する光合成色素をもつ、あるいは幅広い波長をカバーできるよう複種類の光合成色素を持っていたならば、あらゆる環境に適応でき、植物にとって都合がいいのではないか」ということである。しかし現実には、光合成色素はそれぞれ固有の吸収スペクトルをもつ。ここで「浮遊物のある汚い池」に全波長の光を吸収・利用できる藻類があったと考える。透過する光は赤であるから、その藻類は全波長の光を利用できたとしても、赤色光を吸収する光合成色素以外は利用しないこととなる。これでは、かえって効率が悪い様に思われる。あらゆる環境に適応できる機能を有していたとしても、環境によってはその一部しか利用しないこととなる。植物は一度ある環境に根付いたら、そこから移動することは考えにくいので、使うかわからない機能を維持するよりも、限られてはいるが環境に適した機能をもつほうが効率がいいのだろうか。また、以上までを考えていて「では植物は周囲の環境に合わせて、光合成色素を取捨選択しながら進化してきたのだろうか」と思った。現在では光合成色素としてクロロフィルやカロテノイドなどしか持っていない植物がかつて、他の波長の光も吸収・利用する色素を持っていたとしたら、その植物は太古には、どのような葉の色をしていたのだろう。

A:これは、きちんと考えられたレポートだと思います。その考えも、単に人の考えに乗っかったものではなく自分の考えが表現されています。最後の文は修辞的疑問文だと思いますが、レポートとしてはオープンクエスチョンにするのではなく、最後まで自分の考えで押し通した方がよいと思います。


Q:緑色の植物は、赤色と青紫色の光を吸収するクロロフィルと、青緑色の光を吸収するカロテノイドをもつため、赤、青緑、青紫色の光は吸収するが緑色光は透過させてしまう。だが、光のスペクトルを見ると、可視光の中でも緑色光は多くある。それにも関わらず、なぜ植物はその波長の光を利用せずに緑色光を透過させてしまうのだろうかという疑問をもった。葉の表側の葉緑体で光合成が飽和状態にあるときで裏側では光飽和に達していないとき、赤色光や青色光を照射してもその光は熱となり排出されてしまう。だがこのような状態のとき緑色光を照射すると、その光は葉の裏側まで届き、光飽和に達しない葉緑体の光合成を促進させる。つまり、緑色光は葉の表面が光飽和に達してしまっている場合に、さらに光合成促進を助ける働きをしていると言える。そのため、緑色光は赤や青色の光に比べて透過させてしまう量が多いが、全く利用していないということではなく、光合成の効率を上げる役割を持っている。このように、緑色光は補助的な役割としてのみ利用されており、光合成の中心としては働いていない。その理由として、進化の過程で赤や青色の光を吸収して光合成を行い、緑色光を補助的に用いた方が、効率良くエネルギーを生産することが可能であったからではないかと考える。もしも緑色光を光合成の中心として利用し、エネルギーを生産することのできる植物が存在すれば、その植物は他の植物の陰に隠れて直接光が当たらなくても、他の植物の葉から透過した緑色光を利用してエネルギー生産をすることが出来る。そうすれば他の植物の好まない場所でも繁殖することが出来、生存競争に有利になるのではないかと考える。
<参考文献>
http://www2.kaiyodai.ac.jp/~takamasa/kogosei/kogosei.html
http://www.biout2009.info/lecture/lecture_b03.html

A:これは、内容はそれほど悪くないのですが、全体のストーリーが参考文献の2番目に挙がっている寺島さんの話に乗っかってしまっています。最後の2文が独自性を示すところですが、これはまあ当然と言ってもよい内容でしょう。たとえ短いレポートであっても、自分なりの、他の人とは違う発想を盛り込みたいところです。


Q:今回の授業を受けて、クロロフィルの種類の多さを学び、それは波長の違う光を吸収するためだということも理解した。種類が多いということは、きっと、あるひとつのクロロフィルから派生していったのではないかと考えられる。わたしはその派生の仕方に興味を持った。スクエア最新図説生物(第一学習社)によると、クロロフィルaは植物全般がもち、クロロフィルbはコケ・シダ・種子植物・緑藻類、クロロフィルcは藻類、さらにhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%AD%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AB(ウィキペディア)によると、クロロフィルdは藍藻がもつということである。植物の進化を考えると、それにともないクロロフィルも進化したと考えられるので、クロロフィルd→クロロフィルc→クロロフィルb→クロロフィルaという派生をたどったのではないかと考えられるが、果たしてほんとうにそうなのだろうか。例えばクロロフィルの構造を解析することで構造が似ているほど派生において近い位置関係にあることがわかるし、それ以外にも光合成において光を吸収する際には様々な酵素が関与してくるため、その酵素の構造や酵素をコードするDNAやmRNAの塩基配列を解析することで、クロロフィルの派生が近いほどきっとそれらの塩基配列も似たものになっているだろう。このようにして、確実なクロロフィルの派生が理解できるのではないだろうか。

A:面白い考えですが、シアノバクテリア(藍藻)はクロロフィルaも持つわけですよね。とすると、途中のクロロフィルcとクロロフィルbが説明つかないのでは?すべての植物が持つ色素が基本である、という考え方の方がやはり自然だと思います。


Q:色素タンパクは共役二重結合の長さによって吸収する波長領域を変えているというのには驚きました。シリコンの太陽電池ではシリコンに主にホウ素などの第二族元素やヒ素、リンなどの第十五族元素やカドミウムを混ぜることによって電子の動きやすさを高め、より長い波長領域の光でも電気エネルギーにかえるということを太陽電池を研究しているの友達から聞きました。目的としていることは同じでも、人工でつくる場合はヒ素やカドミウムなど毒性の高いものを使わなければならないというのは、いずれ問題が発生してしまうような気がして、それに対し色素タンパクの場合は天然のものでは安全であるし、人工で作っても燃やしてしまえばほぼ二酸化炭素と水なのでそういう点でもやはり材料として十分に優秀でありそうだなと思いました。共役二重結合の長さによって励起される波長を変えられるのであれば、短波長は散乱しやすく、長波長は散乱しにくいの性質を利用して、短波長の光で励起される色素を上の層に長波長で励起される色素を下の層に、吸着させる二酸化チタンの粒子に細かい傷を入れて光を散乱しやすくし、最下層には鏡を、最上層にはある方向から入射した光は反射しないけれど反対の方向から入射する光は反射するマジックミラーのような物を使うなどして工夫して、ちょうど柵状組織と海綿状組織のように光をトラップできるように工夫したら面白そうな気がしました。

A:「人工で作っても燃やしてしまえばほぼ二酸化炭素と水なのでそういう点でもやはり材料として十分に優秀」という考え方は、現代の考え方ですね。一昔前までは、そのような観点から材料を評価することはほとんどありませんでした。全体としても面白いレポートだと思いました。


Q:クロロフィルのマグネシウムが配位している環の名前はテトラピロール環というらしい。またテトラピロール環の分子構造を見てみると、2つのNと2つのN?が中心の元素を取り囲むようにして存在しているのが分かる。そして2つのN?が中心元素と結合している。ここで中心元素となりえる元素の条件を考えてみると2+の元素なら中心元素と成り得そうだ。それならばなぜマグネシウムと亜鉛のみがクロロフィルの中心元素として利用されているのか。別に銅や鉄などはなぜ利用されていないのか。鉄ならば土壌中に大量にあって利用もしやすいのではないか。しかし、調べてみると鉄は酸化し難溶となる。また土壌中ではその難溶性はさらに高くなってしまう。こうなると植物は利用することができない。水酸化鉄という状態になっているときに吸収・利用ができるようだ。また水酸化マグネシウムの溶解度は1.2 mg/100 cm^3、水酸化鉄は6×10^(?3) mg/cm^3であり、鉄はマグネシウムよりも2000倍溶けにくいといえる。そのために利用しやすいマグネシウムを使うのだろう。

A:これも面白い視点のレポートですね。中心金属が銅に置き換わるとクロロフィルの構造の安定性が増すので、置き換えて作った銅ポルフィリンは着色剤として使われるようです。ただ、植物に使われない所を見ると、安定でも光合成には向かないのでしょうね。


Q:葉は光を多く集めるために、重なり合わないようになっていると授業で学んだが、葉が光を多く集めるために重なり合わないようにするのであれば、大きな葉よりも針葉樹林に見られるような細い葉のほうが有利なのではないかと考えついたが、そうならなかった理由を考察してみる。まず葉が細いと重なりにくいため光をよく受けることができるが、光を受ける面積が少なくなるため、光合成の効率が悪くなり、酸素の供給量が減少したりするため大きい葉のほうが適しているということが一つ挙げられると思う。次に細い葉は普通の大きな葉よりも風や動物などにより、簡単に落葉しやすくなり、結局葉の数が少なくなって、光合成を行えなくなってしまうということもあると思う。これらのことを考えると、やはりすべての葉が細くては光合成を行いにくくなり、細い葉ではなく大きな葉が多くなったと考察される。

A:ある形質が別の形質よりもすべての場合で不利であれば、その形質を持った生物は絶滅します。もし、細い葉がいつも不利ならば、大きな葉が「多くなった」では済まず、針葉樹は存在しないはずです。進化について考える場合、環境とのかかわりを十分に考える必要があります。


Q:植物はなぜ黒色ではないのだろうか。もし植物の祖先(ランソウ)が全ての波長の光を同程度に高いレベルで利用していたら、植物は黒色に緑色植物は可視光に含まれる波長を全て光合成に利用しているが、500nm付近の緑色光は利用が相対的に少ない。これはなぜか。まず考えられるのは、全ての波長を高いレベルで利用すると、吸収するエネルギーが多過ぎることだ。光合成に利用しきれないエネルギーは熱として植物外に放出されるが、この熱量が高いと、化学反応の平衡の移動、酵素の失活、水の過剰な蒸発などを招く。しかしこの点については、色素の量を調節し、葉を灰色にすれば解決できる。もう一つ考えられるのは、植物の祖先生物が生息した環境で、緑色光が相対的に非常に強かったことだ。この様な条件下では、緑色光の吸収効率が低くても、その生物は十分に光合成ができる。またこの考えは植物が様々な色素を持つことと矛盾しない。植物は自らの生息環境の光条件にあった色素を有しているのだろう。またこのような仮定をすれば、植物の祖先生物が緑色光以外の波長の光が弱くなるような条件下にいたこと、そのような大気や水環境を構成する物質が何か、など当時の環境を推定することも可能になる。

A:これも自分の頭で考えているレポートで高く評価できます。ただ、実際に「緑色光が相対的に非常に強」いという環境はあまり想像できませんが・・・。


Q:授業で、光は葉っぱを1ピコ秒で通り抜けるので葉っぱは細胞内で素早い反応をしなくてはならないということを聞いて、葉緑体ではそんなに早く光を利用することが出来るのかということを疑問に思いました。自分はさすがにそんなことは出来ないのではないかと考えます。光が継続して葉に当たり続けることによって、葉緑体で光を利用できるようになるのではないかということです。そのために光が葉の内部に少しでも長い時間当たるように、授業で最後にやった、葉の内部表面側にさく状組織があり内部裏側には海綿状組織があって、上から来た光が内部で乱反射出来るようになったのではと考えます。このことを調べるためには、光の照射時間と光合成速度の関係を測定しグラフ化することによって、限りなく照射時間が0秒に近い時を推測して、光を何秒あてたときから光合成速度が0より大きくるかを推測することができれば可能になると考えます。

A:光の照射時間と光合成の関係を調べるというのは面白い考えですね。短いフラッシュ(閃光)をあてて光合成を測定する手法は、実際に光合成研究の分野でよくつかわれる手法です。やってみると、フェムト秒(10のマイナス15乗秒)の光を当てても光合成の反応は起こることがわかります。光の吸収自体は「瞬時」に起こるということですね。ただ、実際の酸化還元反応などには最低でもピコ秒程度の時間がかかります。