植物生理学I 第2回講義

イントロダクション

第2回の講義では、エネルギーの側面からみた生物と地球について解説しました。講義に寄せられたレポートとそれに対するコメントを以下に示します。


Q:生態系の食物連鎖は、生産者、消費者、そして分解者によって物質とエネルギーの循環が行われることである。例えば、海洋生態系では、植物性プランクトン→動物性プランクトン→鯉(1次消費者)→サメ(2次消費者) のような連鎖が存在する。ここで私が疑問に思ったのは、地球上には数えきれないほどの生物が存在するが、食物連鎖の段階自体はそんなに複雑ではないところである。長くても5段階ほどで終わる。これはただ生態系の個体数を簡単に表現したわけではない。これには理由があるのだろうか?
 食物連鎖には、物質の循環とともにエネルギーも循環している。しかし、エネルギーは完全に循環できない。連鎖の最初の段階でもある植物(生産者)は太陽エネルギーの一定量を化学エネルギーに変換してもっている。この量を100にすると、この植物を食べた1次消費者は、体温を維持するなりしてそのエネルギーの一部を使う。(100→70) 使われたエネルギーは熱エネルギーとしてもう使えない状態になる。次にその1次消費者が2次消費者に食べられた場合、70のエネルギーが有効なエネルギーとなる。100→70→50→30.... このように連鎖が長くなることで、熱エネルギーなど、エネルギーの損失も多くなり、生存できるエネルギーが少なくなるため、5段階以上の長い連鎖は滅多に行われないと考えられる。

A:定性的にはこれでよいのですが、できたらなぜ5段階なのかという定量的な部分まで踏み込んでほしいところです。この議論自体は、単に長い連鎖が難しいと言っているだけで、3段階までは可能なのか、5段階まで可能なのか、それとも10段階まで可能なのかはわかりませんよね。そこはどのようにして決まっているかまで議論できると素晴らしいレポートになります。


Q:今回のレポートは針葉樹の光エネルギーの獲得と適応について考察してみた。これは地球に届く太陽エネルギーは全体としての量は莫大であるが、単位面積当たりに直すと小さなものとなり、そのエネルギーをより多く獲得するために植物の葉は扁平なものとなっていると聴き、針葉樹の植物はそれに逆行するのではと疑問をもったためである。調べた結果、意外なことにも針葉樹は広葉樹に比べ葉面積指数が高く、樹冠が深く、光を逃すことなく効率的に捉えていることが分かった。また、成長量が早く、二酸化炭素の吸収量が広葉樹よりも高いこともわかり、さらに導管が細く蒸散が少ないため、寒さ乾燥に強く広範囲に繁殖できると知った。しかし、繁殖の方法が風による花粉の媒介が主であり、広葉樹の多様な、動物や環境と密接に関わる受粉の仕方に遅れをとり、競争に負け、現在は広葉樹のない過酷な環境で多く生えている。ここで裸子植物から被子植物に進化したといわれているが、授業で習ったように光を効率的に獲得するために葉を広げ適応したことに対して矛盾を感じる。むしろ、葉を広げることにより寒さや乾燥の脅威にさらされやすくなるようになったのではないだろうか?受粉の仕方を多様化し、動物に魅力的に植物を見せるためだとしても葉を変えずに花をだけを変えればいいのではないか?だとしたら、植物は大きな葉をもつようになったのは動物に食料や住処を供給するためであると考えた。

A:「調べた結果」という場合は、必ず出典を明記してください。たとえば、「二酸化炭素の吸収量が広葉樹よりも高い」とありますが、何を基準にしてどのような条件で比較したものかを確認しないと評価できませんよね。葉面積あたりの光合成速度を測定すれば、裸子植物は被子植物よりも速度が低くなると思います。最後の部分はなかなか大胆な仮説ですが、進化の過程で生き残るためには、ある変化によってより多くの子孫を残せることが必要ですよね?とすると、動物に食料や住処を供給するとなぜ子孫を多く残せるのか、という点を考えないといけません。


Q:被子植物はジュラ紀に裸子植物から分化したと考えられている。被子植物の登場により、裸子植物はその地位を失い、少数の種を残すのみとなった。その要因を考察する。まず道管の有無にあると考えられる。被子植物は道管を保持し、これは裸子植物が保持する仮道管よりも細胞壁が消失した穿孔を通して水分の流通が行われるために、効率がはるかによい。すなわちこれにより乾燥地など水分の保持が重要な環境での適応に被子植物が裸子植物に勝ったと考えられる。次に、心皮(子房)が胚珠をつつんでいることや重複受精にあげられるように、被子植物は裸子植物に対し生活環の効率がよく、短くて、繁殖が容易であることがあげられる。繁殖に関して他には、被子植物は花といわれる生殖器官が発達しているために動物による花粉媒介や種子散布が多く行われており、裸子植物ではそれが少ないということも要因の1つと考えられる。最後にまとめると被子植物は裸子植物にくらべ生活環の効率がよく、繁殖能力が高い。また、乾燥という環境に対する適応能力が高い。このような理由から被子植物は裸子植物に対する優位性を得たと考えられる。
参考文献:http://www.eonet.ne.jp/~a-omori/evolution2.html
新・図と表でみる生物  吉田邦久著 駿台文庫株式会社

A:あまり、講義の内容と関連がないようですが・・・。それはともかく、あらゆる面の効率である生物が別の生物より上回っていたら、その別の生物は絶滅するでしょう。もし、「少数の種を残す」のであれば、それには何かわけがあるはずです。特定の環境では効率が逆転しているはずで、そのような考察も欲しいところです。


Q:すべての生物の存在を支えている植物は食物連鎖の起点であり、また、酸素濃度を維持する役割も果たしている。ヒトは呼吸により酸素を消費し二酸化炭素を放出しているが、植物が光合成を行うことにより物質は循環され、大気中から酸素がなくなることはない。しかし、今回の講義内容にもあったように、一日の植物の光合成量とヒトの呼吸量から考えると、ヒトの呼吸をまかなうためには30平方メートル以上の葉面積が必要である。では、人口が増大するにつれヒト一人当たりの葉面積が30平方メートルを下回る、すなわち植物の光合成により人の呼吸をまかなうことが出来なくなることはないのだろうか。そこで、植物を、酸素の供給者でなく農作物・食物として考える。栄養段階が上がるに従い、生態系ピラミッドの個体数・生態量は減少する。よって、人口がいくら増えようとも植物の生産力の限界をこえればその数は自然と減少するため、酸素供給の限界も来ることはないと考えられる。では植物の生産を人工的に増大させれば、人口もいくらでも増大し得るのかと言えば、そうではないことが『ボイセン イェンセイ 植物の物質生産』により分かった。それによると、植物生産の増大率と人口増加率とを考えれば、「成長条件の改良や植物の育種によって達成されるであろう物質生産の増大には限界があ」り、地球上の人口には限界があるということである。
≪参考・引用文献≫『ボイセン イェンセイ 植物の物質生産』、門司正三、野本宣夫訳、東海大学出版会、1982年9月

A:酸素供給と植物の関係は面白い考察ですね。人口増加と物質生産の増加率の関係は生態学以前に、経済学の分野ですでに取り上げられています。マルサスが有名ですね。植物による生産の上限という意味では、地球の表面積と面積当たりの最大光合成速度から考えることもできると思います。


Q:サボテンはCAM植物である。夜間、リンゴ酸の蓄積に対応して、細胞内のデンプン量が減少する。しかし、このときCAM植物は、空気中の酸素をさかんに吸収するが、二酸化炭素の放出は少なく、逆に酸生産のさかんなときは、かなりのCO2吸収がみられる。したがって、CAM植物は、夜間、炭水化物を酸化的に分解するとともに、空気中の二酸化炭素を固定して有機酸を作ることになる。CAM代謝では時間的に分離して?固定は夜間、還元は昼間?行われる。CAMはC3、C4の気孔数に比べ著しく少なく10分の1以下である。そのためCAMの光合成能力は著しく低い。人工的に夜間に二酸化炭素を固定する植物を増やせば、僅かかもしれないが地球上に増えすぎた二酸化炭素を減らすことは出来ないのだろうか。 参考文献:光合成と物質変換 宮地重遠、村田吉男 編集

A:初回のガイダンスで説明したと思いますが、調べたことを書いただけのレポートはほとんど評価しません。自分の「考え」「論理」を書くようにしてください。また、最後の「出来ないだろうか」という部分は、いわば判断を放棄しているわけで、エッセーならば許されますが、レポートとしては失格の表現です。きちんとどちらかの立場に立って、その立場を論理で説明するようにしてください。


Q:地球上の生態系が維持され、例外なく人類活動のエネルギー消費を賄うのも、太陽エネルギーがすべての源となっている。太陽エネルギーは約3.8×1026wあり、そのうち地球に届くエネルギーは1.8×1017wであり、それはたった1時間分で、1年分の人類のエネルギー消費を賄える計算になる。システムとしては約6000kの放射をもつ可視光が地球に注がれ、地球からまた250kの放射をもつ赤外線が放出される。その放射の差分が地球に蓄えられ消費されている。地球にはエネルギーの循環と物質の循環があり、それらは食物連鎖により営われている。物質は食べられる方から食べた方へと移動を繰り返し、またそれらの便となり、物質は保存される。そしてエネルギーは太陽から来た可視光のエネルギーが二酸化炭素とともに光合成を介して植物に蓄えられ、動物に食べられることでエネルギーが移される。動物に移されたエネルギーは化学エネルギーとなり、動物の活動により熱(赤外線)として放出される。つまり、地球上ではエネルギーと物質が食物連鎖によって循環しているわけだが、食物連鎖はフェーズが進むごとにエネルギーが減少していくため、エネルギーの連鎖の均衡を維持していくためには、他の動物を食べなく且つ太陽のエネルギーを蓄えられる生物が必要になってくる。したがって植物がその役割を担っている。近年地球温暖化などの環境問題で、植林などが盛んに行われ、議論されている。植物は光合成で酸素を供給し、その量は1日に0.6mol/m2あり、人間の1日の呼吸量は20molある。したがって一日の一人の呼吸を賄うには30m2以上の面積あたりの植物が必要となってくる。世界の人口は現在68億6千人ほどいると言われている。つまり世界全人口の呼吸量を賄うには2058億m2以上の植物が必要となる。今現在地球上にある植物の量は5億1000km2あるので、現在ではまだ呼吸量を維持できるが、森林伐採が進んでいるため、植林を進めなくてはならない。しかし、酸素の供給量としては数値から判断してまだまだ余裕があるが、植物はすべてのエネルギー源である太陽からエネルギーを吸収し、生態系に供給しているため、酸素供給以外にも重要な役割を果たしている。したがって植林や森林の保護は生態系のバランスの維持とともに、生態系へのエネルギーの供給がマイナスに転化しないようにするのも保護活動が急務になっている一つの要因だと思われる。
参考文献:世界の植物の現存量と純生産量http://ebw.eng-book.com/pdfs/ca335efb005919073264f6e21fcf9419.pdf

A:このレポートは調べたことに自分の考えを加えていますので、合格です。ただ、これだけだと、巷にたくさんある環境問題を題材とした評論と区別がつきません。欲を言うと、意外性というか、独自の視点がもう少し欲しいところですね。


Q:葉の特徴として、「扁平である」ということがあげられる。これは、地球に降り注ぐ太陽光は非常に大きなエネルギーであるが単位面積あたりの量が少なく薄いため、葉の表面積を可能な限り大きくし、吸収するエネルギー量を増やそうという植物の試行錯誤の結果である。植物は葉のつきかたにおいて二つに分類できる。①広葉型(広い葉がほぼ水平に配列している)と②イネ科型(細い葉が斜めに配列している)である。①と②はどちらの葉も扁平である。しかし、2つの葉のつき方によって、それぞれが最大限に太陽光を吸収しようとしている。では、樹木につて考えたらどのようになるのか。樹木につく葉は一般的に葉は広く、①の広葉型に近いだろう。しかし、樹木についている葉の数は無数にある。それら多くの葉も前述の葉のつき方の例に漏れず、それぞれの葉が隙間をめぐって光を吸収しようと広げている。大草原に一本たたずむ大木ならば、それでよい。光は上からも横からも射し、葉はあらゆる角度に表面をむける。しかし、熱帯雨林などの非常に密集した植物群落ではどうなるのか。上層部には光は届く。しかし、下層部や林床にはほぼ太陽光は射さない。そのような状態が長いことつづけば、光がないのであれば下層部に葉はいらない。だが、そうだからといって下部に葉はないかといえばそうではない。どんなに密集していてもある程度の下位層までは葉をつける。ここで、まず密集した植物群落でも林の中が真っ暗で何も見えないということはあまり起こらない。つまり、微弱ながらも太陽光は地表面まで届いている。そして、植物の種類によって光の強さに対する光合成速度はさまざまである。陰性植物と陽性植物が分かれているように。では、同じ一本の木でも葉のつく場所によって光の強さに対する光合成能力には差があるのではないかと考えられる。木の上層部はともかく、下層部につく葉は多少弱い光でも活発に光合成を行える能力ああるのではないか。よって、同じ一本の木であってもその葉はつく場所によって臨機応変に環境にたいして順応していると考えられる。

A:考察はよいと思います。「下層部につく葉は多少弱い光でも活発に光合成を行える能力あある」とした場合、その葉が強い光でも光合成をおこなえるのであれば、別に下層だけにそのような葉をつける必要がなくなります。とすれば、この議論の前提には、「弱い光で活発に光合成を行なう葉は強い光の下での光合成が抑えられる」ということがあるはずです。そうであれば、なぜそうなるのかを考えるのが重要になるでしょうね。


Q:今回の講義で動物が呼吸しても地球上の酸素がなくならない、という話があった時、私の頭には「ガイア仮説」の事が浮かびました。ガイア仮説とは、生物体と地球環境がフィードバック作用をし合って地球が「恒常性を持っている」、つまり地球が「一つの生命体」なのではないか?という意味として知られた仮説です。今回の講義にあったような大気の循環は確かに人間の血液の循環や機能に似ているし、環境と生物は影響し合って、均衡を保って変化しています。地球が恒常性を持つ生命体なら、その地球に生きる動物も植物もその恒常性を保つための「組織」である。そう考えると、植物も現在の地球が抱える「変化」、「二酸化炭素濃度の上昇」に対応して、二酸化炭素の吸収効率が高くなった新しい種が生まれるなど、大昔から今まで植物が様々に環境に応じて進化してきたように、今が進化の最終地点ではなくこれからも新しい進化が起きてくるのではないかと考えました。

A:その通りだと思います。ただし、「新しい進化」の結果、現在の人類が絶滅する可能性は十分に考えられるでしょう。


Q:光のエネルギーが量としては膨大だが、薄いということを今回の講義で学んだ。それをよく反映しているのが「植物の葉」ということで気温・降水量と植物群系から植物の光合成について考察してみたいと思う。植物の葉には様々な種類がある。例えば、授業で扱ったサボテンは砂漠気候であり光の量ではなく、水の量によって光合成できる量が決まるので、葉が扁平である必要はない。むしろ、乾燥に耐え、水を蓄えておくために扁平であってはいけないとも言えるのではないだろうか。また、逆に熱帯多雨林気候は降水量が多く光の量によって光合成できる量が決まると考えられる。「太陽光は大気を通して地表面に届きます。太陽光は大気を通過中に散乱や吸収を受けますので大気圏外の値よりも地表面に届く光は弱くなります。この減衰量は大気の状態によって大きく影響を受けまた太陽光の波長によっても影響の大きさが変わります。」(http://www.sankometal.co.jp/prod/technology/pdf/03_11.pdf 4/18閲覧)とあるので地表面よりできるだけ高い場所に葉があることにより、散乱や吸収を少しは防ぐことができ、多くの光をえることができるのではないかと思う。

A:光合成の律速要因が何であるかによって、葉の形が異なるという考え方は素晴らしいと思います。「高い場所の葉」の方は、大気圏外と地表の間の差の話ですから、植物の高さがkmのオーダーにならないと難しいでしょうね。


Q:地球には様々な動植物が住んでいる。そして自分たち人間を含めたほぼ全ての動植物が、酸素を吸って二酸化炭素を出す呼吸を行うことによってその生命を維持している。その酸素は当然最初から地球に存在していたわけではなく、「およそ30億年前に出現したとされる光合成生物によって蓄積されていった。現在の酸素濃度になったのは多少増減があるものの、およそ4億年前」(ニューステージ生物図表 浜島書店)つまり約26億年もの歳月がかかったのである。ではもし仮に、現在の地球上に存在する植物を、第二の地球と呼ばれる火星に全て植え替えることができたとしたら、地球と同じ酸素濃度になるためにいったいどれほどかかるだろうか。火星の大気は希薄であり、地表での大気圧は約750Paで、地球での平均値の約0.75%に過ぎない。逆に大気の厚さを示すスケールハイトは約11kmに達し、およそ6kmである地球よりも高い。これらはいずれも重力の少なさに起因している。火星大気の組成は二酸化炭素が95%、窒素が3%、アルゴンが1.6%で、他に微量の酸素と水蒸気を含む。火星の表面積は1.44 ×10^8 km2であり、地球5.1×10^8 km2より大気の量を地球の28%とする。地球上の酸素吸収速度は毎秒1万トンであり、植物が無いと3000年でなくなるので、地球の酸素量は
10000×60×60×24×365×3000=946080×10^9トンとなる。
火星にて酸素濃度20%とは、酸素量が
946080×10^9×0.28×0.2=約53×10^11トンである。
動物による酸素吸収量=植物による酸素供給量として、
53×10^11÷10000=53×10^7秒
これを年になおすと、
53×10^7÷60÷60÷24÷365=16.8年
この結果は予想よりかなり早いものであった。かなり大雑把な計算だったが、火星が地球より小さいこと、原始の地球と違ってすでに光合成システムが確立されていることなどの理由で、比較的短期間で成し遂げられることは間違いないと思われる。なお、この計算では、気圧、温度その他の環境のことは考慮していない。
参考文献:百科事典マイペディア、日立システムアンドサービス

A:面白い計算です。ただ、実際には、光合成を火星で行なえたとしても地球とおな量の酸素を火星の大気中に実現することはできません。この計算の前提となる一番重要な要因は二酸化炭素の総量です。光合成による酸素発生と二酸化炭素吸収は基本的にモル比で1対1で起こります。とすると光合成の結果できる酸素の総量は、現在ある二酸化炭素の総量を超えることができません。火星の大気の95%が二酸化炭素だとしても、そもそも大気圧が地球の1%以下です。とすれば、ちょっと計算をすると、火星の酸素分圧を現在の地球と同じにすることは無理だということがわかりますよね。


Q:4/13の授業を受けて、太陽から電磁波でエネルギーが放射されるように、地球から放射される電磁波について初めて具体的な波長で知りました。その話から考えたことは、温室効果ガスを出さない太陽光発電や原子力発電を行ったとしても、やはり地球の平均気温は上昇するのではないか、ということです。というのは、太陽光発電は太陽の放射からエネルギーを得ることからこれまで反射光として地球外に放出されていたエネルギーを地球内に留めることになり、原子力発電は原子番号の大きな元素に溜め込まれていたエネルギーをその外に放出することになるから、どちらも大気圏内のエネルギーを増大させるのではないか、と考えたからです。そう考えた背景には、近代以降の平均気温の上昇は、温室効果ガスの増加のため、という前に化石燃料に溜め込まれていたエネルギーをその燃焼により解放しているからではないか、という考えがあります。このように考えると風力発電や潮力発電も地球の自転により生じた運動エネルギーを熱エネルギーに変換している以上、同様に大気圏内のエネルギー総量の増加を招くことになります。もしこのように発電というシステムにより大気圏内のエネルギーが増加するならば、電力として消費した分と等量のエネルギーをどこか(脂肪やデンプンのような高分子有機物や電池)に溜め込むシステムが必要なのではないでしょうか。それとも地球からの黒体放射によるエネルギーの宇宙への放出からすればその程度のエネルギーは無視できるものなのでしょうか。

A:面白い考え方です。太陽光発電を地球規模に拡大することによって地球の反射率が下がると地球温暖化が進むのでは、という議論は実際にあります。ただ、少なくとも風力発電や潮力発電は、発電しなくても抵抗によって同じだけの熱が生成されているわけですから、発電によって熱発生が増加するわけではありません。太陽光発電の場合も、反射率を増加させないで行なう範囲内においては熱発生を増やすわけではありません。エネルギーをため込むという議論については、石炭・石油がまさにその役割をしていたわけですよね。とすれば、消費した分のエネルギーをため込む、というのはすなわち石炭・石油を使わないというのと同じことになります。さらに原子力発電のように純粋にエネルギーが放出される場合は、その分を石炭・石油にしたら使う分はなくなりますから、全く発電する意味がありません。難しいですね。一方、黒体放射によるエネルギー放出量に関しては、地球の温度が大まかに安定していることを考えると講義で紹介した太陽光の入射エネルギーとオーダーが同じはずです。とすると人類のエネルギー消費は黒体放射のエネルギーの数千分の一になる計算です(人類の1年のエネルギー消費は太陽の入射エネルギーの1時間分にすぎないという話を考えてください)。熱の発生自体が問題ではないことがわかります。