生物学通論 第8回講義

生物のゲノム

第8回の講義では、生物のゲノムとはなにか、その定義から出発しtえ、生物種によって、あるいは個体によってゲノムの配列はどの程度異なるのか、といった点までを紹介しました。


Q:今回の講義で、通常、染色体は対になって存在している(人間の場合は23対46本)が、生殖の際には減数分裂をして精子、卵子では半分の染色体数(人間の場合は23本)になる、ということを扱った。そこで、なぜ通常の細胞では対で存在する必要があるのか、疑問に思った。この疑問に対する答えとして、次の二つの仮定を考えた。1.対になっている染色体のうち、片方が何らかの原因により傷ついても、残りの染色体をコピーすることで復元できるようにするため。2.両親から、1種類の染色体につき1つずつ引き継げるようにするため。これらの仮定について考察する。
 仮定1について、DNA修復についてインターネットで調べたところ、対になった染色体を利用したDNAの修復は行われていなかった。対になった染色体は父親起源のものと母親起源のものであるため、DNAは異なる。このため、修復に対になった染色体は使えないのだろう。仮定2について、もしこの仮定が正しいとすると、有性生殖をしない生物の染色体は対にはなっていない、ということになる。そこで、有性生殖をしない生物、単細胞生物の染色体がどうなっているか調べたところ、単細胞生物の染色体は対にはなっていない、ということだった。よって、仮定②は正しそうである。以上より、染色体が対で存在するのは、有性生殖を行う際、両親から効率よくDNAを引き継ぐためである、と考える。

A:きちんと論理だてて考えていてよいと思います。一点だけ、「有性生殖をしない生物」=「単細胞生物」というわけではありません。単細胞生物であても、分裂で増える以外に有性生殖で増えるものがあります。


Q:今回の授業で印象に残ったのは「ゲノム解読」である。広義にしろ狭義にしろ塩基配列全体の解読を目的とした研究が始まったのが20年前、というのに驚いた。古代ギリシャ時代から、ヒトとはなにか、ということは考えられていた。この頃はヒトは他の生物とは違った存在と考えられていたため、ヒトを生物学的に分析していなかったのかもしれない。その後産業革命などによって技術が発達しヒトを研究の対象と見始めたのであろう。しかし研究が始まってたった10年弱でヒトゲノムの解読が達成された、というのは、やはり技術の進歩が著しい証拠なのだと思う。

A:ヒトを研究対象として考えられるかという主題であれば、もう少し、その主題に沿って論理を展開してほしいところです。このままだとレポートとしてはややさびしいでしょう。


Q:チンパンジーとヒトの塩基配列の違いが1%で、人の個体差の塩基配列の違いが0.1%というのに違和感を覚えたので考えてみたい。ヒトとチンパンジーの塩基配列の違いは1%であるが、80%の遺伝子について、生み出すたんぱく質のアミノ酸配列が異なると講義では説明された。これを単純に考えると、100塩基対に1対、つまり、33個のアミノ酸配列のうち1個のアミノ酸に違いがあるということである。確率的に言えば80%が33個以上のアミノ酸から出来たたんぱく質であるということになる。同じようにヒトの個体差0.1%も同様に考えると、333個のアミノ酸配列のうち一つに違いがあるということである。しかし実際のヒトのたんぱく質で333個より多くのアミノ酸配列でできているものがたくさんある。そう考えると、ヒトの個体差による表現型の違いはもっと出てもおかしくないように思う。これを解決するためには、たんぱく質合成には遺伝領域2~3%以外の部分にも働きがあるのではないかと考えざるを得ない。例えば、繰り返し配列回数の増大によって、個体間の塩基配列の違い0.1%によって合成されるたんぱく質の割合を減らし、その違いを機能させなくさせるなどが思いつく。

A:最後のところの意味がよくとれませんでした。講義の中でも紹介しましたが、ゲノムの配列上にはタンパク質に翻訳されない部分がたくさんあります。0.1%の違いがあっても、それが、タンパク質には影響を与えない部分に載っていれば、表現型の違いは少なくなる可能性があるでしょう。そのような意味でしょうか。


Q:DNAの中にはアミノ酸の配列を決めるせまい意味での遺伝子と偽遺伝子といわれるような非遺伝子領域がある。DNAにはなぜ非遺伝子領域が含まれているのだろうか。一つには、遺伝情報を守るクッション的な役割があるのではないかと思われる。100%遺伝情報だけのDNAを合成していては、もし何かのストレスで遺伝情報の複製にミスが生じた場合に遺伝情報そのものが欠陥を持つものになってしまう。対して、合成する手間はかかっても遺伝情報を持たないDNAを含ませておくことで、DNAの複製において、多少のミスがあっても遺伝情報そのものには欠陥が出にくくなるかもしれない。たとえば100の遺伝情報を持つDNA(A)と100の遺伝情報と100の非遺伝子情報を持つDNA(B)を考えてみる。Aのほうが分子量は少なく、それだけ遺伝子を作るエネルギーは小さいといえるだろう。しかし、DNAの複製には時にはミスが出ることも考えなければならない。簡単のため、DNAの一回の複製につき、1つの情報が失われるとしたとき、Aの遺伝子は一回複製した時点で遺伝情報が損なわれる。一方、Bの遺伝子は1/2の確率で遺伝情報は100のまま複製する事ができる。遺伝情報が損なわれずに複製できる確率が0か1/2かというのは大きな違いだ。実際には非遺伝子領域はDNA全体の97から98%含まれているそうなので、遺伝情報が損なわれずに複製できる確率はもっと高いだろう。以上の考察のように、DNAの非遺伝子領域は遺伝情報を確実に伝えていくために必要なものであると考えられる。

A:複製のエラーについては、次回の講義で取扱ますが、その確率は、ゲノムあたりで決まるのではなく、配列の長さあたりで決まるようです。ですから、ゲノムが大きくなると、エラーの件数も多くなって、結果としてある長さあたりのエラーの確率は一定になってしまうようです。


Q:今回の講義では、ヒトの個人差の例としてお酒の強さが挙げられた。日本人はGG型がだいたい6割、GA型が3割、AA型が1割で、ある程度のGが集まってはじめて酵素として働き、GG型以外は酒に弱い傾向にあるとあった。これから考えると、3パターン程度しかアルデヒド脱水酵素の個人差はないが、実際には飲める人の中でもとてつもなく飲める人や、ある程度飲める人、飲めない人の中にも1滴でダメな人、1杯までなら大丈夫な人や、さまざまである。お酒の強さはこの遺伝によってすべて決定するとは考えづらい。実際には個人の腸の長さ、表面積の差や、胃の広さなどによりアルコールの吸収速度に差が生じていることも、お酒の強さの原因に1役かっているのではないか。他にもアルコールを吸収してから肝臓に到達するまでの速さなど、様々な要因を経てヒトのお酒の強さに個人差が生まれていることが考えられる。

A:もちろん、酵素によってすべてが決まるわけではありません。ただ、酵素活性は1つのアミノ酸が変わることによって1/10になることがあるでしょうけれども、例えば胃の広さは人によってそれほど違いが生じるとは思えませんよね。酵素活性が大きな意味を持つことは確かだと思います。


Q:ヒト同士での塩基配列の違いは約0.1%であると習った.ヒトの塩基配列対を3*10^9個とすれば,その0.1%は3*10^6個である.さらに,「全ゲノムをバラバラに切断し、各断片を端から読んでつなげる「全ゲノムショットガン法」(ショットガンシークエンス法)」…(1)が確立せれているならば,上記の3*10^6個の配列をいじくり,あるヒトの塩基配列を別人の塩基配列と組み替えることができるのではないか.1日に10^3個ずつ配列を変えてゆけば,3*10^3日,すなわち約8年で塩基配列を置換できることになると思う.
(1)http://www.bioportal.jp/ja/Column/2005/11/post_24.html(2013年06月09日18:00閲覧)

A:面白い考え方ですが、途中で途切れた感じですね。ここまでだとただの算数です。結果として塩基配列を置換できたらどうなるのか、という点を、想像でよいので議論してほしいように思いました。


Q:ヒトゲノムは領域ごとに分かれており、タンパク質の情報を持つ遺伝子領域(2~3%)と情報を持たないRNAとして転写される領域(55%)、繰り返し配列が見られる領域(40%)、偽遺伝子領域(2~3%)から成っている。遺伝子の役割から考えてこの構成比は不可解である。遺伝子は元々、各元素から生物を構成するための設計図としての役割を持っており、これが複製能力を備えたものである。故に、遺伝子領域と転写領域が同じものであれば染色体は1/33~50程度で事足りるのである。では何故これほどの大きさにならなければならなかったのだろうか。まず、転写の際にはDNAの2重螺旋構造は解かれた状態になる。この状態ではタンパク質への発現が不可能であるため、効率の観点からこれらを分離する事は望ましい。また、転写領域が遺伝子領域の18~28倍の量が存在する事は、成長や代謝に伴う細胞の生成に有効な量であるためと考えられる。次に繰り返し配列について考える。これは主な働きが解明されていないが、約40%もの量を占めており、この量から考えると明らかに重要な働きを持つと考えられ、この部位にタンパク質を作る機能があった仮定したとき、この繰り返しは酵素の生成をしているのではないだろうかと考えられる。この酵素は核内に遺伝子領域のタンパク質生成や転写・複製を介助するもの(触媒)であるとした場合、この量が存在する事はこれだけの量存在する事は頷ける。偽遺伝子はタンパク質を作ることができない部位や、正常だが転写・翻訳されない遺伝子の事である。これは正しく塩基配列を転写できなかったものであると考えられ、数%存在してしまうであろうと思われる。以上より、上記の構成比は必ずしも不可解ではないとも考えられる。しかし、仮定が多く科学的に説得力のある理論ではないだろう。

A:おそらく、このような議論に科学的な説得力を持たせようと思ったら、ゲノムのサイズが大きく異なるいくつかの生物の間で比較するのでしょうね。そのような生物の間でタンパク質をコードしている領域の割合がほぼ同じであれば、コードしていない領域にも重要な意味があることが示唆されますし、もし、ゲノムサイズが大きくなるのに連れてタンパク質をコードしている領域の割合が低下していたら、余裕ができると無駄遣いも可能である、ということを意味するのかもしれません。