生物学通論 第13回講義

生物学と社会

第13回の講義では、生物学と社会のかかわりを、薬やサプリメントの効き目をどのように確認するか、あるいは宣伝するか、などといった例を取り上げて解説しました。


Q:今回は生物学と社会というテーマで、生物学を学んだものが社会の事物を見るときに持つべき視点についての講義だった。二重盲検法については初めて(医者をもだます点で)知り、理解したが、ビタミンCが癌に効果がある、という話のところで医者を騙せる薬がないため使えないということだったが、副作用がないのであればそのままビタミンCを使えばよいのではないか?と思った。それからコエンザイムQ10の話を聞いて考えたのが、よくある女性向けの「美肌」などをうたった食品について、その効果を心から信じている人はあまりいないのでは、ということだった。私も女性としては美肌を目指したいところだが、美肌サイダーを飲むよりは睡眠をとったほうが効くと思っている。ただ、少し高くて「美肌」という文字付きの飲み物を買うと、それによって他の努力(日焼けを防ぐ、睡眠をとるなど)へのモチベーションが上がる気がする。私は美肌サイダーを買ったことはないが、ああいった商品は、そういう女性心理を利用したものだと私は考えている。

A:他の努力についての動機づけになる、というのは面白い考え方ですね。スポーツジムなども、会費が高い方が、せっかくお金を払ったのだからと続ける率が上がる、という話がありますから、似たような効果なのかもしれません


Q:講義の中で、黒烏龍茶の実験データとコエンザイムQ10の説明が、それだけでは信憑性がない、ということを扱った。もちろん、企業のホームページ等で公開されているだけの説明であり、ほかにきちんとした説明を求められればできるものだとは思うが、なぜ、良く考えると信用できないような説明が、大手企業でもまかり通っているのか。これは、世の中に求められているレベルとの釣り合いが原因であると考える。たとえば、講義の中で、黒烏龍茶の実験のグラフでは、標準偏差を表示する必要がある、ということだったが、少なくとも私は、義務教育の中でデータの扱いを学んでいない。そのような人は標準偏差の必要性を感じないので、企業側もより簡単な説明にするため、標準偏差を表示しないということになる。現在は中学数学でも高校数学でもデータの扱いを学習するが、それでも、公表されたデータに疑問を持つような人がどれくらいいるのか疑問である。企業の説明やデータに疑問を持つには、疑問を持って見る姿勢を、教育の中で身につけさせる必要があるだろう。そのためには、活用学習で実際にデータの問題点を指摘する練習をする必要があり、現在の講義形式の授業だけでは身に付かないものである。以上より、情報過多の世の中で安全に生きていくためには、教育の段階で、知識だけでなく知識を活用する力をつける必要がある、と考える。

A:確かに、統計処理などは、数学とは別に習う機会があってもよいかもしれません。ただ、義務教育というと中学までですから、内容的にちょっと難しいかもしれませんね。高校では、標準偏差は習うようです。検定はやらないようですが。


Q:今回の講義では必ずしも生物学的なデータが正しいとは限らないことを学んだ。その例としては薬が本当に効いているかどうかを扱った。同じ人間で実験をしても、元々の健康状態によっても結果は変わってくるし、当然別々の人間で実験をすればその人の体質により、誤差が生まれる。比較的条件を揃えたマウスなどの動物を利用した実験も行われているが、薬の場合、最終的にそれを服用するのは人間であるから、当然正確なデータは得られない。私はこの解決法として限りなく健康状態が同じである人間で実験することを考えた。しかし、これを見分けるのはかなり難しい。私は学科の研究室でカソードルミネッセンスという方法を用いてスペクトル等で鉱物の表面、硬度、色等を定量化する研究をしている。これを応用すれば、人間の健康状態や体質を定量化し、限りなく条件が同じ人間を探すことが可能になるのではないかと思う。

A:講義の内容が完全には伝わっていないようですね。カソードルミネッセンスでもよいと思うのですが、ある日に鉱物を測定して、翌日に同じ鉱物を測定すれば、かなりの再現性が得られると思います。ところが、生物ではそうとは限らないのです。せっかく「限りなく条件が同じ」人間を二人探し出したとしても、翌日には、そのうちの一人が風邪をひくかもしれません。生物は常に変換するものであって、そこに面白さと難しさが共にあるのです。


Q:今回は生物学がどれだけ均一な材料をそろえることができるかが重視される点で特殊な学問であることや、統計学的な側面から生物学を見る、といった内容で、とても興味をそそられた。特に気になったのは薬の効果を調べる際に必ず考慮しなければならない偽薬効果である。そもそも偽薬を投与した際に患者の回復にたいして優位な変化があるのかどうかが疑問である。これは偽薬ではなく本物の薬剤にも言えることではあるが、患者の状態や個人差に大きく影響されてしまうため、あまり信用のできるものではない。そこで、偽薬効果そのものを定量的に議論する必要がある。例えば、血圧を下げる薬であれば、普段からどの程度下がったかを調べればよいのだが、個人差を考慮しなければならないため、その人の最高血圧と最低血圧の中間値を取り、縦軸に血圧の下がった割合、横軸に中間値を取ってプロットするなどの工夫が必要となる。また、そもそも偽薬効果は実際の薬であると信じなければならないため、偽薬効果を定量するのにも実際の薬を用いなければならないというのが現状である。よって、偽薬効果そのものを定量的に評価することは難しいため、実際に薬そのものを評価しなければならないのだろう。

A:これは、偽薬効果自体の検証は、果たして可能か、という問題提起でしょうか。おそらく、手続き的には、それほど難しくないのですが、命にかかわるような病気の場合は、倫理的な問題が生じます。偽薬を飲むということは、本当の薬を飲まない、ということですからね。その方が大きな問題でしょう。


Q:今回の授業を聞いていて、私の専攻である地球科学で昔主流であった地向斜論を思い出した。地向斜論というのは地殻が加熱冷却の過程で上下運動するという理論で、プレートが水平方向に移動するというプレートテクトニクス以前の理論である。地向斜論というのは日本では1980年代まで採用されており、私が読む論文の中にもそれを基にしたものがいくつかあった。プレートテクトニクスが主流の今の時代からすると、地向斜論を基にした論文はひどく見当違いなものに見える。科学が帰納的あるいは演繹的という論理によって進歩してきたとはいえ、それは完璧ではない。排除しようと努力しようとしてるとはいえ、主観や解釈がそこには介在している。論理的に正しそうか、と個々人が判断することは非常に大事なことであるが、それでも科学には限界があるのではないかと思う。一般社会でそれが論理的に正しいかと気を付けるのが大事であることはもちろんだが、我々が科学という分野でこれから研究する場合にも、十分に気を付ける必要がある。

A:これは、面白い観点からの問題提起です。確かに、データの解釈に当たって、研究者のものの見方が反映されることはいかんともしがたいでしょう。しかも、こればかりは、「十分に気をつける」ことで解決するのかと考えると、かなり難しいように思います。


Q:医薬品が実際に効いているのかいないのかは非常に曖昧なところがある。それは、効果の有無を確認することができないからである。講義では、二重盲検法が説明された。この方法は患者に対し、安全だが効果があるのかは不明な薬を投与する。このとき、医師、患者ともにどちらが効くかを知らない状況にある。要するに思い込みによる治療を除して、薬による治療だけを検証するのがこの方法の趣旨である。風邪など軽度の場合、個人の自然治癒力が反映されるし、ガンのように致命的なものになれば、人体実験を行っているほど倫理的に猶予がないと思われる。化学の実験で、未知試料を組成分析、構造解析しているのと同様に、個人単位で病気の部位、怪我の部位を分析することで薬を製造し、それを視覚的に確認できる方法があれば確信できるものになりそうだ。また、人工的に臓器を合成することが行われているが、あくまでも医療用として患者と同成分の臓器を素早くクローンで再現し、そこで薬に効果があるかどうかを確かめて実用すればいいのではないか。

A:個人単位で分析、といっても結局は個人差がある以上、問題点は解決しないように思います。人工臓器の方は望みがあるかもしれません。iPS細胞などを用いた人工臓器によって、薬の効果の検証を行なうという研究は、すでにスタートしているようです。