生物学通論 第4回講義

葉緑体の起源

第4回の講義では、細胞小器官(オルガネラ)の起源としての細胞内共生説と、植物の進化・系統について解説しました。


Q:ミトコンドリアの役割は細胞内で呼吸をすることで細胞が活動するためのエネルギーを生成することである。その結果、ミトコンドリアを得た真核生物はそれを持たない原核生物と比べて複雑で大きな細胞を有することが可能になったと言える。何故ならば、細胞が複雑化・大型化してもミトコンドリアの個数を増やすだけでエネルギー効率の問題は解決できるからである。つまり真核生物の細胞内には進化した生物であるほど多数のミトコンドリアがあると考えられる。また、多細胞生物は1つ1つの細胞がその細胞分のエネルギーを生成できるようになったことで誕生したと考えられる。実際、原核生物や原生生物に単細胞生物が多いことから判断できる。しかし、多細胞生物は細胞1つ1つが各々のエネルギーを独自に生み出すことができるようになったため複雑化してしまった。そのデメリットとしては多細胞生物中の1つの細胞が、その生物のためではなく、細胞自身のために利己的に活動をしてしまった場合、生物自身を脅かしてしまう可能性があるということである。その例として癌細胞などが挙げられると考えられる。

A:きちんと考えられています。強いて言うと、最初から少しずつ話が進む形を取っている所を変えて、最初に問題点を設定して、それにこたえるという形にすると、全体として焦点が絞れたレポートになります。例えば、このレポートでは、単細胞生物と多細胞生物のメリット・デメリットという問題を冒頭で設定すると、論理の流れがわかりやすくなると思います。


Q:共生の起こりやすい条件について考えてみた。共生は一つの生物の細胞の中に他の生物が入り込む現象なので、共生を臓器移植のようなものとして考えた場合拒否反応が起こるのではないかと考えた。そこでまず拒否反応がおこらない条件を考えてみる。遺伝的情報がほとんど同じ生物間で共生が起こったほうが他生物を遺伝的情報が似ている臓器の一部として受け入れやすいので拒否反応が少ないと考えられる。そのように考えた場合遺伝的情報に差異の少ない、単細胞生物間で共生が起こりやすいのではないかと考えられる。そこで、構造がほとんど同じ共生したと考えられる二つの生物を探し、たとえば違いが葉緑体があるかないかだけの生物を選び、光合成を行わないと絶滅してしまうような条件下におけば、共生の起こる頻度が増すのではないかと考えられる。

A:着眼点は面白いですね。ただ、最後の結論からすると共生を再現する実験系を構築することが目的のようですが、それが最後の最後になって明らかになります。冒頭にちょっと言葉を足して「共生を再現する実験系を構築するために、共生の起こりやすい・・・」とすると首尾一貫するでしょう。


Q:好気性細菌とラン藻類が他の生物に入り込んで、それぞれが別々の子孫を残すのではなく、すぐに宿主の一部となってミトコンドリアと葉緑体を持つ生物として子孫を残していくとは考えにくい。ではどのように進化していったのだろうか。葉緑体について、この疑問を考えるヒントになりそうなのが「ハテナ」である。今考えられている生活環が真実だと仮定する。すると、分裂の際藻類を持つ個体と捕食性を持つ個体に分かれるという点では、藻類がまだ完全にその生物の一部であるとは言えないが、共に生活をしているという意味では、藻類を持っている状態は葉緑体を持つ植物にかなり近い状態にあり、分裂さえ同調すればもう植物と言えるだろう。ここから植物のように、完全に光合成組織が個体の一部になる過程はどのようなものだろうか。①宿主のDNAが何らかの要因で藻類のDNA情報を取り込み、自ら緑藻のようなもの(これが葉緑体となる)を作り出せるようになった②藻類と宿主の関係のまま、分裂のタイミングのみが同調するようになり、藻類が宿主の中で分裂してそのまま新しい宿主の中に入るようになった、などの説が考えられる。①の説を証明する手段には、共生する藻類を含むハテナと、ハテナの次の段階の生物(シャジクモやコケ植物などになると思われる)それぞれのDNAを調べ、共通点を探すということがある。②の説は、葉緑体が植物本体と違うDNAを持つことも根拠となる。藻類単体での分裂のタイミングと、共生している時の分裂のタイミングについて比較する必要がある。私は②の方が最初は起こりやすそうだが、同調したはずのタイミングがずれることも大いに考えられ、安定的な繁殖が難しいはずなので、①の方が真実に近いのではないかと考える。遺伝子突然変異ということも他の例では起こっているので、藻類のDNAを取り込んで付加されたような形になったことも考えられる。

A:非常によく考えていると思います。実際には、植物は今でも葉緑体を作ることはできません。細胞壁などとは異なって自分で作ることはできず、必ず葉緑体(もしくはより一般的な色素体)から分裂する形で新しい葉緑体が生まれるのです。そうすると、一義的には分裂のタイミングをどのように制御するか、という点が一番重要になるはずですね。その場合、DNAの情報を使う方法もあると思いますし、一方で、純粋に物理的に分裂を制御する方法もあるかもしれません。


Q:原始的な真核細胞は元来酸素を利用することのできない嫌気性生物であったが、進化の過程で呼吸能を持つ好気性細菌や光合成能を持つ光合成細菌が共生した結果、現在のミトコンドリアと葉緑体ができたと考えられている.この説を細胞内共生説という。授業では細胞共生説が葉緑体の起源説として取り上げられていたが、これに異を唱える者はいないのか調べてみた。中村運氏は細胞共生説に異を唱え、膜進化説を唱えていた。彼の反論の1つとしてミトコンドリアの祖先となった細菌の、現生種のパラコッカス・デニトリフィカンスが挙げられている。これは、硝酸呼吸を行う、脱窒細菌である。ミトコンドリアにはこんな機能はないのではないか。これが彼の言い分である。彼の論文を読むと、現在最も信じられている共生説ではあるが謎はまだ多いのかもしれないと思った。自分が1つ共生説に対して疑問に思ったのが、共生体から宿主核へ大量の遺伝子が移ったという想定である。ある種の遺伝子について転移が報告されたとしても、大量の遺伝子転移を認める証拠としては不十分ではないかと考えている。

A:もちろん古くはいろいろな説が唱えられましたし、逆に細胞内共生説の場合も、ミトコンドリアや葉緑体だけでなく、核も共生の結果であるとする説もありました。しかし、さまざまな(全く異なる面からの)証拠が共生説を指示しているので、現在では共生説を疑っている生物学者はほとんどいないと思います。


Q:最近授業でよく出てくる「細胞内共生説」に興味を持った。細胞内共生説とはアメリカの生物学者マーギュリスが1970年に提唱した、真核生物細胞の起源を説明する仮説である。ミトコンドリアや葉緑体は細胞内共生した他の細胞(それぞれ好気性細菌、藍藻に近いもの)に由来すると考える。今回の授業で取り上げた灰色植物など藻類の葉緑体は、高等植物のものと比べて、複雑な形のものが多く、それらの中には、二重膜ではなく、三重、四重の膜に包まれたもの、あるいはその中にはっきりとした核のような構造を持つものがある。

A:繰り返しになりますが、この講義のレポートとしては、単に事実を調べて書いただけのものは評価の対象とはなりません。


Q:宿主細胞に光合成細菌が取り込まれたこと、葉緑体をはじめとするオルガネラが宿主由来の外膜と原核生物由来の内膜の二重膜構造を有することとなる、までは納得できる。だが、そこから先の、・光合成細菌が独自に保持していたDNAの大部分が宿主細胞の核内の染色体に移動して融合したプロセスや、・その“取り込んだ”ときの個体以降も、ルーツが全く別だったはずの宿主細胞とオルガネラが同じような共生した構造を先々も継いでいくようになること、がとても理解しがたい。しかし例えば、もとは胚だった人の受精卵がどんどん細胞分裂してざまざまな器官や内蔵を形成していくときに、遺伝情報がどの細胞にも組み込まれているからそこから細胞形成時に遺伝子が“指示”を出して多様な形状を作っていくのは少し理解ができる。そこから発展して、植物の葉緑体を有する細胞が分裂して新たな細胞ができる際にも、核内の遺伝情報が、細胞内で新たに葉緑体を形成するよう伝達する手段が存在してそのおかげで、ルーツが全く別だったはずの宿主細胞とオルガネラが同じような共生した構造を先々も継いでいくようになると考える。

A:このレポートは「葉緑体の共生が成立する条件が信じがたいが、受精卵のことを考えると、納得できるようになる」という論理構成なのでしょうかね?そうだとすると受精卵との対比をもう少し明確にする必要がありそうです。論理の流れを人にわかりやすく見せることが重要です。


Q:葉緑体はもともと植物内で作られたものではなく進化の過程でシアノバクテリアや藻など光合成をする生物を細胞内に取り込み共生したものである。このことからもともとは光合成の能力を持っていなかった生物が共生により光合成できるようになると考えられる。つまり、その生物は光合成以外の方法で生きるためのエネルギーや体を作る材料を得ていたことになる。よって、その生物がエネルギーを捕食により得ていた動物であったと考えられるため、動物が植物へと進化していったと考えられる。光合成と捕食の両方を行う生物が存在できないかどうかを考えてみる。植物は進化の過程で共生により光合成能力を得たため少なくとも微生物では可能である。ある程度の大きさになると食虫植物のようなものがあるが、動物のように捕食のために運動能力をもち、さらに光合成ができる生物が存在できないのかを考えてみる。そこで捕食と光合成のそれぞれの特徴を考えてみる。捕食の利点は一度に大量のエネルギーを確保できることであり、欠点は捕食対象が見つけられないとエネルギーが得られないことである。光合成の利点は日光と二酸化炭素と水があればできることで、欠点は天気によって左右され、できるエネルギーが少量ということである。光合成で得られるエネルギーが少量であり、捕食と光合成を両立させるために体の構造を変化させ維持することは難しく非効率的であると思われるため、捕食のための運動能力と光合成能力をあわせ持つ生物は存在できないのではないかと考えられる。

A:きちんと考えられていると思います。欲を言えば、もう少し常識から外れたユニークな論理がほしい気もしますが、それはこの話題の場合高望みかもしれません。


Q:ハテナについて、細胞分裂時に共生体は片方にしか受け継がれず、もう片方は無色になること。また無色のほうが捕食装置を持つことに興味を持った。まず、共生体に近い生物を無色ハテナに与えたら共生するのだろうかという疑問がある。これについては、葉緑体遺伝子から共生体は緑色藻類ネフロセルミスの一種と判明しているそうで、ネフロセルミスを与えると食べたものの死んでしまったため未解明だそうだ。ぜひ何度も試してみてほしいと思う。また、無色の捕食ハテナは藻類を取り込んで生き延びたとしてそのまま捕食装置は維持されるのかという疑問がある。これについては、自然界で見つかるハテナのほとんどが共生体をもつことから、共生体獲得→捕食装置の退化が一世代で起こると考えられているようだ。しかし、遺伝子の変異によらない一世代での退化はありえるのかという疑問が残る。あり得るとしたらこれは進化退化とは別の(遺伝子の変異によらないため)変化と呼ぶべきものだと思う。今回の考察がきっかけで、「進化の証拠とされているもののうち、いくつかは遺伝子の変異によらない体の変化なのではないか」という疑問ができた。今後の課題としたい。

A:トレーニングをすると筋肉がつく、というのも遺伝子の変異によらない体の変化でしょうから、基本的にはそのような変化は小さいものから大きいものまでたくさん起こるでしょう。進化については、別の機会にきちんと説明する予定ですが、定義として遺伝子の変化によらない変化は進化には入れないのが普通です。


Q:授業で扱われた「ハテナ」について興味が沸いた。なぜ、ハテナが分裂した時に、緑色のものと無色のものに分かれるのだろうか。通常、葉緑体は細胞が分裂をすることで葉緑体も分裂し、増殖していく。しかし、ハテナはこの細胞の分裂の時に葉緑体が分裂しなかった。考えられる理由は以下の二つである。一つ目は、細胞の分裂はタンパク質のリングによって起こるから、ハテナの分裂速度が、葉緑体の細胞内での移動速度よりもはるかに早く、葉緑体は片方にしか残らないということである。二つ目は、この細胞の分裂を引き起こすタンパク質のリングを、ハテナがエネルギーとしてある程度を取り込むことで、葉緑体の動きや分裂を抑制しているのではないかと考えられる。

A:二つ目の理由がちょっとよくわかりませんでした。タンパク質を分解してエネルギーにする、という意味ですかね。エネルギーと分裂の関係をもう少し丁寧に説明する必要があるように思います。


Q:系統樹的に、光合成をする生物は一まとまりになっているのではなくて、様々な場所に分散していると言うことから、光合成をする生物は何度もシアノバクテリアと共生を繰り返した結果、今のような系統樹に散在する形となっていると言うことを授業で聞いた。しかし、例えば光合成をする生物がそれぞれ別の段階でシアノバクテリアと共生したと考えるのではなくて、すべての生物の細胞が一度はシアノバクテリアと共生をしたが、共生することによって得られるエネルギーよりも外界にそのエネルギーを求めた方が効率がよいと判断した一群が、共生したシアノバクテリアあるいはすでに細胞小器官となった葉緑体を退化させたと言う考え方はできないだろうか。葉緑体DNAの遺伝的浮動が光合成をする生物に見られたからといって、それが生物ごとに共生を何度も繰り返したということに単純にはならないように思える。はてなを考えれば一回の共生にでさえはかりしれないくらい長い時間がかかるのであるから、それが計り知れないくらい長い時間の間に違う葉緑体DNAのシアノバクテリアと同時並行で起きたとも考えられるからである。マラリア原虫に葉緑体の名残の細胞小器官があるというのも、こういった見方で捉えることはできないのだろうか。

A:講義で言ったのは、共生が何度も起こったという話です。この何度も起こったのは藻類が別の真核生物に共生する場合の話で、原核生物であるシアノバクテリアが共生した最初の藻類の出現は1回限りであったようです。藻類と植物の系統関係は、まさに講義で示した葉緑体のDNAに基づいた系統樹を見るとわかります。


Q:光化学系を1種のみ有する光合成細菌は光合成により酸素を作り出さない為、仮に真核生物がこれを取り込んで共生するには海中の酸素濃度にある程度の余裕がある事が条件と考えられる。今回の授業で提示されたハテナの仮説ではシアノバクテリアを取り込む性質を持つという過程があった。そこで複数の光合成細菌を種類を選択せずに取り込む性質を持った生物が仮に存在すれば、生殖細胞の染色体の様に光合成細菌を組み合わせて一器官として構成するという事があっても良いと思う。但し世代交代は光合成細菌の方が早い為により進化しやすく環境適応性が高い、光合成細菌を取り込んだものよりもシアノバクテリアを取り込んだ状態の方が環境に影響されにくい等といった条件から、先にシアノバクテリアが発生し、それを真核生物が取り込んだと考えた方が適当である様に思う。後は共生する事によりどの様に活動を制限されるのかによるだろう。

A:これも誤解がありますが、ハテナが取り込むと考えられているのは藻類であって、シアノバクテリアではありません。あと、最後の方は論理展開がよくわかりませんでした。


Q:はてなはプラシノ藻類のNephroselmisの一種に由来する共生微生物由来で、いわゆる細胞内共生とされている。この生物は細胞分裂をすると、葉緑体をもつ細胞と持たない細胞に分かれてしまい、細胞にある唯一の葉緑体は、必ず腹面から見て右側の細胞に入るという特徴をもっている。一方で他の藻類ではこのような分裂は起きず、葉緑体も分裂し娘細胞にうまく配分される。確かにはてなの細胞分裂の仕方は特異で、他の多くの藻類の分裂の仕方の方が実験的に一般的である。しかし共生生物であること、すなわち元来葉緑体は別の生物であったことを考えると、細胞分裂後に葉緑体がうまく配分されることは極めて不思議である。私は取り込まれた生物が何らかの作用を受けると考え、またはてなの細胞分裂後の左側細胞は共生する葉緑体が存在しないにも関わらず、共生生物とみなされることに疑問をおぼえたため共生の厳密な定義が必要と感じた。共生するということは異なる二つの生物が同所的に生活すること、且つ共生前のそれぞれの機能を残しつつ、取り込まれた方の生物は取り組む方の分裂期と同時期に分裂することと定義するのが合理的なのではないだろうか。これに基づくとはてなを細胞内共生生物とかくことはできない。

A:非常によく考えていると思います。おそらくここで定義されているのは、オルガネラ(細胞小器官)の共生による成立の定義かもしれません。共生した結果できたものが葉緑体、あるいはミトコンドリアのような細胞小器官であるためには、ここで示されたような定義が必要でしょう。一方で、一般的には共生という言葉はオルガネラの成立の場合に限られずに使われます。つまり一時的な共生というのもよくあります。


Q:葉緑体は細胞共生説によって獲得されたものであるとされるのが通説ではあるが、ではどのような段階を踏んでいけば共生できるようになったのか考えてみた。まず、第一段階として共生体である真核光合成生物を捕食、第二段階に宿主が共生体を継続的に保持できるようになり。第三段階では、共生体の遺伝子が核へ移行し、葉緑体として成立すると考えられる。これは、真核細胞と一次植物、二次植物を分ける上での特徴によって分割することにしている。第一段階では、真核細胞生物が捕食されることより、必要条件としては共生体が一定期間消化されない、オルガネラは大部分存在することとなる。また、宿主と共生体の分裂は同調していないことが第一段階と第二段階を分ける区切りとなると考える。第二段階は宿主と共生体が共に分裂する段階を指す。すなわち新しい共生体を補充する必要がない段階を第二段階と考えると、核を除くオルガネラが消失し、分裂が宿主の細胞周期と同期した段階といえる。最後に共生体遺伝子が核へ移行し、核が消失することによって、二次植物の葉緑体が形成されたと考えられる。

A:これは、かなりの部分が定義の問題なので、「なぜ」そのように考えたのか、という理屈付けがもう少し欲しいですね。何でも、自分なりの論理でよいので、これこれだからこのように定義すべきである、という流れができるとよいレポートになります。


Q:葉緑体は性質の違う外包膜、内包膜をもっており、それはシアノバクテリアが取り込まれたとされる共生説が一般的である。葉緑体は外包膜、内包膜の二重の生体膜に囲まれ、内部はストロマ空間で満たされ、さらに別の膜構造であるチラコイド膜と呼ばれているものが存在する。チラコイド膜では光合成と呼吸の電子伝達が行われる。このようにかなり重要な仕事をするチラコイド膜だが、シアノバクテリアには様々な種が存在します。当然、そうなるとチラコイド膜も全く同じというわけではないように思います。それとも、10数億年前に真核生物に細胞内共生したシアノバクテリアは限られており、そこから進化したため、チラコイド膜は多岐にわたらないのだろうか。様々な植物が様々な環境で進化してきたのだから、取り込んだシアノバクテリアも様々なように思えてなりません。

A:これも、この講義のレポートの必要要件を満たしていません。事実と感想は、評価の対象ではありません。きちんと自分の頭で考えた論理を記述するようにしてください。