生物学通論 第13回講義

生物学と社会

第13回の講義では、医薬品の効能をどのように判断するか、などといった面から生物学と社会のかかわりについて解説しました。


Q:偽薬効果は、「医者の出した薬だから」というような信用心などから、本来その病気のためではない薬(ただのビタミン剤など)を服用しているにも関わらず、精神的な安心感から快方へと向かう、プラシーボ効果とも呼ばれる暗示効果である。しかし、この効果は心理的なものに由来するため確実性は立証されていない。そこで、マウスで実験してみるのはどうか。マウスは、同じ迷路であれば繰り返し試行するうちに餌場までの道を経験から学習し記憶する。そこで、ある病気に侵されたマウス群において、特定の色に着色された餌を食したマウスを順に健康なマウスと入れ替える。仲間たちが健康になっていくのを見て、着色された餌が薬であると学んだ最終的に残ったマウスがその餌を食べて快方に向かえば、偽薬効果に信用性が見られると考えられる。この実験の問題は、マウスに他のマウスを識別する能力があった場合、入れ替えるという動作ではマウスに間違った学習をさせてしまうことである。しかし、学習による偽薬効果に信用性がみられれば、あるいは自己催眠などが行えると考えられると言える。

A:面白い実験で、僕はこのような思考実験が大好きなのですが、ちょっと問題山積という感じですね。自分でも指摘しているように、やはりマウスはマウスを識別できるでしょう。それに「着色された餌が薬であると学んだ」かどうかは、どうやって判断するのでしょうね。ある食べ物が「おいしいと学んだ」というのは、このんで摂取するかどうかで見分けるのでしょうけれども、「薬であると学んだ」と言うためには、健康な時には摂取せず、病気の時にだけ摂取するという行動が必要なように思います。


Q:生物における実験では生物は一つとして同じものはないので、測定誤差よりも材料による誤差の方が圧倒的に大きい。そのため与えられた実験の妥当性を判断するためには統計的処理が行われなければならない。某飲料水会社の例のようでもあったように企業は自分たちの都合のよいデータのみをのせる傾向にあると思う。数値に騙されてはいけない。その数値がどのようにして得られた数値かを考えていくことが実験によって得られた情報に妥当性があるかを判断する上で重要となってくる。例えば被験者20人に対して得られたデータと示されたとしても、もしかしたらこの20人は企業側に都合のよいデータが得られる何かしらの特性をもった20人が選別されているかもしれない。このことは20人という数値だけをみていても判断できない。20人は無作為に選ばれる必要があると考えられる。またがん細胞の例にもあったように高濃度ビタミン剤が正常細胞ごと殺してしまうのならば全く意味がない。生物では生体内の作用が複数に関与することが多いと思うので一つの実験結果で判断するのではなく多面的に情報を集めて判断することが重要だと考えられる。

A:まあ、作為的に一部の都合のよいデータだけを解析したら、それは詐欺だと思いますから、通常はそこまでは疑わなくてもよいと思いますが、少なくとも対照実験が適切に行なわれているか、統計的に有意であるのか、といった点は確認した方がよいでしょうね。


Q:生物学が物理学や数学と違う問題点として、実験や研究の成果に疑問符が付けられやすいということがある。たとえば薬の実験であれば、成果は本当に薬の効能であろうか、実験対象それぞれの病状に差はないのか、同じ対象でもたまたま調子が良かっただけではないのか、そもそも実験方法に倫理的問題はなかったのか、という具合である。このようなことを防ぐために、モデル生物の利用などといった努力がなされているが、問題の解決は難しい。この原因の一つとして、これらすべての問題点を同時に解決することの難しさが挙げられる。倫理的問題の解決策として多く用いられている方法として、将来的には人間に使いたい技術を試すための動物実験があるが、その動物で成果を出しても本当に違う対象、たとえば人間や、そもそも同じ動物でも条件を変えた個体にも有効なのか、と疑問符が付く。すべての問題点を解決しようとしても、少なくとも現時点では絶対に無理であり、解決策を追求しながらも折衷案、または部分的に有効といえる策を探していくことが重要であろう。動物実験の例でいえば、たとえば新薬開発の場面で、「動物に効いたから人間にも効く」と短絡的に結論を出すのではなく、「予想された反応のプロセスは動物の体内でも確認できた」というように、「人体ではないから」と完全に否定するのではなくある程度の結果を受け入れることが重要になってくるのではないか。授業で扱ったものでも、ビタミンCの例ではいくつもの疑問点が上がっていた。しかし、それは逆にいえばビタミンCががん細胞に働きかける可能性を示したという事実を生み出し、それを応用するために解決すべき課題を明らかにしたという点では大変有意義な結果と言えるのではないか。この後、部分的に有効な成果を実験などによって重ねていき、それらを最後につなぎ合わせられるような論理や実験結果を示すことができれば、最終的に応用可能な技術を生み出せるかもしれない。批判的に結果を見ることの大切さを授業では言われたが、受け入れられる部分を探すことも同じように大切であるはずだ。

A:バランス感覚の鏡のようなレポートですね。その通りだと思います。ただ、信じることは知識があってもなくてもできますが、(適切な)批判をするには知識がないとできません。その意味で、批判は知識を学んだものの責務であるということは言えるように思います。


Q:授業の中で薬が効くかを調べるためには本当の薬を飲ませるグループと偽薬を飲ませるグループを作る必要があると述べられていた。また、医者にも偽薬を使うことは黙っておく必要があり、これは二重盲検法と呼ばれる。これは病は気からといわれるように、たとえ、偽薬としての小麦粉などを飲んだとしても、症状が改善する場合があるからである。授業ではガンに対するビタミンCの治療においてこの二重盲検法を行うことが難しいと述べられていた。ビタミンCのような色で医者が見破れないような偽薬がないからであると述べられていた。この話を聞いていて自分が思ったのは、そもそもガン治療の薬に対して二重盲検法を使う必要があるのかということであった。普通の風邪薬などであれば自然治癒が考えられるので二重盲検法の意義は認められるが、ガンは自然治癒などほとんど考えにくいのではないかと思う。ネットでも調べてみたが、自然治癒をうたったものはあったが、それに対して信憑性を感じることは難しかった。ガンに関しては病は気からの次元を逸脱していると思った。それよりもガン治療に対しては安全性が優先されるべきであり、また、ガン患者に対して二重盲検法を行うという行為自体に倫理的に問題があるのではないかと思った。

A:全ての薬が病気を完治させるためにあるわけではありません。場合によっては進行を遅らせることが役割であることもあります。癌はもちろん種類にもよりますが、自然治癒が難しい場合が多いのは確かです。一方で、その進行は千差万別です。もし放っておいたら5年で死亡するケースを10年に延ばせるのであれば、薬として十分すぎるでしょう。二重盲検法に倫理的な問題が生じかねないという点はその通りだと思います。


Q:人の健康に関して、世間一般においてはさまざまな数値的データが根拠として出されることが多い。例えば、喫煙とがん全体の発生率について、ネットで検索すると直ちにさまざまな調査結果が出てくる。「たばこを吸う人のがん全体の発生率は吸わない人と比べて男性1.6倍、女性1.5倍 」「男性のがん全体の29%、女性のがん全体の3%はたばこが原因」「たばこを吸っていなければ、日本人全体では毎年約9万人ががんにかからなくて済むはず」いろんな情報が錯綜する。しかし、こうしたデータを目にするとき、授業で教わった通り、その分析結果が果たして統計的に有意かどうか?の視点は持っておいた方がいいと感じた。例えば「男性の発症するがんの29%は、たばこが原因」という点に関してだが、そもそも日本人男性全体の中で喫煙者はどれだけの割合でいるのかということや、喫煙しない男性でがんを発症するケースのこと、症例ごとにきちんと喫煙者とのそれと比較して、根拠づけになるような調査をしているのかどうか疑問に感じる。統計的に意味のある比較対象調査をやっていないと、どうしても調査している人のバイアスで言い分が作られている気がしてならない。だから、理系である以上は、サンプル数がどれだけであるかとか、比べられるべき基準の対象であるかとか、さまざまな統計的調査結果に対して、それが本当に統計的に有意であるか考える癖は持っておくべきだと考える。生物学のように扱っている対象にさまざまにばらつきが生じる分野では特にそれが大切な気がする。

A:ネットで検索と一口に言ってもいろいろなレベルの情報があります。いわゆる引用の形で、他の調査の結果だけを引っ張ってきたようなサイトの場合、当然調査の詳細は載っていないことがほとんどです。「統計的に有意であるかを考える癖」が重要なのはもちろんですが、例えば、喫煙が癌に及ぼす効果などでしたら、NIHや厚生省のサイトをよく探せば、きちんと統計的な解析が示された結果を探し出すことができると思います。単に検索で上位に来たページを見る、というだけでなく、元のデータにきちんと当たるという姿勢がもう一つ重要です。


Q:実験に生物が関与している場合、実験結果が実験に使用する個体によって変わってくることがある。人間の場合、アレルギー反応はこれに当てはまると思われる。生物学の実験では実験結果をみるときにはこのことを考える必要がある。薬の効能を見る実験では実際に薬が効いているのかを確認するには薬を投与した場合と投与していない場合を作りその差をみる方法がある。しかし、実験を行う個体の状態により実験結果が変わってくるため、実験結果の正確性を上げるためには多くの個体に対し実験を行いその傾向を見ていくことが有効であると思われる。多くの個体に対し実験を行うことにより一部に出てくるアレルギーなどの問題点が発見できる可能性も高くなる。しかし、多くの個体に対し実験を行うことはそれだけコストが高くなるなどのマイナス面が存在する。もし、薬の投与に関してコンピュータなどでシミュレーションができればとても有益であると思われる。個人のDNAや体型などの情報を使って薬を投与した時のシミュレーションが行うことができればアレルギーが出るか、薬がうまく作用できるかなどが実際に薬を投与しなくてもわかることができる。しかし、シミュレーションは現実とは違う部分があるため一概にこれを信用することはできないと思われる。しかし、一つの目安として使われることは可能でないかと思われる。

A:確かに、タンパク質と薬剤の物理的な相互作用(結合するかしないかなど)についてだと、ある程度コンピュータで計算は可能です。それをもとに薬剤の候補を絞り込むということは現実に行なわれています。ただ、シミュレーションというのは情報なしでできるものではありませんから、実際に薬が効くかという点に関しては、結局一度はきちんとした実験をしなくてはならないでしょうね。


Q:コラーゲンを飲んでも全く意味がないということを講義で知って以来サプリメント等のCMには注意するようになったが、今回の講義では統計(サンプル数や、他の条件を揃えているかどうか等)もかなり怪しいものが多いと気づかされた。考察はビタミンCについて。他の全く効果のないサプリとは違い、がんを治せる可能性があるということで興味を持った。経口投与ではだめだが、高濃度ビタミンCを点滴で体内に入れる療法がガンに効くという主張がある。原理としては体内に入ったビタミンCが過酸化水素を発生してがん細胞を殺すが正常細胞はカタラーゼ等の酵素で過酸化水素を分解し無害化するというもの。ガン細胞を殺すためには多量のビタミンCが必要だが、人によって過酸化水素分解酵素を持っている量が違うだろうから、酵素が少ない人は正常細胞まで殺してしまう可能性があるのではないかと考えた。しかしこれは抗がん剤でも副作用はあるわけだから、ビタミンCと抗がん剤どちらがガン殺傷能力に対し副作用が少ないかが問題だろう。

A:現代社会では、ほとんどすべてのことにメリットとデメリット(リスク)がありますから、結局はそのバランスを考えるしかありません。今問題となっている原発依存度をどうするか、などが典型的な例ですし、遺伝子組換植物についても、その点が重要であるということは先週話した通りです。もし、何かについてメリットしかない、と主張されている時には眉に唾をつけた方がよいでしょう。


Q:薬が効くかどうかを調べるための方法について学んだ。どの方法もとても精度の低い実験になってしまうと思った。例えば宇宙ロケットを飛ばすためにはとても細かく正確な実験データが求められ、実際に必要なデータを実験して出しているが、薬が効くかどうかは、その人のこれまでの生活習慣などによっても大きく左右されるから、精度のよくない定量実験になってしまう。精度をそれほど重視する必要のない実験だったとしても、商品の表示を見て信用して買う消費者側としてはできる限り精度の高い実験結果の下、商品を販売してほしいと思うはずである。研究者は精度の高い実験が出来るよう努める必要があるが、倫理的な問題など障害は多い。また、消費者側は実験データを信じすぎないことが現段階では必要である。

A:「実験データを信じすぎない」というよりも、「実験データをきちんと評価する」ということが重要です。上にも書きましたが、信じる・信じないは知識の多寡によりません。サイエンスの知識を得たものに要求されるのは、その知識に基づいた評価です。


Q:世の中には法律に抵触しないぎりぎりのラインで生物学的な根拠のない宣伝広告のされている商品がたくさんある。これらの中には少し考えてあげれば高校生物程度の知識でもおかしいとわかるようなものまである。それにもかかわらずそれらの非科学的な文言がまかり通っている傾向があるように思う。これにはもちろんそういう宣伝をする企業側が毅然としていることもあるだろう。しかしなによりも、教育で教えられている生物が、それら生活に生きるような知識や、論理的な思考法を確立するための内容を提供していないことが大きな要因なのではないだろうか。例えば、医者にもらった薬が、どういうもので、自分の体の中でどのように働くのかというのは全く知らないで服用している。このように、現在教えられている内容が、本来もっと日常で気になることや必要とされていることと乖離しているように思える。

A:学ぶべきことを「知識」だと思うと、そのような考え方になってしまいます。例えば、医者にもらう可能性のある薬の働きを全て知識として学ぼうとしたら、それだけでも大学4年間が埋まってしまいます。必要なのは知識ではなく「考え方」です。ある薬をもらったら、その薬の働きを適切な方法によって調べることができ、そこから参考文献を検索し、薬剤がそのように働くと結論された論文を読んで、その中のデータがきちんと統計的に処理されているかどうかを調べる能力を持つことができれば、何も全ての薬剤の作用を覚える必要はありません。もちろん必要最低限の知識というものはありますし、知識を学ぶことが重要ではないと言っているわけではありません。しかし、たとえそのような知識を講義で学んでいる時にも、なぜそうなのか、どのようにその知識は得られたのか、という点を考える訓練をすることが重要です。DNAの複製のメカニズムを知るためだけだったら必要ないのに、わざわざ「メセルソンとスタールの実験」を講義で紹介するのもそのためです。あと、「毅然として」は日本語としては「確信的に」でしょうか。


Q:人間は、気持ちによって病気が治るときもあるという話を聞き、なぜ気持ちが病気に影響するのかということが気になった。穏やかな、リラックスな気持ちでいるとき、人はα波が出ると言われている。α波によって、ストレスや睡眠不足を軽くできたり、興奮状態である自律神経を正常な状態に促すことができたりする。(http://light.kakiko.com/sionta/MayakuSakusei.htm)このようなことから、医者が患者に「大丈夫。絶対治る。」と言うことで、患者は安心した気持ちになり、α波が出て、そのα波が患者にプラスな影響をもたらし、結果として病気が治ることにつながるのではないかと考えた。

A:よりにもよって今回の講義の後にこのようなレポートを出すのは、ちょっと冗談が過ぎる気がしますね。単に他人の受け売りをしているようではいけない、というのが講義の趣旨だったのですが。


Q:薬の効き目は様々な条件により左右されるが、薬が効く条件をある程度対象者側で整える事が出来るのならば、統一された条件下において安定した薬効が期待できると考える。例えば数値が一定以下になる等ある条件下で効果が発揮される薬があるとすれば、幾らか条件が限定的になり利用判断がしやすくなるだろう。化学的な反応を利用する場合特定物質の濃度等によって薬効を制御するだろうが、最終的には自動ないし手動のコンピュータ制御がこの役目を果たし得ると考えられる。機構が体内に駐在する事が出来れば対象者に継続的に干渉する事も可能で、対処療法的な効き方になる為よりシンプルな効果を持った薬の機構を複数組み合わせる形になると考えられる。又これまでは基本的に表面からの吸収による薬効だったものが技術的発達によって内部に干渉できる様になる事も考えられ、薬によって治療される範囲は大きく広がっていくと言える。但し薬を利用する事自体は容易であるが故に、利用判断を行う医者は薬の提供により慎重である必要があると考えられる。

A:これは、体内での薬剤の実効濃度をモニターして制御すればよいはずだ、という主張ですね。最近は、薬の効き方にも時間変化があって、特定の時刻に薬を飲むことによって実効濃度を調整するといった工夫もされています。


Q:今回の講義のレジュメで中性脂肪の上昇抑制効果が、黒ウーロン茶飲用と非飲用の場合で変わるのは納得できた。しかし、その抑制効果が食事時2時間後から現れるのに疑問を思った。今、中性脂肪の黒ウーロン茶の実験を統計処理や生物の特殊性を一通り考慮したとして、好意的に解釈するとする。そもそも中性脂肪は分解された後、血液中に取込まれ運ばれる。この過程がちょうど2時間であるならば、黒ウーロン茶が血液中に取込まれようとしている中性脂肪を阻むことで、抑制効果となっていることに納得が行く。また逆に、黒ウーロン茶の中性脂肪の抑制効果のパワポが血中中性脂肪の抑制を表しているものであることをふまえると、中性脂肪の分解・血液中への取り込みが二時間後であることは必要十分条件を満たして、証明できる。

A:これは、結局結論として抑制効果は実験から示されていて納得できる、と言っているのか、それとも逆なのかが、そもそもちょっとわかりませんでした。


Q:偽薬効果は科学的な根拠に乏しいように思われるが、実際に確かにそう思われるようなできごとには遭遇する。暗示的な作用が働いて、説明された通りの効果が得られるということは経験したことがある。例えば、風邪薬を飲むと、すぐには効果がでないはずだが、飲んだ直後から楽になったような気になる。または、病院にいって処方してもらった薬のほうが医者に症状を看てもらって、それに合った薬を処方してもらったわけだから効き目があるように思う。でも、実際に成分を見てみると市販のものと成分が同じだったりする。これらは偽薬というよりは本当に効き目のある薬を飲んでいるが、精神的に安心することで、効き目以上の効果があるという点で、偽薬効果に通じるものがあるように思う。

A:なんとなく体験談になっていて、あまりレポートっぽくないですね。もうちょっと何らかの論理展開が欲しいところです。