生物学通論 第10回講義

遺伝とDNA

第10回の講義では、遺伝の基本的な仕組みと、DNAの構造および存在状態について説明しました。


Q:今回の授業で、塩基のうちアデニン(A)、グアニン(G)、シトシン(C)はリボース、2-デオキシリボースのどちらにも結合することを学んだが、なぜチミン(T)は2-デオキシリボースのみ、ウラシル(U)はリボースのみにしか結合しないのか疑問に思った。その理由として
(1)チミンがリボースと結合すると不都合である
(2)ウラシルが2-デオキシリボースと結合すると不都合である
のどちらかではないかと考え、また、分子量にヒントがあるのではないかと思い、五炭糖に各ピリミジンが結合したときの分子量を計算した(以下、リ;リボース、デ;2-デオキシリボースを表す。また、原子量はH=1、C=12、N=14、O=16とし、参照のためにシトシンの場合も計算した)。
・リ+C 257
・デ+C 241
・リ+U 244
(・デ+U 228)
(・リ+T 258)
・デ+T 242
すると、仮に2-デオキシリボースにウラシルが結合した場合だけ分子量が他と比べて小さいことが分かる。よって、(2)の理由が適切で、2-デオキシリボースがウラシルと結合すると軽すぎるので、より重いチミンと結合して、他のヌクレオシドの分子量に近づけたのではないかと考えられる。しかし、この考察だと、なぜリボースがチミンと結合しないのかの説明がつかないので、あまりいい考察にはなっていないと感じた。ただ、1つの可能性として、以上のように考えることはできるのではないかと思った。
(参考文献(構造式の参照先))・田沼靖一監訳(2007)「クラーク 分子生物学」丸善 824p.

A:素晴らしい着眼点です。この点は、確かに不思議な点で、似たような構造のDNAとRNAの間でチミンとウラシルを使い分けるためにエネルギーをつぎ込んでいるのです。そこまでして、使い分けている理由は、シトシンが非酵素的な反応でウラシルに変わりやすい、ということのようです。DNAがウラシルを使った場合には、元からあるウラシルのなのか、それともシトシンが変化してできたものなのか区別ができないので、チミンを使ったと説明されます。その場合は、もしウラシルがあれば、それはシトシンが変化したものであると判断できます。では、RNAでウラシルを使うと何か良い点があるのか、というのが次の問題になるのですが、これは僕にはわかりません。


Q:植物における遺伝とは、各個体に1つの形質について一対の遺伝子を持っており、子にはこの2個のうち、どちらか一つが伝えられる。その際、遺伝子には優性遺伝子と劣性遺伝子があり、これらが対になって一個体に入っている場合には優性遺伝子のみが現れると考えられている。この法則が人間の遺伝にも当てはまるのか考えてみると、当てはまる部分とそうでない部分があると思った。当てはまるのは、血液型など。当てはまらないのは、例えば身長など。子どもの身長が両親のどちらかと一致することはほとんどないことである。この場合の遺伝は前者と同じ仕組みとは考えにくい。したがって、後者の身体上の遺伝に関しては、多数の遺伝子が関係しており、それらの相互作用によって遺伝が決定するため、あらかじめ特定することは事実上不可能だと考えられる。この遺伝の際にも優性遺伝子劣性遺伝子が関係してくるのか、関係するとしたらどの程度なのかはよく分からなかった。

A:身長のような量的な形質については、個人のゲノム情報が比較できるようになるに従って、その遺伝の仕組みが分かってくると思います。ただ、身長に関与する遺伝子の遺伝様式がどのようなものかについては、僕もよく知りません。


Q:授業で遺伝の法則について花の図をみましたが、今まで曖昧に理解していたので純系とか理解できました。孫に純系がでるなら、孫がかわいいと思うのもわかるなと思います。この図で気になったことは、親から子に遺伝子は同じように分かれるのに、どうして花の色は一色なんだろうと考えました。半分ずつとかまだらになったりはしないのでしょうか?(人間で考えると、すこしおかしな話になりそうなので、あくまで花のことを考えたいと思います。)今は品種改良みたいなことが可能な時代なので、花屋さんに行くとみたことのないような色だったり模様だったりするので人工的には可能であるということになります。でも、人間の遺伝は何かがない限りは、法則にしたがって別れていくんだと考えました。個人的な疑問なんですが、自分が純系であるかとかはどうやって知ることができるんですか?自分がどうなのか知りたいので。

A:植物の場合は、動物に比べれば純系を作りやすいかもしれませんが、それでもそう簡単なことではありません。自家交配を何度も繰り返して少しずつ純系に近づけていくことになります。ですから、人間の純系などというものは存在しません。遺伝の知識が少なかった時代には、ある病気になりやすい体質を人は、いわば「不純」なものとして差別されることもありました。そして、「病気の遺伝子」を排除しようという優生思想が力をふるったこともありました。ナチスなどはそのような思想を取り入れていたと言えるでしょう。しかし、現在では、誰でもが何らかの遺伝子変異を持っており、特定の変異を排除することには意味がないと考えられるようになっています。


Q:DNAは二重らせん構造をしていて、塩基4種類間ではアデニンとチミン、グアニンとシトシンがそれぞれ水素結合により結びついている。これによりDNA複製などが行うことができるのだが、ではなぜわざわざこの二重鎖は逆向きに並んでいるのだろうか。AとTではなくAとA、TとTなど同じものどうしで結合していたほうが複製も楽なのではないだろうか。これは結びつく原因となる水素結合の性質のためか。水素結合は電気陰性度の高い原子に共有結合した水素原子が,近くの他の官能基の非共有電子対と非共有結合的に作る結合であり、強い指向性をもつためにそれぞれの塩基の構造上もっとも結合しやすいものどうしで結合して今の状態になっているのだろうか。

A:ワトソン・クリック型塩基対というのを講義の中で紹介したと思いますが、アデニンとチミン、グアニンとシトシンが結びつくと、ほぼ同じ大きさのものができます。しかし、アデニンが2つ結びついたものと、チミンが2つ結びついたものは、大きさが全く異なります。ですから、そもそも、そのような組み合わせでは二重螺旋を作れなくなってしまうのです。


Q:今回の授業は今までの授業の中では一番の知識詰め込み型で、何かにピンとくるというよりはそうなんだと納得する感じの授業だった。自分的にはあまり考える題材もなかったので今回のレビューシートは少し困った。 グリフィスの実験は肺炎を引き起こさない菌のDNA複製過程において肺炎を引き起こす菌のDNAを複製してしまうことで、肺炎を引き起こす菌を作り出してしまうということを表している。つまり、肺炎を引き起こさない菌の複製プロセスが死んでいる菌を複製してしまっているということになる。これは複製に必要な物質が生きている菌の外に出て死んでいる菌の中に入り込み、複製に必要な情報を入手した後に生きている菌にもどってきて生きている菌の中で複製を行っているという認識でいいのだろうか?どういうプロセスで複製が行われるのか詳しくはよくわからないが、どういうプロセスにしろ死んだ菌の複製情報を持った物質が体内のなんらかの溶媒中を移動していることは間違いないと思う。この場合溶媒の特性(pHや溶存物質)によって複製情報をもった物質は変化したりしないのかと疑問に思った。そもそもDNAの複製は細胞内で行われるもので複製の情報を持った物質は細胞外に出ていかないと思っていたが、溶媒を介して他の細胞から複製の情報を持ってくることがあるなら、複製の情報をもつ物質は溶媒内でも細胞内でも安定でかつDNAの複製だけは確実に行うことのできる特異性を持っている物質ということになる。しかも死んだ細胞からも情報を持ってきてしまうのだからその執念はすごいものだと思った。こんな簡単に遺伝情報が混ざってしまうと突然変異とかは結構頻繁に起こってしまうのではないかとも思う。

A:分子生物学は、僕が専門とするところではないので、ちょっとサイドストーリーが足りなかったかもしれませんね。DNAの複製は次回の講義でやります。


Q:メンデルに興味を持った。なぜメンデルはエンドウマメを選んだのだろうか。おそらくほかの植物でも問題はなかったとは思うが、何かしらのメリットがあると考えられる。そのメリットは、マメの色や形、花や株の様子など、はっきりとした特徴を代々受け継いでいるからだと考えられる。優性か劣性かが分かりやすく、その分かりやすい部分がいくつもあるからである。また、メンデルをはじめとするコレンス、チェルマク、ド・フリース達はなぜ植物を用いたのだろうか。動物ではダメだったのか。おそらく動物では勝手に交配してしまう恐れがあるからだと思う。また、植物の方が調べたい形質の違いがはっきりしていて、その形質の数も多いからだと考えられる。もしくは動物を実験に使うのは心苦しかったからかもしれない。植物ならば増えすぎても環境的にも良いのでそちらを選んだのかもしれない。先生はどう思いますか??

A:上の方のレポートへの回答でも触れましたし、講義の中でも純系を使うことの重要性を強調したと思いますが、遺伝の法則を確立するためには、親の代の遺伝子型がAAのように同じ組になっていることが重要です。動物の目に見える形質で、その形質に関する純系を簡単に作成できる例が、おそらくほとんどなかったのではないかと思います。