生化学I 第3回講義

細胞と生体膜

第3回の講義では、生物の定義から初めて細胞膜の構造、両親媒性物質の特徴、オルガネラの膜の起源などについて解説しました。以下に、レポートの書き方に関する質問に回答したのち、4つレポートをピックアップしてコメントをつけました。今回は時節柄多かったウイルスに関するレポートを取り上げて、よく似た題材のレポートについて僕がどのように考えるかを説明します。

質問に対する回答

Q:教科書に記述してある説明であったり過去の実験の結果などはそれらが高校の授業で習ったことであり頭に入っていたとしても、すべて引用としてレポートの最後に書くべきなのでしょうか。

A:参考文献を明記することが求められる理由には二つあります。一つは、著作権の問題で、他人の著作物を自分の著作物の中で利用するためには、著作権者を明示することが必要です。著作権法で問題になるのは、「事実」や「概念」ではなく「記述」です。「タンパク質はアミノ酸からなる」という事実自体は著作権保護の対象ではありません。一方で、その記述は保護の対象となり得ますが、「タンパク質はアミノ酸からなる」というようなごく短い一般的な記述には、創作性が認められません(=誰が書いても同じになる)から、やはり引用元を明示する必要はありません。ただし、より記述が長く、人が違えば当然書き方が異なると予想される記述を、そのまま丸ごとコピーして引用元を示さなければ、著作権法違反になる可能性があります。
 もう一つは、サイエンスとしての問題です。「タンパク質はアミノ酸からなる」のように、一般的に確立された事実でだれもが知っていることについては問題ありませんが、例えば特定の生物ではタンパク質の中のアミノ酸に占めるグリシンの割合が6.78%であった、というような事実は、それが本当なのか、もしくはどの程度の確度で言えることなのかが重要になります。そのような場合には、出典を明記して、だれがその事実を報告しているのか、あるいはどのような実験によってその結果が得られたのか、を追跡できるようにするのがお作法です。実験的な事実だけでなく、場合によってはだれがある考え方を主張しているのか、つまり概念を提唱した責任の所在を明記することが必要となる場合もあるでしょう。これらは、特に相反する報告や主張が存在する場合には重要になります。繰り返しになりますが、これらの事実や概念は著作権の保護対象ではありませんから、文献をつけなくても法律違反になるわけではありません。サイエンスの世界でのお作法(研究倫理)の問題です。

レポートとそれに対するコメント

Q:コロナウイルスはエンベロープという脂質二重膜と遺伝情報のRNAを所持していると学んだ。我々は石鹸で手を洗い、手に付着したウイルスの脂質二重膜を石鹸分子が入り込み膜構造を破壊することで体内への侵入を防いでいる。しかし、一度侵入したウイルスに対しての手立てはなくワクチンと治療薬の開発は急務である。ワクチンの製造の方法として主に4つあるが、その中で私はバキュロウイルス系の昆虫細胞を使ったワクチン製造を提案する。昆虫細胞はコストが動物細胞よりも安価であり生産性も高いためワクチンに求められる条件に合うと考えられる。さらに、山地教授によると「昆虫細胞−バキュロウイルス系は(中略)宿主として昆虫細胞を用いるため,発現タンパク質は高等真核生物のDNA翻訳後修飾が施される.(中略)さらに,バキュロウイルスは動物や植物に感染しないため,安全性が高い.」といっており、安全性が高くタンパク質を生み出せる点からもワクチンに求められる条件に合うと考えられる。コロナウイルスに対して盛んにワクチン製作が行われているが、感染拡大阻止の為にもに早急に開発されることを望みたい。
参考文献:山地秀樹、『昆虫細胞を用いた有用物質生産』、生物工学会誌第94巻第2号、77ページ、2016年(筆者、表題、雑誌名、ページ、発行年月)

A:このレポートの問題設定は、ワクチン接種の4つの方法の内、どれがよいか、ということでしょう。その答えとして、参考文献の記述に従ってバキュロウイルスがよい、という結論になっていますが、それだけでは自分なりの論理がありません。事実は参考文献に頼らざるを得ないにしても、それをうのみにするのではなく、残りの3つの方法との自ら考えた比較が必要でしょう。また、最後の一文も、WEBに氾濫する「評論家的」文章によく見られるもので、科学的なレポートとしては、やや違和感があります。


Q:現在、新型コロナウイルスの影響で、より丁寧に時間をかけた石鹸での手洗いが推奨されているが、それはなぜなのだろうか。授業で習った通り、ウイルスはタンパク質で、人間は細胞膜、すなわち脂質の膜で覆われている。一方、石鹸はミセルを作るという。つまり脂質を取り込むはずである。そうだとしたら、石鹸での手洗いによって、ウイルスよりもむしろ私たちの細胞が侵されてしまうのではないだろうか。そうだとすると、感染予防に石鹸での手洗いが有効な理由としては以下のように推測できる。まず、ウイルスが直接石鹸の餌食になっているのではない。人間の肌が石鹸の餌食に、それに頑固に吸着していたウイルスが人間の肌と一緒にミセルの中に取り込まれる。その結果、ウイルスも流されるという理由でウイルスが手から消滅する。そうなると、手洗いは欠かせないものであるが、過度に洗ったことによりできてしまった肌の見えない傷からウイルスを身体に取り込まないようにも注意していく必要がある。

A:これは、ウイルスに対する石鹸の作用機作についてのレポートでしょう。自分で考える姿勢は良いと思います。論理としては、石鹸は脂質に対して作用するのに、ウイルスの本体はタンパク質とRNA(DNA)であるので直接的な効果ではなく、人間の肌に対する作用が間接的にウイルスの除去に役立っている、ということですよね。レポートからそれは読み取れるのですが、もう少しカチッとした記述で論理的つながりを意識して文章を書くと、より科学的なレポートになるでしょう。なお、石鹸のような界面活性剤は、例えばタンパク質に対する変性効果も持ちます。そのメカニズムについては、この講義もしくは生化学IIの中で話す予定です。


Q:授業内でウイルスは何故生物に分類されないのかということについて、生物の定義の一つである「自己増殖能をもつ」を満たさないからとされた。だとするとウイルスはどのように増殖していくのか。その方法はウイルスが寄生する宿主細胞に構成成分を合成してもらうのである。細胞であれば時間をかけ分裂を繰り返すことで増えていくが、ウイルスは生物に比べ構造が簡単なことから宿主細胞に合成してもらうことが可能となる。しかもその生産能力はすさまじく、1個のウイルスが細胞に感染すればその子ウイルスは1000個近く生産される。これはウイルスが1個でも生成されるとそのウイルスの広がりは抑えられないということになるだろう。これより、少しずつ収まってきているコロナウイルスだが不用意に外出しウイルスを得てしまうと感染拡大は止まらないと考えられる。外出自粛により収束の兆しは見えてきているが、緊急事態宣言が解除されても予防はしっかりとしなければならない。
参考文献:1)「【バイオのプロが解説】ウイルスとは?-生き物との違いとコロナウイルスの増殖機構-」https://modia.chitose-bio.com/articles/virus_01/ 最終閲覧日2020年5月29日

A:これは、もし問題設定が「ウイルスはどのように増殖していくのか」ということだとすると、次の文で回答が与えられてしまいます。とすると、後半の記述を読むと、「なぜウイルスの感染拡大を防ぐのが難しいのか」が問題設定なのかもしれませんが、そうだとすると、論理構成が緊密ではありません。感染拡大については、基本再生産数などの概念について、いくらでも情報を得ることができると思います。そこを問題とするのであれば、1個の感染細胞が放出可能なウイルス粒子の数と基本再生産数の間の関係を考察するなど、もう少し踏み込んだ内容にしたいところです。


Q:ウイルスは生物ではないと定義されているが、生物と同じ特徴を持っている。そこで今回はウイルスの起源について考察することにした。私はウイルスは細菌のような生物から進化してきたと考えている。ウイルスはタンパク質でできている外殻があり、その中にウイルスゲノムを収容している。また、細菌は細胞壁、細胞膜に包まれている中に、リボソームやDNAが含まれている。細胞壁や細胞膜は主にタンパク質や脂質でできている。細菌が進化する過程で、細菌の外殻を形成している細胞壁や細胞膜のタンパク質がウイルスの外殻となり、細菌内に形成されるリボソームなどが排除され、DNAのみがタンパク質で構成される外殻の中に入り込みむことで、ウイルスを形成されると考えられる。

A:これはウイルスの起源を問題として設定し、自分なりの答えを与えているという点では評価できます。細菌との構造の比較から自分の考えを述べていますが、惜しむらくは、他の仮説について検討していないため、その主張がどの程度尤もなのかが判断できません。このレポートの場合、もう一つ考えられる仮説は、単純なウイルスからより複雑な細菌が進化した、というものでしょう。そのように考えた場合には、どの部分で事実と整合しない、といった指摘があると、自分の主張をはっきり示すことができます。