植物の寿命

二十年近く前に一度だけ屋久島を訪れたことがある。鹿児島から飛行機で行き二泊したが、どこをどう回ったのかすっかり忘れてしまった。その中で鮮明に記憶に残っているのは森の雰囲気である。森の中に入るとすぐに「植物であふれている」という印象を受ける。森に植物があるのは当たり前だが、本州の、特に植林された森では、地面近くの下生えと木の葉をつけた上部の間は木の幹や枝に占められており、そこにはあまり緑は見られない。ところが屋久島の森では、木々の幹や枝にもふんだんに緑がある。よく見ると大きな杉の幹はコケで覆われているし、枝にはシダの仲間が着生している。木の股の部分やうろには、他の木の若木まで見られる。あたかも一本の木が一つの小さな世界を形づくっているように思われた。生命樹・宇宙樹の神話は世界中にあるそうだが、こうした素朴な感覚から生まれたものなのだろう。北欧叙事詩のエッダにもイグドラシルという生命樹が出てくるが、生命を育むという点からすると、南方の木こそ生命樹にふさわしいと思う。

樹齢が千年未満では子杉としか呼ばれない屋久杉の中でもおそらく一番有名な縄文杉は、樹齢七千二百年と言われていた。七千年前なら縄文時代でも早期になるが、この樹齢は幹の太さから推定されたもので、今では、様々な根拠から、どうもそこまでは遡らないだろうということになっている。それでも屋久杉には、三千歳を超すものがあることは確からしい。縄文時代の杉が残っていることには間違いないことになる。現在、世界で最高齢の植物としてよく名前が挙がるのは、アメリカのブリスルコーンパインという木で、樹齢は四千歳代の後半とされる。つまり最高齢の植物は、エジプトで言えば古王国の時代、ギザにピラミッドが作られた時代には既に存在していたことになる。植物の寿命の長さもさることながら、人間の文明の歴史の長さも負けてはいない、ということだろうか。よく博物館などで、巨木の幹を薄切りにしたものの木目に、歴史的な事件を対応させたものを展示してあるのを見る。アメリカの博物館でお目にかかったものは、アメリカ国内の事件を対応させてあるのだが、幹の外側の部分でそれが終わってしまう。アメリカ人が見ると、アメリカの歴史の短さが印象づけられるのだろうか、それとも植物の寿命の長さが印象づけられるのだろうか。

屋久杉は別格として、それ以外の日本の木の寿命はどうだろう。クスノキ(楠)やケヤキ(欅)、イチイ(一位)なども巨木が多く、推定樹齢千年以上とされるものもある。それでは、古くから歌に詠まれてきた桜の木の寿命はどの程度であろうか。桜は幹が太くなるので、古木になると樹皮の荒々しさも伴って独特の風格を持つ。山桜の古木は各地にあり、数百年の樹齢を持つとされるものも多い。ところが、現在、お花見の中心となるソメイヨシノ(染井吉野)は樹齢百年を超すものが滅多にない。東京大学の小石川植物園にあるソメイヨシノは樹齢百三十年と推定されているが、これなどは最高齢の部類であろう。これは、ソメイヨシノという品種が、江戸時代に作り出されたもので、そもそもそれ以前には遡りようがない、ということもあるが、木の寿命自体が短いことにもよる。満開になったソメイヨシノを夜に眺めると、白く浮き出すようですごみさえ感じさせるが、その美しさの代償を短い寿命という形で払っているのかも知れない。西行の時代にはソメイヨシノは存在しなかったが、西行の歌を鑑賞するときには山桜よりはむしろソメイヨシノを頭に思い浮かべてしまう。ソメイヨシノの寿命の短さが頭にあるせいかもしれない。

動物の中では比較的寿命の長い人間でさえ百二十歳ぐらいが最高齢であることを考えると、寿命が短いと言ったソメイヨシノでさえ人間よりは寿命が長く、屋久杉などに至っては比べものにならない。もっとも、植物の寿命を、一概に動物の寿命と比べることに意味があるかどうかは疑問である。動物の場合、ある人間と別の人間は、明らかに違う人物であるし、ある一匹の犬がいつの間にか二匹になっていた、などということはあり得ない。しかし、植物では、そのようなことがいくらでも起きる。ある植物に花が咲いて種が付き、その種から新しい植物が芽生えた場合には、元の植物から見れば新しい植物は子供であり、それぞれ別の植物であるといってよいだろう。しかし、チューリップのように球根で冬を過ごす植物が春に新しい芽を出した場合はどうだろう。それだけなら元と同じ植物のような気がするが、丹誠込めて育てた結果、春に芽が二つでた場合はどうだろうか。両方とも元と同じ植物と考えるのだろうか。そうだとすれば、毎年芽を出す球根は、一粒の種だったときから数えると、もしかしたら何百歳にもなるのかも知れない。そのような年齢を調べる方法があるだろうか。

富士山の五合目あたり、樹海がなくなって見渡す限りごろごろした溶岩が広がる中に、所々に植物が生えているのが見られる。その中でもひときわ目につくのは、イタドリの群落である。イタドリは、新芽を天ぷらにして食べることもある宿根草で、春になると新しい芽を伸ばし、場合によっては人の背ほどにもなる。富士山でこのイタドリの生え方をよく観察すると、しばしば直径数メートルの大きな環状に多くのイタドリが生えていて、その輪の中心部には、他の植物が生えていることが多い。これは、最初は一本であったイタドリが年と共に芽の数を増やし、だんだんと広がるにつれて、枯れ葉などが貯まって栄養条件がよくなった中心部に他の植物が侵入して起こる現象である。つまり、環状に生えている多くのイタドリというのは、実は離れていても元々は一つの植物である。とすれば、大きな輪を作っている程昔に芽を出したイタドリで、小さな輪を作っているものは、比較的最近に芽を出したものであるはずだ。つまり、このようなイタドリの、種が芽を出したときから数えた年齢は、輪の大きさから見積もることが出来ることになる。

富士山のイタドリの場合は、その年齢は宝永の大噴火を遡らないだろうから、せいぜい三百歳ということになるが、アメリカ南部の砂漠などに生えるクレオソートブッシュという低木は、枝を伸ばしてその枝から根を下ろしながらやはり同心円状に広がり、その一番大きな輪を作っている木の年齢を輪の大きさから見積もると、一万歳にもなると言われている。こうなると、さしものエジプト文明もまだ確立しておらず、ようやく新石器時代が始まる頃である。もっとも、新石器時代に存在した植物の部分が現在も残っているわけではなく、クレオソートブッシュの輪の中心部はすでに腐ってしまってなくなっている。植物の年齢推定の難しいところである。

それでは、一枚の葉っぱの寿命はどうだろうか。誰しも思いつくのは、落葉樹と常緑樹の違いである。落葉樹の葉は、春にでて秋に散る。約半年の寿命である。常緑樹は、木としては常に葉をつけているが、一枚の葉っぱに注目した場合には、やはり一定の寿命がある。たいていは常緑樹であっても、二、三年の内には落ちて新しい葉っぱと入れ替わる。では、そもそも、せっかく作った葉をなぜ落とさなくてはならないのだろうか。当たり前と思われるかも知れないが、普通の植物は上へ成長する。植物が成長するには、太陽の光を使って光合成をすることが必要である。自分の上を他の植物に覆われてしまったら、光を受けることが出来ず枯れてしまうだろうから、上へ成長するのは生存競争の上では当然である。上に新しい葉をつけていけば、当然、自分の葉であっても下にあるものは陰になるので、持っていても意味がなくなる。常緑樹であっても古い葉を落とすのはこのような理由によるのだろう。

他の植物との競争により上へ成長しなくてはならないという理由で陰になる古い葉を落としているのなら、砂漠のように「他の植物」があまりいない所では、横に伸びつつ、いつまでも古い葉をつけていてもよいはずである。実際に、アフリカのナミブ砂漠にはキソウテンガイ(奇想天外)という葉を落とさない植物が存在する。これは、種から発芽すると、まず双葉を出し、次いで二枚の本葉を出すが、それ以上の葉は出さず、二枚の本葉がただただ伸び続ける、という名前の通り奇想天外な植物である。葉の先端はやがては枯れていくが、一方で基部から伸び続けるので、大きな株では数メートルの長さの葉を持つことになる。葉のある部分に注目して見ると、おそらく長くとも数十年の内には枯れることになるが、葉を全体としてみたときには、葉の寿命はその植物の寿命と同じ、ということになる。植物自体の寿命も非常に長いとされ、一説によると二千年とも言う。他の植物と競争する必要のない、厳しい砂漠にあってこその生き方であろう。

クレオソートブッシュもキソウテンガイも砂漠の植物で、決して生育は速くない。屋久杉は木目の緻密なことで有名であるが、これは土壌が貧困なため一年にほんのわずかずつしか生育できないことによる。ブリスルコーンパインも標高二千メートルを超す風の強い乾燥地に生育し、生育は極めて遅い。どうも長寿を全うするためには、ゆっくり成長することが必要なようだ。人間で言えば、飽食の生活を送っていると生活習慣病になるのと似ているかも知れない。スロー・ライフは長寿の秘訣ということだろう。

しかし、たとえゆっくりとしたリズムで長寿を謳歌したとしても、他の生物との競争の中では、やがて古い葉は新しい葉に取って代わられ、老木は若木に道を譲らなければならない。屋久島で森の中を歩いていると、古い切り株や倒木の上に杉の若木が育っているのをよく目にする。土壌が貧困な屋久島では、朽ち木は格好の苗床なのである。屋久杉は、生きている間はコケやシダなど他の植物の住処となり、倒れて後は次代の植物の苗床となる。我もまた、かく在りたし。

初出:「別冊國文学58号」(学燈社)2005年