コラム陽だまり 第19回

色と言葉

襲の色目

早稲田大学の方から初めてメールをもらった時、アドレスを見ると@以下がfuji.waseda.jpとなっていました。サブドメインのfujiは富士山かなと思っていたところ、その後、他の職員や学生のメールアドレスにtokiやakaneがついているのを見つけて、山や鳥、植物の名前を使っているとは早稲田大学も自然に理解があってなかなか感心、感心と思いました。ところがその後、suou、aoniなどが現れ、さらにasagi、kurenai、ruriとなるに及んで、ようやくこれらがすべて日本古来の色の名前であることに気が付きました。誰が決めたのだかは知りませんが、なかなかみやびでセンスがあります。

少しずつ違う色合いにさまざまな名前をつけて呼び分けているのは、日本人の色に対する鋭い感受性を反映しているのかもしれません。ところが、最近、その感受性を疑わせる出来事がありました。科学教育用のビデオの監修を頼まれて見ていたら、ヨウ素デンプン反応で真っ黒に染まった葉の映像に、「このように青紫色に染まります」とナレーションが入っていたのです。どう見ても黒のものを青紫というのは感受性以前の問題でしょうか。科学の基本は正確な観察ですから、科学教育のビデオとしても失格でしょう。早速、制作元に修正を申し入れました。

ところが、あとから考えてみると、ことはそれほど単純ではないかもしれません。入学試験などに「ヨウ素デンプン反応で染まった葉は何色になるか」という問題が出た時、修正されたビデオを見ていた生徒は「黒」と答えるかもしれません。それを採点者は○にしてくれるでしょうか。教科書には「青紫」などと書いてありますから、「黒」を×にする採点者がいないとも限りません。そのような採点者はけしからんと非難することはできますが、それによって×をつけられた生徒が救われるわけではありません。同じような例としてクロロフィルの色があります。教科書ではよくクロロフィルaは青緑色、クロロフィルbは黄緑色と記述されていますが、色合いなどは濃度が違えばいくらでも違って見えます。ヨウ素デンプン反応の場合も、その葉が黒く見えたからと言って黒と表現するのではなく、濃度によって色合いにも幅があることを説明すべきだったのかもしれません。自分で実験をして、自分の目で色を確かめた生徒ほど、教科書とは異なる言葉で色を表現するでしょう。少なくともこのコラムを読んだ出題担当の方は、入学試験で色を尋ねる前に濃度によって答えが変わらないかどうかを考えてくださいね。

2013.08.19(文:園池公毅/イラスト:立川有佳)